変化5.肉食になった彼女

 佐久間さんは、僕を優しく抱きしめてくれた。


 久しぶりの……だけど数回しか感じたことのない感触に戸惑いながら、そのまま僕は体重を預けるような形で、彼女の背中に手を回した。


 高校の頃はこうやって抱きしめ合うのもお互いに恥ずかしがって、なかなかできなかったんだよな。


 そんな風に抱きしめ合っていると、僕の中の罪悪感がどんどん大きくなっていく。


「ごめん、霧華さん。僕、最低なことを言ったよ……」


 僕の謝罪の言葉に対して、彼女は僕を胸に抱いたまま背中を何回かポンポンと叩いてくれた。


「んー、別に怒ってないよー? ウチも浮気云々言ったから心配になったんだよね? まー……こんな風に抱き合うってのははじめてじゃないし、たまーにやってるかなぁ?」


「え?! やってるの?! 他の男と?!」


 驚いた僕は思わず彼女の胸の中で大きく動いて、顔を思いきり上げてしまう。


 僕の反応に驚いたのか、彼女は目を丸くしてしまったという表情を浮かべている。


 いや、さっきやるのは僕にだけって言ってたじゃない?! いきなりそんなこと言われたら驚くよ?! 衝撃の事実過ぎて混乱するんだけど?!


 僕の狼狽ぶりに、佐久間さんはちょっとだけ苦笑しながら頬をかいていた。


「誤解させるようなこと言ってゴメン!! あ、アレだよ? 女の子同士で抱きしめ合うとか、そんな感じだよ? 男の子でやるのはタケシだけだから! これはホントだよ!! ……信じられないかな?」


 小首を傾げながら佐久間さんは僕をウルウルとした瞳で見てくる。なんだか泣きそうな表情で、それはちょっとずるいと思うんだ。


 最後の「信じられないかな」という言葉だけが、とても不安気で昔の彼女そのままだから余計にそう思う。


 僕は一気に頭に上った血が冷え込んで、気が抜けた様にまた彼女の胸に自分の頭をぽふんと乗せた。彼女は抵抗することなく、また僕を軽く抱きしめる。


 その時に、はじめて気が付いた。


 佐久間さんの心臓の音が……早鐘のように鳴っているのだ。


 先ほどまでは僕は自身が慌てていたから全く気付かなかったけど、佐久間さんは僕と同じように……いや、下手したら僕以上にドキドキしている。


 表面上は平静にしていて抱きしめる事なんて手慣れているように見せてるくせに。


 これは一度驚いて、冷静になったからはじめて理解できたことだ。


 うん……彼女は表面上は変わったように見えても、きっと内面は何も変わってない。表面上の変化が物凄い大きいから目を奪われていただけなんだ。


 だから僕は、この早鐘のような心臓の音を聞いて……彼女を信じたいと思った。いや……。


「霧華さん、信じるよ。大好きなキミを僕は信じる」


 信じたいんじゃなくて、彼女を信じよう。


 ……なんで女の子同士で抱きしめ合うとか言う行為をしていたのか疑問は残るけど。


「タケシ……ありがとー、チョーうれしーよ。本当にありがとう。そういうところ、変わってないよね。だから……おりゃあッ!!」


 そのまま僕等は抱き合ってこのまま穏やかな時間が流れる……かなとか思ってたら、不意に僕は前方からグイッと力強く押されてしまう。


 突然の事にそのままバランスを崩した僕は、彼女から押し倒されるような形になった。


 というか実際に押し倒された。


 僕の腰の上あたりに彼女が乗っかり。そして、佐久間さんの笑顔は先ほどまでと異なり瞳が怪しく光っているような錯覚を僕は覚えた。


「……タケシさぁ。オッパイに顔を埋めるだけで今日はお終いとか思ってるー? それ以上……したくないのかなぁ?」


「へ……? それってどういう……?」


 妖艶に微笑む彼女は、まるで獲物を捕食する肉食獣のように舌を出してペロリと唇を舐める。


 さっきの以上にドキドキしながら、僕は佐久間さんに圧倒されていた。


「最後までシちゃおっかってぇ……お・は・な・しー! ほら、ウチら色々とご無沙汰だしさぁ、気持ち的にもスッキリしたいと思わないかなぁ?」


 ご無沙汰って何?! あ、会うのがご無沙汰って意味だよね?!


 僕等は高校の時は一切そう言うことして無かったよね?! お互いに初めてだよね?! 何その経験豊富そうなムーブは?!


 僕に構わず彼女は自身の上着をほんの少しだけはだけ、慣れた手つきで僕のシャツのボタンをはずして胸を撫でるようになぞってくる。


 僕は慌てすぎてされるがままで、彼女はそんな僕をまるで新しい玩具で遊ぶかのように、楽しそうに眺めていた。


 そして彼女の唇が僕の首筋にゆっくりと近づいてきて、触れようとした瞬間……。


 グウゥゥゥ~……。


 と、非常に大きな……まるでギャグ漫画のように大きな腹の虫が静かな部屋に鳴り響いた。


 音の主は……佐久間さんである。


 密着してるから、その音が余計に大きく感じる。何だったら振動まで来たような気がする。気のせいかもだけど。


 ピタリと彼女の動きが止まり……僕は思わず吹き出してしまった。


 彼女は顔を真っ赤にして、僕の首筋から顔を離す。


「もー!! 何よコレェ!! なんなのぉ!! ハズイ……もうヤダァ……せっかく覚悟決めて良い雰囲気作ってこれからって所でぇ!! あーもー!! タケシも笑わないでよ!!」


「アハハハ……いや、だって……。これは……クク……仕方ないでしょ……。凄い良いタイミングだったし……お腹空いてたの?」


「ひどい! 彼女の恥ずかしい姿見て笑うとか!! あーもーシラけちゃったよ! 今日はもうご飯食べてうち帰る!! ママとパパにも夜には顔見せろって言われてるし!!」


 プリプリと怒った彼女はそのまま僕の上から降りると、お尻をふりながらスタスタとキッチンの方へと移動していった。


 どうやら、何か作ってくれるみたいだ。


 冷蔵庫の中身を勝手に使っていい旨を伝えると、彼女は少しだけ怒った声色を出しながらも料理にとりかかる。


 その後ろ姿を見て、彼女が変わったのか変わっていないのか僕には分からなくなってしまった。


 いや、離れている間に肉食……いや、猛獣と化しているのは分かった。あれは完全に捕食者だ。


 こっちに居た頃は佐久間さんは間違ってもあんなことはやらなかい。恥ずかしがってできない人だった。


 押し倒されて、なぞられた胸に彼女の指の感触がまだ残っている。こんなこと……どこで覚えたんだろうか?


 どこで覚えた……まさか教えられた?


 大丈夫だよね……。さっき信じるって決意したばっかりだけど大丈夫だよね?


 これ、寝取られて他の男に色んな事を仕込まれちゃったとか、そんなエロ同人誌みたいな展開無いよね?


 僕の不安を他所に、彼女はぶちぶちと文句を言いながらも勝手知ったる何とやらで……最終的には鼻歌を歌いながら料理をしていた。


 佐久間さん、僕は君を信じているよ。……信じていいんだよね?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る