第36話 お茶くみ係は続行で

「セルジオ様、から…?」


 最終試験のようなものだろうと思って挑んだお茶の席は、なぜかお義母様とお兄様が笑顔で座っていて。思った通り令嬢教育がひと段落つくことと、よく頑張りましたというお褒めの言葉をいただいたわけだけれど。

 その後すぐに出てきたのは、思いがけない人の名前だった。


「流石に直々にあの方から、しかも陛下の前で打診があったのでは、断るわけにもいかず…」

「あ、いえ。令嬢としては褒められたことではないのかもしれませんが、私にとってお菓子作りは趣味なので。むしろ続けられるのであればとてもありがたいお話だと、思うのですが……ダメでしょうか?」


 どうやらセルジオ様から、そろそろ殿下のお茶くみ係としての仕事に復帰して欲しいというようなことをお兄様は言われたらしく。ただ少しだけ渋い顔をしているのはどうしてなのかと考えて、もしかしたらあまり令嬢が直接お菓子を作るのは喜ばれないではないかと思った。

 だから、そう聞いたのだけれど……。


「まさか!むしろ私、カリーナの作ったお菓子なら食べてみたいわ!」


 なぜかお義母様の方がノリノリでそう返してくれて。

 しかもその顔は満面の笑みだったから、これは思っている以上に期待されているのかもしれない。


「母上だけなんてずるいですよ!カリーナ、私の分も用意してくれますよね?」


 …………何だろうか?この親子は。

 初日もそうだったけれど、何でこうも似ているのか。そして年上のはずなのに、どうしてこうも可愛らしいのか。

 分けて欲しい。その可愛さ。


「勿論ですよ、お兄様。ちなみに何か苦手なものはありますか?」


 とはいえ、そんなことは一切顔にも口にも出さずに、笑顔でそう二人に答える。

 ちなみにお兄様は殿下とは違い、甘い物も大丈夫みたいだから。せっかくなら普段殿下には出せなかった、甘いお菓子作りに挑戦してみたい。


 そんな風に和やかに、どう考えても試験ではないだろうという雰囲気で進むお茶の時間だったけれど。

 会話が途切れたのを見計らって、お義母様が真剣な表情で話し始めた。


「カリーナ。貴女には話しておかなければならないことがあります」

「私に、ですか?」

「えぇ。貴女のお父様についてですよ」


 その言葉にドキリとしたのはきっと、その内容が未知数だったから。

 私にとって父親というのは名前も顔も知らない相手だったせいで、何一つ身近に感じるものではなくて。だからその人の話がいいことなのか悪いことなのか、見当もつかない。


「そもそも私とあの人は、まさしく政略結婚だったのですよ。当時お互いに、別の相手がいたからなおさらに」

「……え…!?」


 それは、実の息子の前で話していい内容なんですか…!?


「コラードだけではなく、この家の者ならばほとんどの者達が知っています。何せ私たちは、跡継ぎさえ生まれればお互い自由にしようという約束で婚姻したのですから」

「それ、は……」

「あぁ、カリーナは気にしなくていいですよ。私はちゃんと両親に愛されていましたし、それが悪いことだとも思っていませんから」


 う、っわぁ~……貴族って、なんかすごいなぁ……。

 考え方もだけど、割り切り方もすごい。普通の子供だったら、かなり衝撃的な内容だと思うんだけど…。


「それに私の場合まだ見ぬ妹がいると知って、いつになれば会えるのだろうかとずっと楽しみにしていましたから」


 いやいや、そんないい笑顔で言われても…!!

 お兄様、大分考え方があらぬ方向に向いていらしたんですね…!?


 驚きすぎて目を見開いた状態で固まってしまっていたから、きっと私が何を思っているのかまでは分からなかったはず。むしろ下手に全て顔に出てしまわなかった分、よかったのかもしれない。


「だからコラードが生まれてしばらくして、あの人は貴女のお母様の元へ再び通うようになったのです」

「あの人、…?」


 それなら、お義母様は…?


「私は…………結局、待っていてもらえなかったのですよ。私が結婚してすぐ、その方は新しい相手を見つけていて…」

「そんな…!!だって、その方にも本当のことをお話されていたんですよね…!?」

「えぇ。けれど、数年も待つなんてできなかったのでしょうね。貴女のお母様とは違って」


 受け取り方によっては嫌味に聞こえそうな言葉なのに、お義母様の顔はすごく優しくて。

 なぜか私のことを、慈しむように見ているから。

 何かを言おうとしても、言葉にならない。


「カリーナ。私は貴女を生んだお母様のことを…政略とはいえ自分以外の女を妻に娶った相手のことを、ずっと信じて待ち続けることが出来た女性のことを、とても尊敬しているのです」

「尊、敬……?」

「えぇ。だってそうでしょう?たった一つの約束で、何年も待ち続けられるなんて。誰にでも出来ることではないのですから。とても誠実で、強い女性だったのでしょうね」


 正直、私が知っている母は基本的に笑顔だったから。自由に職業が選べて、毎日こんなにも幸せに暮らせるこの国はとても素敵ねって、そう言って笑っていたから。誠実だとか強いとか言われてもすぐにはピンと来なかったけれど。


 でも考えてみたら、女手一つで子供を育てるってそんな簡単な事じゃなかったはず。それなのに疲れた顔一つ見せずに笑顔だけを向けられていたことを思えば、確かに強い人だったのかもしれない。


「だから私は、一日でも早く彼女をこの家に迎え入れたいと思っていたの。それなのに……」

「母上、何度も申し上げている通り、父上の言葉も貴族としては正しいのですよ。それに、その提案をしたのはお相手の女性の方だったと聞いていますが?」

「えぇ…そう、ね……それは、そうなのだけれど……」

「それならば私たちにはどうしようもないことだったのです」


 言い淀んだお義母様にお兄様がそう語りかけているけれど、正直私には何のことなのかさっぱり分からない。一体母がどんな提案をして、それがどういう結果を生んだのか。

 困惑している私に気づいたのだろう。お兄様が少しだけ困ったような顔をして、こちらに笑いかけてきた。


「カリーナのお母様はね、まだ幼い子供がいるのに新しい女を迎え入れるのは良くないんじゃないかと父上に言ったらしい。せめて子供が社交界デビューするまでは、ちゃんと家のことを第一に考えて欲しい、とね」

「本当に、強い女性だわ……。私がその立場だったら、果たしてそんなことを言えるかどうか…」


 それは私の知らない、私が生まれるより前の両親の話。


 確か貴族の社交界デビューは十二歳だと教わったから……つまり母は、それくらいなら待つと宣言したという事で。

 十二年……。しかも相手から言われたわけではなく、自分から、なんて。

 そんなこと、私だって出来る気がしない。迎えに来てくれるのなら、すぐにでもその手を取りたくなってしまうだろう。


「カリーナ。貴女とコラードの年齢差は、丁度十二歳。それが何を意味しているのか、分かるかしら?」

「……本当に、待ったんですね…。いえ、この場合は逆でしょうか?母は、待たせたんですね」


 きっと相手が誰なのかも知った上で、だからこそ後継者の教育を第一に考えて欲しいと思ったのだろうけれど。

 だからって一庶民が、国の筆頭公爵様相手に。しかも十二年も待たせるなんて。


「流石に会わないというのは私が許せなかったので、何度も送り出しましたけれどね。それでも確かに、あの人は待ったのですよ。コラードが社交界デビューするまで」

「その代わりに、その後は我慢していた分反動が来たんでしょうね。あの頃の父上は、なんだか見ているこちらが笑ってしまいそうな程でしたから」

「えぇ、そうね。久々の休みの前日なんて、特にソワソワしていて」

「屋敷になど帰らず、直接向かってはどうですかと提案したこともありましたよ」

「まぁ。私と同じことをしていたのね」


 ……おっかしいなぁ…?これ、普通だったら一家離散するような内容の話じゃないの…?

 なんでそんな、お茶を飲みながらほのぼのと話していられるのか。


 ただ一つだけ分かったのは、この親子からの母への信頼は異様なほど高かったのだということだけ。


「本当はね、カリーナとカリーナのお母様も含めて、この家の家族だと私は思っていたの。だからこそ、貴女のお母様が生きている間に……この家で一緒に、こうやって家族全員でお茶を飲みながら、ゆっくりとお話したかったわ…」


 目を伏せて、悲しそうな表情でそう言うお義母様の言葉で、ようやく理解する。

 この人は、後悔していたのだと。


 でも殿下やセルジオ様に聞いた話からすると、きっと迎え入れる準備はしてくれていたはずだから。

 まさに"運悪く"それが叶わなかっただけで。


 だから。


「お義母様が後悔なさる必要など、どこにもありません。お兄様の社交界デビューまでと決めたのは母ですし、何よりその後のことは何一つ予測などできなかったのですから」


 勉強してようやく知ったことだけれど、実は今から二十年前に前国王陛下は亡くなっていて。しかも病死だったらしいので、宰相である父が忙しくなったのはもっと前からだっただろうと簡単に予想はつく。

 そうなると、だ。いくら宰相家が私たち親子を迎え入れようと考えてくれていたとしても、もっと先にやらなければいけないことが山積みだったに違いない。ちょうどこの間まで見ていた殿下のように。


 それが、分かるのに。

 なぜ迎えに来てくれなかったのかなんて、思うわけがない。

 それはきっと、母も同じ気持ちだったのだろう。


 何より母は、愛した相手がこの国の宰相だと知っていたから。だからこそ、この国は素敵だと、幸せだと笑っていられたのだろう。

 だってその気持ちだけは、私も少し分かるから。


 "あの人が国を動かす側にいるのに、信頼できないわけがない"と。


 きっと母だってそう言うはずだ。

 娘の私が別の相手に対してそう思っているのだから、間違いない。


「母は毎日幸せそうでしたよ。素敵な国だと笑っていました。きっと忙しい理由も全て知っていたはずです。だからきっと何一つ、後悔なんてしていなかったと思いますよ?」


 だから後悔なんてしなくていい。本人が誰よりもそこから一番遠い場所にいたのに、今を生きている私たちがそこにいなくてどうするのか。


「それでもお義母様のお気持ちが晴れないというのであれば……今度是非、墓前でお話してくださいませんか?祈って頂くだけでも、きっと母は喜びますから」


 もしもなんて過去に囚われずに、どんなことがあったのかという日常的な事でもいい。ただその話を聞くだけで、母は喜んだだろうから。

 だからそう、伝えたら。


「……本当、に…貴女達親子は……」


 なぜか、泣かれてしまって。


「あ、あの…お義母様……?」

「…ごめんなさいね。貴女が殿下の元へお仕事に出かけてしまうから、今日でないとこんなお話をちゃんと出来ないと思ったのだけれど……あぁ、もうっ…!やっぱりあの人が亡くなったからなんて言わず、予定通りに二人ともすぐにこの家に連れてきてしまえばよかったわ…!!そうしたら毎日楽しかったでしょうに…!!」


 それはきっと、お義母様が望んでいたはずの未来の形。叶わなかった夢のような物だったのかもしれない。

 けれど。


「カリーナ。貴女が向かうのは殿下の元ですから、心配する必要はないのかもしれませんが…。それでも、もしも何かつらいことや嫌なことがあったら、真っ先にこの母に言うのですよ?今度こそ、私たちが力になってみせますからね」


 そんな風に、すぐに力強くこちらに告げるから。


 まだ本当は、後悔が全てなくなったわけではないのだろう。

 それでも過去ではなく未来を見て、そう言ってくれているのだと分かるから。


 だから私が答えるべき言葉は、きっと……


「はい、お義母様。必ず」


 そう、笑顔で。

 嬉しそうに頷いてくれたから、これで良かったのだろう。


「あぁ、そうだ。カリーナ」

「はい、お兄様」

「流石に殿下の執務室には、侍女を連れて入れないからね。セルジオ殿からも、今まで通りでと言われているし。何より陛下がそうあるべきと仰られていたから、我が家から連れて行く侍女は外で待たせる形になるけれど。それまでは必ず全て侍女に任せること。くれぐれも、自分の手でワゴンを押したりしてはいけないよ?」


 少しだけ砕けた口調になったのは、また一歩近づけた証拠なのかもしれない。

 そしてその内容も、お城の中ではちゃんと公爵令嬢らしくありなさいという言葉をかみ砕いてくれたものなのだろう。


 若干心配されすぎている気もするけれど、そこはまだ仕方ないのかもしれない。


「分かりました、お兄様」


 だから私はただ素直にそれに頷いておく。まだまだ、私の公爵令嬢としての人生は始まったばかりなのだから。



 けれど。


 王弟殿下のお茶くみ係は続行でという知らせを受けただけで、私の心は浮足立ってしまっていたから。


 まさか久々に向かった先で、衝撃的な事実を知ることになるなんて。



 この時の私はまだ、何一つ分かっていなかったのだ。



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