第27話 不安と安心

揺れる馬車の中で何度も深呼吸を繰り返す。いよいよ婚約式の当日だ。


昨日お昼過ぎに別邸へと着くと間も無くしてデワイス家の使用人が訪れた。

 出発前に作って保存箱に入れておいたクッキーを取り出し渡すとそれを受け取った使用人の女性は一礼し、何も言葉を発する事なく帰って行った。その様子をただ静かに見守ってくれていたアリーは、デワイス家の馬車が見えなくなると、メイドさんと一緒に玄関に塩を撒いてくれた。ちょっとスッキリした。







 何も悪い事が起きませんように。


 何度も何度も心の中でそう繰り返す。今は馬車の中に一人きり。

 デラーレ家の王都別邸を出発し王城へ向かう馬車はデラーレ家とは別々を希望した。デラーレ伯爵が私の後ろ盾になっている事は貴族の世界では周知の事実だけれど、私自身が本日の主役である王子やサブリナ様との関係が良くない今、少しでも距離をとっておきたかった。

 アリーもおじ様おば様もそんな事は気にしなくてもいいと何度も仰ってくれたけれど、私が近くにいるせいで他の貴族に後ろ指を指されるような事になってほしくなかった。


 だから、馬車もデラーレ家で一番シンプルな家紋も入っていないものをお借りした。本当は乗合馬車でも良かったのだけれど、そんな格好で乗合馬車に乗ることはあり得ないと却下されてしまい結局申し訳ないけれど、御者と馬と馬車をお借りして移動することになった。


 でも今、冷静になって考えてみると、確かにこの格好で乗合馬車は乗れない。


 ヨイネさんが私用に手を加えてくれたドレス。今着ているこのドレスを見たときは衝撃的だった。

 採寸した日に見たドレスは全体的に淡く儚い印象だったのに、全く違うドレスへと変貌を遂げていた。


 胸元は濃紫色で煌びやかにスパンコールが散りばめられ、まるで満天の星空のよう。それらを統べるように胸下中央には一際存在感を放つアメジストが艶めき、そこから星空のスカートが左右それぞれ、下へと流れていく。スカート中央からは土台となったドレスの美しく柔らかい菫色が覗き、左右に広がる星空から覗く明るい菫色のコントラストがまるで夜明けのよう。

 優しく可愛いらしい印象から強く美しい見た目へと変貌を遂げたドレスとそれを作り上げたデザイナーであるヨイネさんに大きな拍手を送った。それぐらい感動したのだ。プロって凄い!  

 因みにそんな私の姿を見たヨイネさんは笑ってくれたけれど、アリーからはその後『淑女とは』講座のお誘いがあった。断れなかった。もちろん先生はアリーである。


 そんなわけで、今は大変美しいドレスを着させていただいているので、汚すわけにはいかないのだ。だから出来るだけ歩く距離の少なく済む、専用の馬車を用意して頂いて本当に良かった。何も考えず乗合馬車で行こうとしたあの時の私はポンコツである。




「........綺麗だなぁ」


 馬車の中で一人ため息を吐きつつ、ドレスをそっと撫でる。

完成したこのドレスを見たとき


『ネムみたい.....』


言葉にするつもりはなかったのに無意識に溢れてしまった声が、隣にいたヨイネさんの耳に届いてしまった。


『ネム?とは一体?』

『はっ!?すみません。あの〜そのぉ...ネムは私の大切な人というか、好きな人というか、こ、こ、恋人というか…その人の髪の色も綺麗な紫色なもので...つい』

『あぁ!なるほど。そういうことだったのですね。実はですね、このドレスの色はアリーナお嬢様のご注文なのですよ』



ヨイネさんがこっそり教えてくれた話。

 アリーは私が慣れない場所で少しでも心安らぐようにと、この色を指定したらしい。

朝までベッドで語り明かしたあの日、私が話したネムのことを覚えていてくれたのだ。

 ヨイネさんは紫色は私の好きな色だと思っていたらしくそれが別の理由だと分かり、なんとも言えぬ温かい視線を送られた。すぐ横からのその視線にどんな反応をしていいかわからず、少し戸惑ったけれど、それ以上にアリーの心遣いが嬉しすぎて思いっきり抱きついた。淑女講座が長引いたのはたぶん、これのせい。照れ隠しが入ってるところがアリーの可愛いところなのだ。厳しいところは可愛くない。


 それからアリーの淑女講座に始まり早朝からのマッサージ、メイク、お着替え、ヘアセット、目が回るような時間を走馬灯のように思い出した。思い出すだけで白目になりつつ降ろしている髪を一房取る。

 髪は尖った耳が出来るだけ目立たないような髪型をお願いした。我がままを言って申し訳ないなと思ったけれど上の方だけを花やリボンと一緒に編み込んでくれてすごく素敵な髪型にしてもらえた。メイドさんありがとうございます。

 ネムにもらったイヤリングはもちろんしているけれど、髪の毛に隠れてしまっている。周りからは見えないけれど歩くたびに耳元で揺れるイヤリングがちゃんとそこにあるのだと主張して私に元気をくれる。

 フレイヤは貰ったその日に枯れないように魔力を流し込み今日まできちんときれいに咲いている。それを花のチョーカーと一緒に首へと着けてもらった。

 だから、フレイヤの方は周りからも、みてもらえる位置にある。ただ一つ残念なのは、ネムの瞳のように綺麗な色だった花びらの色が少し翠色が混じったように変色してしまった。私が魔力を流してしまったからかもしれないと少し悲しかった。

 それでもネムから貰ったものに変わりはなく側にいるみたいで心強い。ネム、私頑張るよ。また森で会った時は頑張ったねって褒めてほしいな。



 そうこう考えているうちに馬車はいよいよ会場である王城に到着した。

御者の人が扉を開けてくれたので重い腰を上げて馬車から降りる。


「お手をどうぞ。ミューリア嬢」

「え...。ーーエヴァンさん!?と、ぐぅちゃん!」


目の前には貴族仕様のエヴァンさんと、しっかりスーツを着こなしたあなた誰?状態のぐぅちゃんが居た。


「ミューリアちゃん、今日は一段と美しいね。そのドレスとても似合ってるよ」

「馬子にも衣装だな」

「ありがとうございますエヴァンさん。...ぐぅちゃん、そっくりそのままお返しするよ」


 会えると思って無かった二人に会えて憂鬱だった気持ちが少し軽くなった気がする。

 でも、貴族のエヴァンさんはともかく、なんでぐぅちゃんも?


「どうやら国中の先祖返りも招待されてるみたいだぞ」

「なるほど。...そんなに顔に出てた?」

「あぁ。なんで居んだよって顔してきてたわ」

「さすが、幼なじみ」


 面倒くさそうに頭を掻こうとして髪の毛をセットしていることに気がつき大きく溜息をつくぐぅちゃん。見た目は完璧なのにやっぱり中身はぐぅちゃんそのままで安心する。


「本当はエスコートしてあげたいんだけど、僕には将来を誓い合ったアコという愛らしい婚約者がいるからね。一人で行くとするよ。グレンでは不安だろうけど勘弁してね」


エヴァンさんは爽やかなのに胡散臭いウインクを一つして一足早く会場へと入っていった。


「まぁ、俺なら何をされようが何を言われようが関係ねぇしな。今日はニコもいねぇし、仕方ねぇからエスコートしてやるよ」



 ぶっきらぼうに腕を差し出すぐぅちゃんに苦笑いを返しつつ有り難く手を添えた。

 本来、貴族の夜会などでは女性は男性にエスコートされて入場するらしい。必ずしもでは無いけれど暗黙の了解なのだそうだ。その為アリーは婚約者と、おじ様はおば様と入場している。アリーが私をエスコートしてくれるように交流のある貴族の男性に声をかけようかと提案してくれたけど、お断りした。これ以上周りを巻き込みたくないから。暗黙の了解であったとしても、正式な決まりではないのなら一人で行っても問題ないだろう。その方が気も楽だし。


 そう思ってはいても不安だった。心細くてたまらないけれど、誰かを巻き込むくらいだったら一人で耐えた方がいい。そう自分に言い聞かせていた。

 でも、ぐぅちゃんならいっか。だって彼は強い。力も心も。ごめん。信頼する私のお兄ちゃん。巻き込んでごめんね。


「ありがとう、ぐぅちゃん」


ごめんねとは口に出さない。ぐぅちゃんとは長い付き合いだからきっとこういう時ごめんなさいは要らないんだ。


「それにしても、やっぱり知られちゃってたかぁ。恥ずかしいなぁ」


私は苦笑いでぐぅちゃんの隣へと並ぶ。


「まぁな。幼なじみの兄ちゃんだからな。可愛い妹があんなにしょげてたら気にもなるだろ」


エヴァンさんが学園でのことを教えてくれたらしい。帰ってきて直ぐに私のところへ、ルルを飛ばしたのも心配してくれてのことだったみたい。

 ぐぅちゃんはいつも優しい。本当の妹のように気にかけて困ったときは手を差し伸べてくれる。いつもその優しさに救われるのだ。


「やめてよ。せっかくのお化粧が崩れちゃうよ」

「そういやぁ、ちょっと太ったか?元気そうでなりよりじゃん」

「.....アリガトウ。クズレズニスンダヨ」

「ッイテテテテ」


割と握力は強い方です。



 なんやかんやと言い合っている間にいよいよ会場の前へとやって来た。

 招待状を受付で確認してもらい、いよいよ大きな扉が開かれる。


「俺たちの美貌見せつけてやろうぜ」

「ふふ。そうだね」


さぁ、いよいよだ。

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