第12話 エヴァン登場
キーン
目には見えない、すべての音を拒絶する防音の壁が私達3人を囲った。
「さて、ミュー。本題に入るぞ。」
急に改まったぐぅちゃんの様子に思わず背筋を伸ばした。
「近頃、森の外で不穏な動きがあるらしい。狼達が警戒している」
「不穏な動き?」
「ああ。見知らぬ者達がこの森の入り口を彷徨いているみたいだ。狼は敏感だ。この森に悪意を持つモノは匂いでわかる」
「狼の森に悪意を?なぜ?」
この森の民はあまり外とは交流していないはず。普段の食糧は自ら作物を育て、肉は狼達と共に狩り自給自足をしている。だから森を出る時は刺繍を売ったり自分達では賄えない物を買う時だけだと聞いた。そこで悪意が生まれた?まさか、東の森の民はとても温厚で穏やかな人達ばかり。森の外、モナンの町の人達とは交流は少なくとも良好な関係を築いているはず。その可能性は信じられない。それにこの森は、外で暮らす人々にとっても大切なモノだ。そんな森を狼達が守っている。さらに獣達が町に出て悪さをしないように見張る役割までもをしている。
なのに、どうして悪意を?
「どうやらこの国にとって、もう森は必要ないらしい」
「え?」
ドクンと大きく心臓が弾み指先から熱が消えていくのが分かる。頭の中は真っ白で言葉を上手に紡げない。ぐぅちゃんの言葉が頭の中で繰り返し反響する。胸の中で騒つくこの感情は怒りなのか、悲しみなのか、絶望なのか...
「ぐぅちゃん、それはどういうこと?」
「エヴァンに調べてもらった。あいつも一応貴族だからな。使える伝手は俺より遥かに多い。少し手こずったようだが、答えを持って帰ってきてくれたよ。最悪の知らせだったけどな」
ぐぅちゃんは頭をガリガリとかきながら天井を見上げて大きく息を吐いた。ニコちゃんはそんなぐぅちゃんを心配そうに見つめている。
そして視線をこちらへ戻したぐぅちゃんは信じられない言葉を口にした。
"森を焼こうとしている"
「な...んてことを...」
唇が手が、足がカタカタと震えているのが自分でも分かった。胸のざわつきがどんどんと大きくなっていく。
なぜ?なんでそんな酷いことをするの?
森はただ他国からこの国を守って来たわけじゃない。自然災害からも人々の暮らしを守ってきた。それだけじゃない。水を浄化し蓄え、緑を育てて空気を綺麗にしてくれている。私達の生活に欠かせない木を育てているのは一体何だと思っているのか。
「まあ、考えてみれば不思議なことじゃない。すでに南と北の森は焼き払われ更地にされ、今や何も隔てるものがない国境は大賑わい。国も外交で潤った。"もっと"と思うのも、もう必要ないと思われるのも想像にたやすいことだ。今代の王は賢王と名高いが、俺にすれば、ただの愚王だ。森を焼くなど罰当たりにも程がある。確かに国が潤うことは良いことだ。だが、目先の喜びだけに目が眩み先のことなどまるで見えちゃいない。森が無くなれば空気が汚れ、水が濁り作物が枯れる。動物達が死に人間が増える。増えた人間は殆どの生きる術をすでに失い、僅かなそれを求め争いを起す。そうして、もう一度と手を伸ばした先にある緑はもう戻りはしない。全く愚かだ」
ぐぅちゃんの言う通りだ。なんて愚かなんだろう。森はこんなにも私達人間に恵みを与えてくれているのに。
"今ある恵を享受することを当たり前と覚え、ありがたみを忘れる。"
あの日、おじ様の言った言葉を思い出した。私はやっとこの言葉の意味を理解したのかもしれない。なるほど確かに。この国は森への感謝の気持ちをとっくに忘れてしまっているんだ。
「ミューちゃん.....」
優しい声と共に上からそっとニコちゃんの両手が私の手を包んだ。温かいその手に包まれ組んでいた手から力が抜けていく。そっと離れていくニコちゃんの手の下から現れた両手の甲には爪の後と少しの血が滲んでいた。どうやら気がつかないうちに力が入っていたようだ。気がついてしまえば、チリチリと小さな痛みが主張してくる。けれど、今はそんなことどうでも良かった。
"北の森"と"南の森"。私が物心つく頃にはすでに無くなっていた二つの森。
北の森は白銀の森と呼ばれ、雪が降り注ぎ白く染まった森は神秘的でとても美しかったそうだ。
南の森は音の森と呼ばれ、木々が音を奏で花が歌を歌う不思議で華やかな森だったと聞いた。
今はもう亡き二つの森。
私が産まれる少し前、白銀の森と音の森を守ってきた先祖返りが謎の死を遂げた。そして新たな先祖返りが生まれる前に二つの森は切り開かれた。
これまで、絶え間なく降る雪を受け止めていた広大な森を切り開けば、外交がほとんど無かった北の隣国に実り豊かなフォレスティアの地で育った作物を輸出できるようになった。
華やかな音楽を焼き払えば海に面して外交が盛んな南の隣国とのより密な国交が可能となり魚類や、他国からの輸入品を国内で流通できるようにった。
フォレスティアはお金と物で潤い、閉鎖的だったこの国は他国との交流が盛んになった。森が無くなれば国が豊かになったのだ。
始めは、森を失い怒りに満ちた国民も国が潤い自分達の生活が豊かになっていくにつれて考えを改めた。
人々は森を焼いて良かったと言った。人々は森を切り開いて良かったと言った。多くの人々が森が無くなったことを喜んだ。
けれど、森と共に生きてきた人々は違う。
白銀の森と共に生きてきた民は寒く真っ白な世界でも生きる術を与えてくれた森を失った。音の森と共に生きてきた民は日々を鮮やかに彩ってくれていた喜びを失った。
そして、帰る場所を無くした二人のエルフは今だこの世に生まれて来てはいない。
私はこの話をきちんと理解できるようになった年頃に両親、ルナールの町の人やおじ様、ぐぅちゃん、そして森を求めてルナールの町へと移住してきた森の民達から聞いた。
知った時は怖くてこわくて眠ることが出来なかった。白銀の森の民や音の森の民の悲痛な心の叫びを聞いた。悲しかった。不安だった。私の大好きな精霊の森が壊されてしまう。ルナールの町の人々や、大好きな狼の森が、森の民がひどい事をされてしまうかもしれない。そう思うと怖くて堪らなかった。
そんな私を見兼ねたぐぅちゃんが、
"東の森は隣国の広大な森と隣り合わせているし、西の森だって大国の魔の森と隣り合っている。こちらの森がなくなっても隣国の森があり、道を切り開くことは出来ないから森を無くすことに何の意味もない。それに東は狼が西は精霊が森を守っているから大丈夫だ"
と何回も納得出来るまで言い聞かせてくれた。
そして、私は納得した。
森を大切な私の家族を守ると固く誓って。
それなのに.....
「森を焼くことで何の利益があるというの?」
「さぁな。そこまではさすがのエヴァンも分からなかったみたいだ。この森の隣なんて全く管理の行き届いてないボサボサの森だぞ?何の意味があるんだかな...っと、噂をすればエヴァンだ」
コンコンッとぐぅちゃんの指が机を鳴らせば防音の壁が緩んだ。そして、麻色の髪の毛を後ろで一つに束ねた身なりのいい男性がテントの中へと入って来る。
男性は一度辺りをぐるりと見渡してからこちらに視線を向け、パチリと目が合えば整った顔にふわりと胡散臭い笑みを浮かべた。
「やぁ、ミューリアちゃん。久しぶり。相変わらず美しいね。」
男性はこちらへやってくると片膝を床について私の手を取り甲へと口付る。その仕草も完璧な貴族の振る舞いなのに、本性を知っているせいか、だいぶ胡散臭く感じる。
「お久しぶりです。エヴァンさん。エヴァンさんも相変わらずお元気そうで何よりです」
「おい、エヴァン。家主に挨拶はなしか?」
「あぁ、ごめん、こめん。お邪魔します。グレン、姉さん」
「あらぁ?あなたの姉になった覚えはないけれど?」
「ははは。姉さんは厳しいなぁ。いずれそうなるのだから、今姉と呼ぼうと後で呼ぼうと大差はないよ」
.....相変わらずだ。
「エヴァン。あまりニコを刺激するなよ?怒ったら怖ぇんだからな?」
「刺激も何も、僕は将来アコと結婚するからニコは僕の姉さんになるってだけの話でしょ?」
「おまっ、だからそれをやめろって...」
あ、因みにアコちゃんはニコちゃんの十二歳年下の妹さんのことね!
「グレン。この変態を摘みだしてくれる?」
「変態って僕のことを言ってるの!?ひどいよ姉さん!!僕が五年前に彼女と婚約したこと覚えているだろ?安心して、彼女が十八歳になるまで僕はちゃんと待つから!」
相変わらずだ。
「グレン、塩」
ニコちゃんはずっと優しい微笑みを崩さないまま、腹の底まで響くようなドスの効いた声でぐぅちゃんに塩を要求している。たぶん、撒くきだ。こわい。
...まぁ、無理もないか。アコちゃんはまだ十一歳。さらに五年前となると六歳の時の話だ。良く遊んでくれるお兄ちゃんに懐いて結婚しよというよくある話。
その言葉を本気で受け取ってしまうエヴァンさんは純粋なのか何なのか。
けれど、アコちゃんは今だにエヴァンさんが良いと言うので子供の戯言だとは言い切れないのもまた事実である。
「落ち着けニコ。こいつには何を言ってもこの件に関しては全く話が通じないぞ。それにアコもそろそろいい年なんだから、後は二人に任せたらどうだ」
「そう、グレン。貴方はそっち側の人なのね。後で話をしましょう。ふふ」
「なあ、ミュー。このことに関して無関係なのに、なんで俺ニコに怒られる流れなの?助けて!?」
「ぐぅちゃん。今私に話しかけないで」
「この薄情者!!!!!!!」
この流れも相変わらずなのである。
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