第21話 幼なじみ
こんなにも別れる時間が惜しいと思ったのは、初めてかもしれない。それでも、家へと足を向けられたのは三日後の夜に会う約束をしたから。
初めての恋。想いが通じ合うなんて思ってもみなかった。嬉しすぎてまだドキドキしてる。何だか頭もふわふわするし、きっとお酒を呑んで酔っぱらうってこんな感じなんだろうなぁ...夢みたい。
ネムと過ごした時間を思い出して緩む頬をなんとか抑えていると、家の表に立派な馬車が止まっているのが見えた。
あの形、あの百合の紋章.....まさか
見覚えのある馬車にいても経ってもいられず、残り少ない玄関までの距離を全力で走って取手を掴み勢いよく扉をあけるとーーーー
「おばさまの淹れてくださったお茶やっぱり美味しいわぁ」
「そう?喜んでもらえて嬉しいわ。」
「すっかり大人なべっぴんさんになって、おじちゃんは寂しいなぁ」
「まぁ、おじさまったら」
食卓を囲み和やかな会話をしていた三人が突然開いた扉へと一斉に視線を向けた。
お父さんとお母さん。そしてもう一人。
シンプルな質の良いワンピースを着た赤毛の美女がその猫の様に愛らしい大きな瞳をこちらに向けて見開いている。
「アリー.....」
呟きが零れ落ちると同時に音もなく立ち上がったアリーは速足でこちらへと向かってくる。そして無言のまま私をキツく抱きしめた。首の後ろに回された腕が力強く、少し苦しかったけれど震えていることに気が付いたらもう、何も言えなかった。
ごめんなさい。アリー。
ただ抱きしめられているだけだった私は、アリーを抱きしめ返したくて、腕をあげようとした。
その時ーーー
「ミュー。お説教の時間よ」
「・・・・ぇ"⁉︎」
ボソリと耳元で呟かれた低音に、身体中の血の気が一気に引いていくのが分かる。
もちろん、抱きしめ返す為に上げかけた腕はぶらーんと私の体の横で揺れている。
今度は私が震える番のようです。
アリーはガバっと私を引き剥がすと、ワンピースの裾をふわりと揺らしながらくるりとお父さんお母さんの方へと向き直った。
「おじさま。おばさま。急で申し訳ないのだけど、ミューをお借りしてもいいかしら?せっかく久しぶりに幼なじみに会えたんですもの。積もる話もありますし...ねぇ?ミュー?」
最後に不穏な雰囲気が漂ったような気がしたて、思わず一歩後ろに下がろうとしたけれど、無情にもカツンとブーツの踵は扉にぶつかり、後退ることも許されなかった。
両親に温かく見送られながらアリーの馬車は走り出した。小窓からは夕陽が染めた柔らかい橙の空が見える。私達はお互い言葉を交わすことなくただただ、外の世界を眺めていた。
デラリアの屋敷に着いたのは家を出発してから2時間ほど経った頃だった。すっかり夕陽も沈みきり紺色の空で星達が瞬いている。
「お帰りなさいませ。お嬢様。夕食の支度が出来ております。どちらでお召し上がりになりますか?」
「ありがとう、トーマ。今日は自室で頂くわ。」
「かしこまりました」
屋敷の中へ入ると、スーツをきっちりと着こなした初老の男性が出迎えてくれた。執事のトーマさんだ。幼い頃からお世話になっている方で、全く老を感じさせないほどのピンとした背筋はとてもカッコいい。ここへ訪れるといつもアリー同様に私の事も丁寧に扱ってくださる。
「これは、ミューリア様。お久しぶりでございます。また一段とお美しくなられた。さぁ、どうぞ、今日はごゆるりとお過ごし下さいませ。何かございましたらなんなりとお申し付けください」
「お久しぶりです。トーマさん。ありがとうございます。今日はお世話になります」
綺麗な一例のあと、微笑んだトーマさんの目尻には少しシワが増えていた気がしたけれど、それがとても優しげで歳を重ねることは素敵だなと思った。
アリーの部屋について、勧められるまま椅子へと座る。その後アリーは着替えをしに衣装部屋へと向かったため、部屋には私一人となった。
お説教宣言された後、言葉を交わすことなくここまで来たので、なんだかソワソワして落ち着かない。だから、部屋を何となく見渡してみた。久しぶりに入った部屋は、カーテンやベッドは愛らしかったデザインの物から女性らしく清楚な物へと変わっていたけれど、家具の位置は幼い頃、よく遊びに来ていたままでそれを見ているとここでの思い出が鮮明に蘇ってくる。
無垢で無邪気だったあの頃が急に恋しくなった。なんだか鼻がツーンと痛くなってこみ上げてくるものがあったので、目を固く閉じて深く息を吸う。
すると、カチャリと扉が開きアリーが戻ってきた。その音に肩が少し跳ねたけれど、誰にも気づかれない程度に抑えられたのでよしとしよう。
テーブルを挟んで向かい合わせの位置に二人で座った。アリーの部屋で食事をいただく時はいつも最初に全ての料理をテーブルへと並べてメイドさん達は部屋をでていく。そうすれば二人で内緒話だってできるから。だから、今日もテーブルに料理を全て並べたメイドさん達は部屋を出て行った。
扉が閉まると同時にバンッと机を叩く音が耳に届く。私は肩を竦めてギュッと目を閉じて言葉を待った。
「ミュー。あなたは私の唯一なのよ。唯一無二の大切な大切な幼馴染みなの。どうして、私から離れてしまったの?どうして一緒に戦わせてくれなかったの?
そりゃ、領民や家族も大切よ?でもね、あなたは私の唯一なの。貴女の為なら国だって敵にして構わないわ。私の貴女に対する想いを舐めないで!」
泣くな。泣いてはだめ。
傷つけたのは私の方なのに...泣くなんてずるい。傷つけてしまったのは私なのにアリーの怒りの言葉はこんなにも温かい。
ぎゅっと瞑っていた目は、今度は出来るだけ溜まる涙を刺激しないように開いているのに...。
思い出に揺すられ、今に落された涙の雨粒は温度を持ってポタポタと握った手の甲に降り注ぐ。涙が止まらなくてただ、感情に任せて泣き続けた。
そんな私を見かねてか、アリーが立ち上がって側に来てくれた気配がするけれど、俯いたまま顔を上げることができなかった。
アリーはスカートの裾が床についてしまうことも厭わずしゃがみ、俯いている私の顔を覗き込んで優しい声音で話しかけてくれる。
「そうやって私の前で泣いてほしいよ。私はいつだってミューにハンカチを差し出す準備が出来ているし、いつでも抱きしめられるように腕だって広げて待ってる。だから、私を拒絶しないで.....
ごめん...ごめんなさいミュー」
差し出してくれたハンカチを受け取ろうと顔を少し上げた時、震えていた。アリーの優しい手が震えていたのだ。っはっとしてアリーを覗き込めば、その猫のように愛らしい翡翠の瞳に涙をいっぱい溜め込んで唇を噛み締めていた。
「ア、アリー泣かないで。どうして謝るの」
差し出してくれたハンカチをその優しい手ごと包み込んだ。彼女の震えが治りますように。アリーが泣く必要なんて、謝る理由なんてない。
「ごめんなさいミュー...。本当は分かっているの。あそこで貴女が私に手を伸ばしてくれても、私にはその手を引き上げる力はなかった。一緒に落ちてしまうだけだったの。それが分かっていたから、離れたんだって知ってた。あれはミューの優しさだった。あなたを叱る資格なんて本当は私にはなくて...あの世界から助けてあげる力がなかった自分が...情けない」
ポタポタとその愛らしい瞳から綺麗な滴がこぼれ落ちる。
違う。違うのよアリー。あなたに手を伸ばせなかったのは私の弱さだった。きっとアリーなら迷わず私と落ちてくれるって分かってたよ。だけど巻き込む覚悟が私には無かったの。落ちた先に責任が持てなくて、だから突き放してしまった。力が無かったのは私のほうだったんだよ。
私の弱さが貴女を傷つけて貴女の優しさが私を救ってくれた。やっぱりアリーは私の光だった。
そのあと、二人で抱きしめ合って子供の頃みたいにたくさん泣いた。お互い涙と鼻水でぐしゃぐしゃで最後は私たちひどい顔だねって笑い合った。
沢山泣いて、ようやくありつけた豪華な食事は鼻が詰まって味がよく分からなかった。
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