第34話 出生の秘密
「カリーナ…?」
ただの疲労と寝不足。あとは栄養が足りてないと診察の結果言われていた殿下は、その後も私の膝の上で眠り続けていて。
なぜかお医者様には微笑ましそうな顔で「余程貴女の膝枕が気持ちいいんでしょうなぁ」と言われてしまったけれど。それでも結局セルジオ様も殿下を起こしたくないからと、そのまま自然に目覚めるのを待っていた私たちの耳に、小さく呟くような声が聞こえてきて。
「殿下…!」
「……これは、夢の続きか…?」
「ち、違いますっ…!!夢じゃなくて現実ですよ…!!」
一度寝ぼけた状態の時に夢だと錯覚していたからか、どうやらその続きだと思っているみたいで。
また同じことをされたら私の心臓が持たないので、今度は急いで否定する。
「夢…では、ない……?」
「殿下。カリーナ嬢はご無事でしたよ」
何度か瞬きをして確かめているのであろう殿下に、セルジオ様が優しく声をかけると。
「はわっ!?!?」
一度大きくその淡い瞳を見開いて、勢いよく起き上がったかと思ったら。
今度はその腕に、力強く抱きしめられてしまった。
「あ、あのっ…殿下っ…」
「カリーナっ…!!」
耳元で吐息と共に吐き出された私の名前は、掠れているのにとても熱くて。
一瞬、勘違いしてしまいそうになる。
けれど、これは違う。私はただ、殿下に心配をかけさせてしまっていただけで。
いや、それだけなんて言えるようなことでもないけれども。
あぁ、もうっ…!混乱とドキドキで頭が正常に働いてくれない…!!
「良かった、カリーナ……無事で、本当に良かった…」
ついたため息はきっと、安堵から来たものだったのだろう。
それに私はハッとさせられる。
「すみません、殿下…!あの、私っ…ものすごく、ご迷惑とご心配をおかけしてしまったようで…!!」
「……あぁ。心配した。ある日突然消えたのだ。心配しないわけがないだろう」
「はい…本当にすみませんでした……」
セルジオ様とお話ししたときもそうだったけれど、殿下のこの様子からも私が解雇されたのだとは微塵も感じられない。
要するに、私はあの貴族のご令嬢方に騙されたということなんだろう。
しかも、逃げ道を完全にふさがれた上で。
「セルジオ」
「は。どうやらカリーナ嬢を連れ出したのは数人のご令嬢のようでして。おそらくその関係者含め、かなり前々から周到に準備されていたものではないかと推測いたします」
「なるほど、な。つまり城の中を守るはずの者達の中にも、裏切り者がいるということか」
「う、裏切り者…!?」
「王族である陛下と私の意思に反した行いをした者を、裏切り者と呼ばずして何と呼ぶ?反逆者か?愚か者か?それとも大罪人か?」
「え?え?」
たかだか平民を一人、お城の中から追い出しただけで?ただそれだけで犯罪者扱いされるんですか?
まだ肩は掴まれたままだけれど、一応体を離してくれた殿下がこちらを真っ直ぐ見てそんなことを言うから。
言葉にはできないまま、それでも疑問だけが頭の中に浮かんでは消える。
「……あぁ、なるほど。まだ誰からも聞いてはおらぬのか」
そんな私の様子を見て、何を思っているのか察したらしい。流石殿下。
そういえばつい先ほどもセルジオ様は名前を呼ばれただけで、殿下が何を聞きたかったのかすぐに理解していたけれど。
本当にこの主従は、察しが良すぎると思います。
「殿下は、コラード殿から直接お話を?」
「あぁ。まさかオルランディ家だったとは、予想もしていなかったが……。あまりにも私に都合が良すぎて、いっそ仕組まれていたのではないかと疑いたくなるな」
「殿下……」
くっと、殿下が珍しい笑い方をする。
私がそれに驚いていると、セルジオ様もどこか驚いたような声で呟いて。
セルジオ様がどんな表情をしていたのかは私には分からなかったけれど、殿下は私の肩からも手を離したかと思えばセルジオ様の方へ向き直って薄く笑った。
「何。私も今回のことで反省したのだ。それに既にコラードと話はつけてある。あとは本人に伝えるだけだ」
なぜか突然、するりと頬を撫でられて。
「っ…!?で、殿下っ…!」
驚いた私はつい撫でられた場所を手で押さえながら、少しだけソファの上で後ずさってしまう。
今日、殿下、なんか、変っ…!!
「なるほど。そういうことでしたら、私も精一杯お手伝いさせていただきます」
「あぁ、頼んだぞ。それと、カリーナ」
「な、何ですか…!?」
「正式な書類の手続きはこれからだが、今後はオルランディの姓を名乗るように」
「おる…え…?」
そういえば、セルジオ様が私を迎えに来てくれた時もそんなような名前を聞いたような気がする。あとコラードっていう名前も。
「オルランディ、だ。この国の筆頭公爵家にして宰相家。カリーナの父親は、そこの前当主だ」
「…………筆頭……え?宰相…?私の、父親……?」
待って、下さい。今あまりにも、情報が……。
むしろ、間違いとかでは…?
「コラードというのはオルランディ家の現当主だ。残念ながら前当主は十年前に事故で既に亡くなっているが…」
「十年…………あぁ、だから……」
その頃はちょうど、王都自体がなんだか暗い雰囲気に包まれていて。詳しいことは何一つ分からない子供だった私にも、それが嫌というほど分かるくらいだった。
何より。
「何かあったのか?」
「……母が…夜中一人でこっそりと泣いていた時期なんです…。なんだかずっと元気がなかったのは、父が亡くなったことを知っていたからなんですね…」
筆頭公爵家とか宰相家とかはまだ何も受け入れられないけれど、十年前に会ったこともないはずの父親が亡くなっていたのだということだけは、妙に納得できた。だからあの時期、母も街もあんなに暗かったのだ、と。
「カリーナ嬢。貴女の本当の名前は、カリーナ・オルランディ。筆頭公爵令嬢なのですよ」
「公爵、令嬢……私が、貴族…なんですか…?」
「そういう事になるな」
それは十七年間知ることのなかった、出生の秘密。
もう両親は二人とも亡くなってしまっているので、どうやって二人が出会ったのかを知ることは出来ないけれど。それでも私が生まれてきているということは、きっとそこにだって何かしらの物語があったはずだ。
それがいいものなのか悪いものなのかは別として。
「何か余計なことを考える前に一つ伝えておくが、前宰相と本当に愛し合っていたのはカリーナの母親の方だ。オルランディ家のジャンナ夫人は政略結婚の相手で、お互いそれを分かった上での婚姻だ」
「え……」
「愛はなくとも夫婦の情くらいはあったのだろうがな。だがそれ以上の話は私からすべきではないだろう。直接ジャンナ夫人の口から聞くか、あるいはコラードから聞くか。どちらにせよ公爵家へ向かうことになるのだ。その時にでも話してくれるのではないか?」
「公爵家、へ……?え、私……公爵家に行かないといけないんですか…!?」
「当然だろう?あちらは長年の悲願だったと言っていたし、何より待ち望まれているのだ。邪険にされることはまずないのだから、安心して向かえば良い」
「え、いや……え…?」
普通に考えたら私、浮気相手の子供とかそういうのじゃないんですか…!?なんで望まれているんですかね!?
「オルランディ家の事情は、流石に私も詳しくは存じ上げませんが…それでも貴女の兄上であるコラード殿には、よろしくと頭を下げられましたので。今回貴女の居場所を知ることが出来たのも、彼が陛下に貴女の真実をお話しされたからです」
「な、んで……だって、見ず知らずの相手、ですよね…?」
「貴女にとってはそうかもしれませんが、オルランディ家からしてみればそうではなかったのでしょうね。運悪く迎え入れる機会を逃してしまっていただけで、本当はもっと早く貴女方を公爵家に入れるはずだったそうですから」
「それ、は……つまり…」
「最初からそういう話を了承した上での婚姻だったという事だろうな。だがなるほど。その話を聞いて一つようやく納得がいった。だからあの教会の孤児院にいたのか」
「偶然ではないのですよ。仕組まれていたわけではありませんが、陛下が仰っていましたよ。キツネどもにまんまと騙されていた、と」
「……よもや、父上までか…?それはまた……丁重に守られていたようだな、カリーナ」
「…………すみません……もう、なんか……話に、ついて行けないんですが……」
私は一切知らなかったのに、なぜか向こうは私も私の母のことも知っていて。むしろ最初から迎えに来るつもりでいたことを知って。
しかもなぜか、今回私の居場所まで知られていたらしい。
それと、えっと……教会の孤児院に私がいたのは偶然じゃない…?
そして王弟殿下の父上ということは、前の国王陛下で…………
あぁ…なんだか考えすぎて頭が痛くなってきた……
「あまり難しく考えずとも良い。まずは自分が何者であるかを自覚すれば、それだけで良いのだ」
「自分が、何者であるか……」
それはきっと貴族として、公爵令嬢としての自覚を持てということなんだろうけれども。
十七年間、ずっと平民として生きてきた私がいきなり貴族の、しかも筆頭公爵家の令嬢なんて。そんなもの自覚以前に務まるのだろうかと不安になってしまう。
もしかしたら、物凄く情けない顔をしていたのかもしれない。
だからなのか、殿下は少しだけ困ったように笑って。
今度は私を優しく抱き寄せて、頭を撫でてくれる。
「案ずるな。オルランディ家だけではない。私も、セルジオもいる。何かあれば今度こそ、私たちを頼れば良いのだから」
その言葉も、頭をなでる手も、本当に優しくて。
思わず、そのままもたれかかってしまいそうになる。
きっと違う意味で大変な毎日が始まるんだろう。
けれど、今だけは。
この優しさに。
心地よさに。
甘えていたい。
置き去りにすることも忘れることも出来ないまま戻ってきてしまった恋心が、この先どうなっていくのかは分からないけれど。
それでも今だけは、不安をかき消してくれる存在に満たされていたかった。
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