30 猛獣は王女にだけ甘えてきます
レバーを下ろすと、魔力を吸い上げていた装置が止まった。
ほっとしたのも束の間、檻の方から轟音がひびいた。
「あ……」
檻のなかにいるときは小さな子どもに見えたのに、抑えつけるもののなくなった黒い体は、ルルの倍ほどに大きい。
二角獣は、動けないルルに近づいてきて、鼻先を頬にすり寄せた。
甘える仕草は
「辛かったでしょう。もう大丈夫よ」
「――魔法が割られた。侵入者がいないか至急確認を――。ルルーティカ王女殿下、なぜここに?」
関係者用の通路から、白衣を着たキルケシュタイン博士と研究員たちが部屋に飛びこんで来た。彼らは、自由の身になった二角獣と、かたわらに寄り添うルルを見て動揺した。
「檻が破られた。急いで王女殿下を保護する! 二角獣を魔法で引き離す、その隙を狙え。痛めつけてもかまわんが、殺すな!!」
命じながら、博士が手の平に魔力を集める。
ルルは、二角獣が攻撃されると思って、大声を出した。
「やめて! この子は何も悪いことはしていないわ!」
「王女殿下、それは一角獣とはちがいます。人をもてあそぶ獰猛な怪物で――っ!」
二角獣の瞳が赤く光った。
次の瞬間には、博士がいた場所で大きな爆発が起こった。
巻きおこる爆風に耐えてルルが目を開けると、床に大穴が空いていた。
博士の姿はなく、周りには血を流した研究者たちが倒れている。
二角獣がやったのだ。ありあまる魔力を暴発させて。
「人を殺してはだめよ! あなたが悪者にされてしまうわ!!」
ルルが説得を試みるが、二角獣は、うんともすんとも言わない。爆発音を聞いて駆けつけたルルの従者や、施設の職員までも攻撃していく。
「やめて、やめて……!」
ルルは、二角獣の首にしがみついて涙声で訴えた。
それでも攻撃は止まらなかった。二角獣は、ドン、ドンと上がる爆発のなかを、ゆっくりと歩いて行く。
廊下に出て、異音に気づいて出てきた人間を爆発させ、また進む。
煙と悲鳴と血の香りが施設内に充満する。
ルルの行く先々で、目を開けたら心が壊れてしまうような、悲惨な光景が広がっていった。
玄関ホールを抜けて、表に出た二角獣は、額に魔力を溜めだした。
ルルは、はっとする。
赤い瞳が見る先には、ユーディト地区の市街地がある。このままでは人工魔晶石の研究に関係のない住民たちまで攻撃されてしまうだろう。
腕をほどいて二角獣から離れたルルは、両手を広げて立ちはだかった。
「わたしはルルーティカ・イル・フィロソフィー。聖教国フィロソフィーの王女として、みんなを傷つけることは許さないわ!」
体に宿った魔力を胸の辺りに集める。レバーをガラスの魔法で覆っていたように、ルルの魔力で二角獣を押しとどめるつもりだった。
だが、ルルが魔法を発動させるよりも二角獣の方が早かった。
後ろ足で踏み切って飛びかかられたルルは、しりもちを付いて倒れた。その拍子に、転がっていた石壁の塊に額をぶつけてしまう。
「つっ!」
頭の怪我だったので、大量の血が吹き出した。
深い傷からもたらされる痛みに、意識がもうろうとする。
ガサリと音がして目を凝らせば、二角獣がルルの体に覆い被さるように立っていた。ルルの頬に鼻先を押し当ててから、血ごと傷を舐める。
『ルルーティカ……』
少年のような声で名前を呼ばれた。パアッと二角獣の全身が光り出して、姿がぐにゃりと歪んでいき――。
ルルはそこで意識を失った。後のことは分からない。
気づいたら病院のベッドに横たわっていた。怪我をした頭は包帯でグルグル巻きにされて、魔力を全て失っていた。
親が研究所で働いていたという子どもが、病院に背負ってきてくれたらしい。その子は事故の関係者として聖騎士団に連行されていて、お礼も言えなかった。
キルケシュタイン博士や研究者たちは、人工魔晶石の爆発に巻き込まれて死亡したことになった。
ルルが、檻に捕らえられていた二角獣が起こした爆発だったと説明しても、誰も信じてくれなかったのだ。
二角獣は、ルル以外の誰に見られることもなく消えてしまった。
天空へ帰ってしまったのかもしれない。
それからの人生は……思い出したくもない。修道院に入るまでに味わった針のむしろは、ルルの心を今も痛めつけている。
思い出に浸っていると、足が自然と二角獣の檻があった場所へ向かっていた。
扉は爆風で飛ばされたまま修理もされていない。
照明のない暗い部屋を、開口部から覗きこんだルルは、驚きに目を見開いた。
「これは……」
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