33 兄は添い寝に猛反対です

「久しぶりだな、ルルーティカ。積もる話はあるが、まずはこっちに来て体を乾かすといい」


 兄イシュタッドは濡れたルルとノアを焚き火にあたらせた。ノアは二角獣バイコーンの姿のままで、ルルを囲むように座る。


「その辺の魚、もう焼けてるから。自由に食えよ」


 波打ち際で、ルルのショールを絞る兄は、以前よりも体つきがたくましくなっている。漁師を生業にしている青年のように見えるが、彼こそ聖教国フィロソフィーの聖王だ。


 ショールを岩に干したイシュタッドは、炎を挟んでルルの向かい側に腰かけた。


「お前まで崖から落ちるとは。血は争えないな」

「大司教に攻撃されて、やむなく身を投げたのですわ。イシュお兄様は、どうしてここに?」

「たぶんお前と同じ。ユーディト地区の羽振りの良さから、密輸の疑いをもって個人的に捜査しに来たんだ。研究所跡で檻を見つけて、一角獣を逃がすために檻を壊そうとしたら司教たちに見つかって、屋根のはしに追い詰められて飛び降りた」

「聖王に向かってなんてことを……!」


 ルルは大司教に怒りを覚えた。彼らは、密輸の事実を隠すために、この国の頂点に立つ兄まで殺そうとしたのだ。決して許される行いではない。


「お兄様、よくご無事でいらっしゃいました。カントでは、もはや生存も危ぶまれておりましたわ」

「一応、これでも聖王なもんで。海に落ちるとき、持てる魔力を全部使ってスピード弱めたんだ。浅瀬じゃなかったのが救いだったな。昔から運はいいけど、今回ばかりは死んだと思ったぜ」


 上を見ると、切り立った崖がどこまでも続いている。とてつもない高さから落ちたのだと、ルルは今さらながらぞっとした。

 イシュタッドは、焦げた枝をつかんで魚の腹に歯を立てた。


「それからはここで、何にも持たない海辺暮らしだ。下手に救援を呼ぶと、大司教の息が掛かった者たちが来るからな。救出のどさくさに紛れて殺されたらたまらない。幸いにも、炎は自力で起こせるし、奥にある洞窟に真水が沸いているから、魚とか海の幸を取って食ってた。魚を取るために服から網までつくったんだぞ」


 ルルのショールの隣に、布をよって作った網がある。一国の主上にしては、すさまじいサバイバル力だ。


『悪者ほど殺しても死なないと言いますからね』


 ノアのつぶやきを聞き取って、イシュは足下の小石を蹴った。


「邪悪で凶暴な猛獣がなにをいう。お前が研究所を破壊したのを隠蔽したのは誰だと思ってる。博士の息子として生きられるようにしてやった恩も、忘れたとは言わせないぞ」

『感謝はしてやっています。だから、貴方の聖騎士にもなったでしょう』


「はー。そういうこと言っちゃう? 感謝してる人間は、嫌そうな顔で叙任を受けたりしないんですー」

『貴方の、その人柄が嫌なんです。従いたくない』


 ノアがふいっと横を向く。はらはら見守るルルに、イシュはいたずらっ子みたいな目を向けた。


「こいつ俺様が嫌で嫌でたまらないんだ。ルルーティカが修道院から出てきたってことは、次の聖王に内定したのか?」

「いいえ。聖王候補として、わたしとガレアクトラ帝国の第四王子ジュリオ殿下、二人が立っている段階です。彼を推挙しているのは、主席枢機卿マキャベルですわ」

「そう来たか。密輸のパートナーだからなー、あいつら」


 イシュは、頭と尾と背骨が残った枝の先で、水平線の向こうに等間隔にならぶ光を指した。


「ガレアクトラの商用船だ。聖教国フィロソフィーに接するヒュール海を航行していて、荷を西方の国に下ろした帰りに補給の名目でユーディト港に入る。そこで一角獣を檻ごと積みこんで向かう先は、ガレアクトラ帝国だ」

「魔晶石のためとはいえ、どうしてそんな非情なことができるのかしら……」


 一角獣は、清らかな水や空気を好む獣だ。ガレアクトラ帝国や他の国に飛来しないのは、それらが汚れているからである。

 密輸され角を折られて、汚れた地上に残るしかなくなった彼らは、いずれ病んで死んでしまうだろう。


「人間てのは欲深い。法で定めても破るやつらは必ず出るんだ……。罪をあばいて世間に知らしめるしかない。どうやって崖を登るか、明日になったら考えるぞ。今晩は、洞窟で眠ろう」

「はい」


 イシュタッドの案内で、ルルとノアは洞窟に向かった。

 ルルが横を歩く黒い体を撫でると、甘えるように鼻先を擦り付けてくる。


 辿りついた洞窟は、奥に行くにつれて天井が狭くなっていた。真水はその最奥で滝のように岩肌を流れている。


「空気があたたかいのは、海風が入って来ないのと、日中に太陽光で熱をおびた岩盤の影響だ。隙間風が入る古い家よりは快適な寝床だぞ」


 岩のなかで平らな面を見つけたノアが体を横たえたので、ルルは彼のお腹のあたりに背をつけて座った。


「ほんとうだわ。地面そのものも温かいのですね」

「岩に横になると、もっと温かいぞ……って、お前ら、なんでそんなに密着してるんだ?」


 イシュは密着する二人を見て顔をしかめた。そういえば、兄にはノアとの関係を説明していない。

 ルルは、ビシッと一指し指を立てて解説し始めた。


「イシュお兄様。わたしは修道院で暮らすうちに『身を守って安心できる最高の巣ごもりスタイル』を確立したのです! それには、丸まるのにちょうど良いスペースと背中を付ける頑丈な壁が必要でしたが、一般的な部屋やベッドでは確保するのが困難。それを解決してくれたのが、ここにいるノアですわ!!」


 ルルは両手を広げて、新商品を売り出す商売人のように力説していく。


「身を守る狭いスペースは、ノアに抱き締めてもらうことで代用します。背中をつける壁はノアそのもの。毎晩のように実践して効果を確かめたところ、修道院時代より五十%増しで安眠できると判明しました。ノアがいないと満足して眠れないほどですのよ! ノアと添い寝するようになったおかげで、今では昼寝は少なくなり、国民からの称賛もゲット、一角獣に対したときだけ魔力が使えるようになりました!」

「はい、お兄ちゃん的にアウトー」


 腕を引いてノアから引き離される。プレゼンは大成功のはずなのに!


「なぜですの!?」

「逆になんで許されると思ったんだー? ルルが箱入りすぎて、お兄ちゃんは心配です。あとノワール、お前はあとでしばくから覚えてろよ」

『しばく必要がどこに? 私は壁です』

「壁は、お前みたいに、邪悪ではない……!」

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