第4話 王弟殿下という人

 王弟殿下のお茶くみ係として正式に働き始めてから早数日。

 ここまでで分かったことは、セルジオ様が私みたいな平民をお城に連れてくるくらいには、殿下は仕事ばかりしているということ。確かにこちらから声をかけなければ、休憩すら取ろうとしてくれなくて。

 一度今までの癖なのか、いらないと顔も上げずに言われた時は流石に腹が立って。手に持って読んでいる資料をひったくってしまったことがある。


「いい加減にしてください!!休憩を挟んだほうが作業効率が良くなることくらい、平民だって知ってますよ!?偉い人がその見本にならなくてどうするんですか!!」


 いや。正直言い切ってから、やってしまったなとは思ったんだ。相手が王弟殿下だということをすっかり忘れてしまっていて。

 だって本当に、ずっと休憩なしで働きっぱなしなんだもの!!お茶の時間は午前と午後に一度ずつあるのに、これじゃあ昼食だってまともに取っているのか疑問なくらいで。


「……とりあえず、その資料は返してくれないか?そこまで読み終わらせておきたいんだが…」


 この時は初めてそんな態度を私がとったからか、殿下の方があっけに取られていて。

 でもだからこそ、もうやってしまったことは取り消せないし。このまま押し通してしまえと度胸がついたのかもしれない。


「読み終わったらちゃんと休憩してくださいますか!?」

「あ、あぁ…約束しよう」

「聞きましたからね!?私今から準備しますからね!?」

「……なるべく早く終わらせる…」


 言質を取ったとばかりに、胸を張って一つ息をついて。資料を机の上に置いてから、私は宣言通り茶葉を選び始めた。

 そんなことがあった日から、殿下は割と素直に休憩を取ってくれるようになって。どうやら従わないと書類をまたひったくられると思っているらしく、本当に忙しい時は終わらせたい書類だけを横において、これが終わるまで待ってくれと言われるようになった。

 私としては仕事がちゃんとできるし、何よりあんなことしたのにお咎めなしだったわけだから。これ以上ないような状況に、一人満足していたんだけれど……。


「カリーナ嬢。私は貴女に来ていただけて、助かっています。えぇ、本当に。心底感謝しています。ありがとうございます」


 そんな風に真剣な顔をしてセルジオ様に頭を下げられた時には、流石に困惑してしまって。


「えっ、あのっ…!やめてください、そんな…!!私はただ、お仕事をしているだけで…!!」

「いいえ。カリーナ嬢はご存じないでしょうが、今まで殿下は私が何を言っても執務の手を止めてはくださいませんでした。それがカリーナ嬢にかかれば一発で変わられて……えぇ、えぇ、本当に…食事の時にもいて欲しいくらいです」


 感慨深そうに、セルジオ様はそう言っているけれど。

 いやあの、最後の本音…。


「殿下は食事すらまともに取ってくださらないんですね……」

「休憩は取るから大丈夫だとおっしゃられて、今でも時折昼食を抜かれることがあるのです」


 今でも、って…前は休憩どころか食事すら取ってなかったってこと…?

 確かにそんな相手が主人じゃあ、セルジオ様の心労は絶えなかっただろうなぁ…。私ですら倒れないか心配になるんだから。


「いっそ、もっとちゃんとお腹に溜まるようなサンドイッチとかをお出ししましょうか?」

「いえ、それだと本当に食事を抜くことを良しとしてしまう方ですから。できれば食欲を煽る方向でお願いしたいです。もしくは先日と同じように叱責していただくか…」

「あの…正直あれはあの場の勢いと言いますか……むしろ王弟殿下に対してあんなこと……」

「いいえ!殿下にはあれくらいが丁度いいのです!でなければいつまで経ってもまともな生活をしていただけないのですから!!」


 そういえば、最初に寝食を惜しんでって言ってたもんね。きっとあれ"惜しんで"なんていう軽いものじゃないんだろうな、実際は。

 今度目の下にクマとかできてないか注意して見てみようかな。

 …………いや、流石にあの美形を見続けるのはちょっと……しかも一応王族だし。そう、一応。仕事をしてるところしか見たことないから、どうしても実感ないけど。あの人この国で二番目に偉い人なんだよ。殿下だし。


 そう。そのはず、なんだけれど……


「ん?今日のこれは何だ…?」


 初めて見たのか、テーブルの上に置いたお菓子を見つつ首を傾げる姿は、優雅なんだけれどどこか子供っぽくも見えて。美形なのに親しみやすいって、すごい才能だと思う。


 あぁ、えっと。そうじゃなくて。


「ジャガイモを薄くスライスして、油で軽く揚げて塩をまぶしたものです」

「ポテトフライの一種か?」

「そうですね。庶民はあまり油を大量に使えないので、少ない油で同じようなものが作れないかなと試行錯誤してみたら、食事ではなくお菓子になってしまったものですが……味は保証します。子供たちにも人気でしたし」

「なるほど…」


 一つ摘み上げて、なぜか光に翳してみたりしているけれど。殿下、それ何の意味があるんですか?流石に向こうが透けて見えるほど薄くはないですよ?


「ん…!?なんだこれは!?食感が楽しいぞ!?」

「薄い分パリパリに仕上がっているので」

「これは面白いな…!カリーナ、これに名前はないのか!?」

「孤児院ではポテトフライからもじって"ポテトクリスプ"と呼んでいました」

「なるほど、クリスプか。確かにそういう食感だな」

「あと運ぶときに注意しなければすぐに割れてしまうので。そういう割れて砕けてしまいやすいところも、まさにクリスプと呼べるのではないか、と」

「そうだな。流石に外にまで持ち出せるような菓子ではなさそうだな」


 そんな会話をしながらも、やっぱりお皿の上に乗っているお菓子は次々と殿下の口の中に消えて行って。油と塩味を紅茶ですっきりさせるとまた食べたくなるのか、同じようなペースで紅茶も減っていく。なくならないように継ぎ足しはしているけれど…。

 なんだろうなぁ。これだけしっかり食べたり飲んだりしてる人が、食事を抜くなんて思えないんだけど。

 私の中の王弟殿下という人は、食べるのも飲むのも好きな人、なのだ。そこに至るまでの過程は面倒くさがることもあるけれど。


「カリーナの作る菓子は私の知らないものばかりで本当に面白い。今度は紅茶ではなくワインに合うような、何か一品を作って欲しいものだな」


 ほら、また。

 食べ物関係の話をしている時、殿下の淡いブルーの瞳はすごくキラキラと輝いていて。

 というかこの状態の殿下って、いつもに増して女性にモテそう。巷では男は胃袋から掴めって言う人もいるけど、あながち間違いじゃないのかもしれない。


「ワイン、ですか?流石に飲んだことがないので、何が合うのかは想像するしかありませんが…」

「出来るのか?それならいくつか案を出してくれないか?いい赤ワインが手に入ったので、今度兄上と一緒に飲もうかと思っているのだ」

「赤、ですか…それなら、そうですねぇ……」


 前に野菜のクラッカーとかの話をしたけど、たぶんそれなら白の方がいいよね?あっさりしてるし。

 赤、かぁ…お肉とかが合うっていうし、しょっぱいものの方が相性いいのかな?だとすれば……


「焼きチーズや、塩味のきいたラスクなどはどうでしょうか?」


 チーズはフライパンでパリパリに焼けばいいし、ラスクだってガーリックとオリーブオイルで香りづけしたものなら十分合うと思う。


「ただのチーズではなく、焼くのか?それにラスクは甘い菓子だろう?」

「ただ焼くのではなく、薄く伸ばしてそのジャガイモと同じようにクリスプにするのですよ。パリパリとした食感が楽しめるという点では同じですね」

「なるほど。……いや、それならばこのポテトクリスプもワインに合いそうだな」

「ちなみにラスクは砂糖やハチミツを使わないで、ガーリックとオリーブオイルで香りづけをしたものに、軽く塩を振ってバジルをかければいいのではないかと思うのですが」

「それは……一度食してみたいな。紅茶にも合わないわけではないだろう?」

「殿下、前に執務中に酒が恋しくなっては困るとおっしゃっていませんでしたか?」

「それとこれとは別だろう。どうせなら焼きチーズというのも試してみたい」


 この顔はどう見たって、食べることが大好きな人のはずなのに。なんでお菓子はよくてご飯はだめなのかなぁ?

 もしかして、食事には何か苦手なものでも出てきてるのかな…?


 とはいえ、今はとりあえず。


「分かりました。では明日、焼きチーズをお持ちします」

「うむ。楽しみにしている」


 上機嫌な殿下に、これで今日もちゃんとお勤めを果たせたなと満足した私だったけど。

 あとからよくよく考えてみたら、王弟殿下の兄上って……この国の国王様じゃない!?

 え、私国王陛下にお出しするようなものを作れって言われてたの!?何それ!?!?


 ついつい殿下が親しみやすすぎて、そのことに思い至ったのが寝る直前だったなんて。


 そんなこと、誰にも言えなかった。







―――ちょっとしたあとがき―――


 国によって、ポテチの呼び方は色々と違うそうです。

 この世界のこの国では、とりあえずポテトクリスプと今後呼ばれることになるでしょう。

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