~第二章 豪剣との出会い~
翌日。教室の窓から黄金色の眩しい日差しが降り注ぐ窓際の席。
稔は、授業も耳に入らずぼんやりしていた。昨日の出来事が反芻し、頭の中を何度も通り抜ける。
声を掛けられて振り向いて、正直少しドキッとした。
透き通るような白い肌に、薄紅色の唇。クールな切れ長の目に、長い睫毛。
中学生くらいだろうか。すごく綺麗なお姉さん。
でも……
(「よっわむっしくーん!」)
彼女の変なテンションを思い出す。
少し……というか、かなり変なお姉さん。
だけども……。
『あの瞬間』を思い出した稔は、ゾクッと鳥肌が立った。
(……物凄く、強い人)
棒を持って構えた途端、人が変わった。
というより、『自分の知らない世界』の人になった。
掛け声と共に、あの人の気迫が自分の周りの空気を振動させて、自分に向かって容赦なく突き刺さった。
(強い……)
自分の本能が、あの人の圧倒的な強さを感じ取った。
でも……何故か逃げようという気は起こらなかった。何故か稔はワクワクして、いつの間にか勝手に体が動き出して、全力で彼女へ向かって行ったのだ。
身震いする怖さを感じたのは、ほんの一瞬だった。
自分の脳天に、棒が振り下ろされた瞬間。ただの棒だと分かっていたのに、それを絢爛と光る日本刀のように錯覚し……『斬られる』と思った。
『死ぬ』、本能的にそう感じた瞬間、目を瞑った……。
『キーンコーンカーンコーン』
授業終了のチャイムが鳴り、中間休みになる。結局、授業内容が何一つ頭に入らなかった稔は、教科書とノートを机の中にしまった。
その時、
「おい、稔。ちょっと来いよ」
クラスの一軍、勝(すぐる)、相太(そうた)、豊(ゆたか)のグループが机にやって来た。稔はうんざりする。
「今日は、お前に剣術を伝授してやるよ」
校庭の隅。木の陰へ追いやられた稔を見て、勝はニヤニヤしている。
「伝授……キラーン!」
お調子者の相太と豊は、棒っきれを持って囃し立てた。
いつもの三人。クラスのリーダーの勝とその手下の相太、豊。
三年生になるのに、クラスに『馴染めていない』稔は、いつもこの三人に『いじめられる』。
こいつらが『強い』からいじめられるんじゃない。『馴染めない』自分がリーダーに刃向かうのはクラス内でのタブー……だから、『いじめられる』のだ。
「北辰一刀流じゃ!」
「武蔵の二刀流!」
三人がバシバシ棒っきれで稔を殴る。
稔はその棒を全て目で追い……自分にとって最もダメージの少ない部分で棒を『受けて』いた。
(「躱そうと思えば全部躱せたでしょ」)
昨日のお姉さんの言葉を思い出す。
こんな奴ら、強くも怖くもない。僕は昨日……『本当に強い人』に会ったんだから!
調子に乗った勝は、また棒を稔に振り下ろす。しかし、稔は……さっきまでとは違う稔は容易く躱した。不意をつかれ、空振った勝は目を丸くする。
稔は、冷たく……哀れむような瞳で勝を見た。
三人は、仰天した。
今まで、稔に躱されたことは一度もない。でも……今日のこいつはいつもと違う。
それに、あの『目』。自分達のことを全て見透かすかのような稔の『目』……。
「あんた達、何やってんの?」
そんな四人……仰天する三人と、彼らを冷たく見つめる稔に凛とした声が掛けられる。勝達は振り返った。
「げっ、春山……」
「まぁた、下らない剣術ごっこ?」
その少女……四人と同じクラスの桜は、呆れ顔で勝の持つ棒っきれを見つめる。
「お前には関係ねぇだろ。おい、行こうぜ」
三人はそそくさと立ち去った。
「春山……さん、ありがとう」
「別に。ちょっと通りがかっただけよ」
クールな桜は踵を返し立ち去る。
(どこか、似てる)
稔は思った。
春山 桜……物静かでクールで、目立たないタイプだけど、昨日のお姉さんに、どこか。
顔は可愛いのに、声を掛けられただけでいじめっ子達が逃げ出す気迫のオーラ。内に秘めている、本当の強さ……。
稔は、桜の後ろ姿をぼぉっと目で追っていた。
「くそっ、くそっ」
勝はむしゃくしゃしていた。
「しょうがないって。あいつ、春山は剣道っての、めちゃくちゃ強いらしいし」
相太と豊はフォローする。
「違うよ」
勝は、よりイライラして言った。
「あいつ……稔の目。俺の一番嫌いな目をしてた。仲間に入れないクセに、俺達のことをバカにする目。だから、俺、あいつのことが嫌いなんだ」
相太と豊は目を見合わせた。
土曜日。
公園の角を曲がり『剣信館』へ向かう稔の鼓動は高鳴る。
自分の今まで知らなかった世界……あの時垣間見た『本当の強さ』と向き合う世界を見ることができる。この時の稔は、まだ、自分がその世界の中心に近付くことになるなんて想像もしていなかった。
『剣信館』と書かれた一枚板の貼られた門の前で、稔は固まった。
古めかしい木製の柱や床に、白い壁、黒い瓦の屋根。
その一角だけ、江戸時代風に仕立てられた道場が独特な存在感を持って稔を圧倒した。道場に入ってもいないうちから、剣の腕を極めんとする者の気迫や念がひしひしと伝わってくる。
新築の一軒家に住んでいる稔は、こんな建物は時代劇でしか見たことがない。
「あれ? あんた……山口?」
門の前でぼぉっと佇む稔の後ろから声をかけられる。稔は、振り返った。
「春山さん?」
白い道着に白袴……あの日のお姉さんと同じ格好をした桜が、黒い防具袋を引っ掛けた竹刀袋を担いで不思議そうな顔をしている。
そして、その後ろには……
「あらぁ、小羊ちゃん。約束通り来てくれたのね!」
稔は、ドキッとした。
あの日会った、優美なお姉さんが桜と同じ格好で、やはり防具袋と竹刀袋を担いで、ニッと悪戯な笑みを稔に向けたのだ。
「小羊ちゃん? 約束?」
怪訝な顔をする桜を置いて、杏は稔のもとへ駆け寄った。
「あんたは、今日からここの門下生よ」
「門下生?」
「そっ!」
杏が少し屈んで目を合わすと、稔は赤くなって目を逸らした。
「私があんたを、最強の剣士に育てるんだから!」
「最強の剣士?」
稔は逸らした目を丸くして、再度、杏を見た。
「そ。あんたに拒否権はなし。だって、あんた、『負けた』でしょ!」
「え? 最強の剣士って、そんな弱虫を? お姉ちゃん、どういうこと?」
狐につままれる桜を置いて、杏は稔の手を引き、厳かな雰囲気を漂わせる道場へ入って行った。
「前後正面素振り、はじめっ!」
「壱!」
『メンッ!』
「弐!」
『メンッ!』
道着に防具を装着した格好の少年少女が、道場の中央へ向けて竹刀の素振りをしている。予備の道着に着替えさせられ、片隅に正座してそれをじっと見つめる稔は、ただただ圧倒されていた。
その中でも、稔の視線はやはり杏に釘付けになる。
竹刀の軌道が他の少年少女と全く違う。一切の無駄のない、最小限の軌道……。
稔も、自分でも気付かぬ間に手だけ杏の素振りを真似ていた。
「黙想!」
オロオロする稔を端っこに並ばせて正座させ、練習開始前の黙想(目を閉じ呼吸を整える、精神集中の儀)が行われた。
「やめ! 礼!」
「お願いします!」
「正面に! 礼!」
「お願いします!」
「面つけ!」
『面』をつけた少年少女は、『切り返し(正面打ちから連続左右面打ちを行う稽古)』から練習を始める。皆が『切り返し』をする傍ら、杏は稔の指導に入った。
『剣信館』にも師範はいる。しかし、杏は自ら稔の指導を希望した。
師範も秋季市民剣道大会に向けて少年少女を鍛えるということで、杏に指導を任せたのだった。
「いい? 稔くん。剣道はね、礼に始まり礼に終わる武道よ。使わせて貰っているこの場所、道場への感謝の気持ち、打ち合う相手への尊敬の意を込めて、練習の始まりと終わり、試合の前後には必ず礼をするの。その礼儀を忘れるようじゃ、本当に強くはなれないわよ」
「礼儀……」
稔は、「いいなぁ……」と思った。
スポーツは全て相手を打ち負かす、野蛮なもの。そう思っていた。
でも……自分が今踏み込もうとしている世界はこんなにも清く、正しい剣の道なのだ。
「そこまで分かったら、まず、足運びからね」
杏は、稔に『摺り足』を教えた。
「うんうん、そうそう。上手、上手。やっぱあんた、私が見込んだだけのことはあるわ」
ただの摺り足に上手も何もなさそうなものだが、杏はいつまでもニヤニヤ笑って稔の足運びの練習を見ていた。
「ちょっと、お姉ちゃん! いつまでサボってんの? 摺り足まで教えたなら、いつまでもついてなくていいでしょ!」
練習の間の小休止に、桜が凄い剣幕で来た。
「ありゃあ、バレちった。だって、この時期、暑くてバテるんだもん」
杏はベロを出す。
清く、正しい剣の道……。
自由奔放におちゃらけるお姉さんを見た稔は、その道に一抹の不安を覚えた。
しかし、杏は稔の方に向き直り、凛とした顔で言った。
「あんた、私達の練習、見ときな。摺り足しながらでも、見れるでしょ」
この美しく真剣な顔と、さっきのおちゃらけた顔。どちらが本当の彼女なのか分からず、稔は不思議な気分になった。
「ドゥォアアァー!」
『面』を着けた杏は人が変わる。竹刀を中段に堂々と構え、威圧的な存在感を相手に放った。
恐らく杏より年上、有段者でもあろう相手の剣士は、その圧倒的な気迫に気圧され、たじろいでいる。杏の気迫が、摺り足をしながら練習を見ているだけの稔にもビシビシと突き刺さる。
「コ……」
相手の竹刀が手元を狙ったその瞬間!
「メンヤァァー!」
『バゴォッ!』
凄まじい破壊音と共に杏の竹刀が相手の『面』にめり込む。
「凄い……」
稔は、ゾクッと身震いした。
『豪剣』……杏のそれは、無敵だった。杏の竹刀は凄まじい加速度とともに、どんな相手の『面』にもめり込む。
稔があの時感じた『斬られる』という感覚。今、正に目の前で杏が剣士達を真っ二つに『斬って』いる。
あの時感じた、身震いするような怖さ。しかし、それ以上に稔の鼓動は加速度を増し、心の底から震えるほどの感動が沸き起こっていたのだった。
「黙想!」
練習終わりの黙想。
「やめ! 礼!」
「ありがとうございました!」
道場の皆が雑巾がけの掃除をしている。
「どうだった?」
皆が掃除をする傍ら、杏が稔に声をかけた。
「凄かったです……」
ありきたりだが、稔の口からはその言葉しか出なかった。
よく見ると、その道場には『市民大会 小学生◯年女子の部 優勝 春山 杏』と書かれた賞状がいくつも飾られており、その中には『中学生女子の部 優勝』もある。
「お姉さん、中学生ですか?」
「そ、中一」
「中一で中学生女子の部優勝!?」
「そうね。ま、この地区では男子でも私に敵う中学生はそうはいないけどね」
「すごい……」
稔は目を輝かした。
「僕……お姉さんみたいに、強くなれますか?」
「そうねぇ、それは、これからのあなた次第ね」
杏は、美しい瞳を横に細長く伸ばして、悪戯そうに笑った。
「でも。『本当に強い相手』を恐れずに向かってくる根性。『あの時』のその根性があれば、大丈夫。絶対、あんた、強くなるわよ!」
杏は悪戯な笑みを浮かべながらも、美しい瞳は真っ直ぐ、真剣な眼差しを稔に向けた。
『ドクン……』
真剣な眼差しを受ける稔は、金縛りにあい動けなくなる。
「ま、どんなに強くなっても、私には及ばないけどね」
すぐにふざけて茶化す杏に、稔の金縛りも解けた。
「ちょっと、お姉ちゃん! 掃除サボるな!」
「ありゃあ、また、バレちった」
雑巾を持った杏は頭をポリポリかき、雑巾がけをする桜達のもとへ戻りながら、稔に顔を向けた。
「水曜の六時と土曜の十時!」
「えっ?」
稔は不思議な顔をする。
「ここに来なさい。私があんたを、最強の剣士に育てるって言ったでしょ!」
杏は、ニーっと笑った。
「ま、私の次に、だけどね」
そう呟いて、適当に雑巾がけの掃除を始めた。
「最強の剣士……」
稔はまた、反復した。
今日ここへ来て、杏の豪剣と出会い、感動して……憧れた。その『最強の剣士』に、自分もなれるかも知れない。心の底から言い様のない高揚感が沸き起こり、稔はブルッと武者震いしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます