4 金貨をかせぐのは簡単です
「――はっ」
ルルが目を覚ますと、部屋はぼんやり明るかった。
分厚いカーテンの端から、太陽の光がさし込んでいる。
ここは(元)聖騎士ノワール・キルケシュタインに連れ込まれたお屋敷だ。
毛布を肩にかけてベッドを下りる。
祈りの部屋の十倍はあろうかという広さの部屋に、ノアの姿はない。眠りに落ちる前は、あんなに力強く抱きしめてくれたのに。
「守るって言ったくせに」
ぐちぐち言いながらカーテンを開くと、ランプの明かりがふっと消えた。
魔力で点いたり消えたりするようだ。
窓の外――お屋敷の裏手には広い草原が広がっている。
建物は一軒もなく、人通りもない。これなら窓を塞いでおかなくても、ルルが姿を見られる心配はないだろう。
窓から見て、左手側にさっきまで眠っていたベッド。
右手側には、大きな机と壁一面の本棚がある。机に立った羽根ペンが黄色く変色しているので、だいぶ昔から使われていないようだ。
ここは誰の屋敷なのだろう。本棚には、聖教国フィロソフィーの歴史書や
「たしか、ノアの名前もキルケシュタインだったわ。ということは、彼は博士の息子?」
キルケシュタイン博士は、十年前にとある研究施設の事故に巻き込まれて亡くなっている。保護者を亡くして聖騎士養成学校に入ったというノアと、年齢的には合う。
(ひょっとしたら、ここは博士が使っていた部屋なのかもしれない……)
思い当たると、おでこの古傷がズキズキ痛んだ。博士が命を落とした悲しい事故に、ルルはちょっとした因縁があるのだ。
(この部屋で過ごすの、ちょっと嫌かも)
部屋から出る扉に向かう。
すると、本棚と本棚のあいだに、とあるものを見つけた。
「こっ、これは――!」
† † † † † † †
ノアは、荷物を抱えてキルケシュタイン邸の主寝室に入った。
キングサイズのベッドを見るが、残していったはずのルルの姿が見えない。
だが、気配は部屋のなかからする。
探して歩くと、本棚の間の狭いスペースに収まって寝息を立てていた。
毛布から出た寝顔がかわいい。このまま見守っていたい気もするが、こんな硬い床に主を寝せておくわけにはいかない。
「すぅー。すぅー」
「ルルーティカ様……」
「ん? んんーっ」
身じろぎしたルルは、ぱっと目蓋をあけた。青い氷を砕いて固めたような美しい瞳に見上げられて、ノアは少しばかり切なくなる。
「ノア、おかえりなさい」
「ただいま戻りました。どうしてそんな狭い場所で眠っているんですか」
ルルは、毛布ごと起き上がって「だって」と言い返す。
「この部屋、広すぎるんだもの。落ち着かなくて歩き回っていたら、本棚と本棚の間にちょうどいいスペースを見つけたの」
聖像がおかれるべき壁のくぼみで育ったルルにとって、広い部屋は手にあまる。どこにいればいいのか分からなくなってしまうのだ。
「絶好の巣ごもりポイントは、だいたい長さ120センチ、奥行き50センチ。そこにぴったりはまると身も心も安心するのよ。ここは最高だわ」
誇らしげなルルを一瞥したノアは、無表情でダメ出しをする。
「そこ、一角獣の骨格標本があった場所です。しばらく掃除していないから、埃が溜まっていませんか?」
「なんですって」
ルルが慌てて毛布をめくると、埃の束がごっそりついていた。
「おのれ、ハウスダスト……!」
ギリギリと歯を鳴らすと、ノアはソファに囲まれたローテーブルに、運んできた麻袋を三つ下ろした。カシャンと金属が擦れあう音がする。
「修道院に行って口止めして、ルルーティカ様の私物を持ってきました。本と、手紙の束と、寝間着が三枚、ショールが一枚、靴は一足。壁のベッドに敷いていたマットを外したら金貨が大量に隠してあったので、それも」
「ありがとう。それで全部よ」
年頃の少女にしては、持ち物が少ないかもしれない。
だが、眠って起きて数えてまた眠るルルの生活では、そもそも必需品というのがあまりなかったのだ。
「慎ましやかに生きてるには、それくらいで十分だったの」
「それにしては少なすぎます。貴方は仮にも王女です。国費であつらえた服飾品が毎年贈られていたはずですよね? それはどうしたんですか?」
するどい指摘に、ルルはギクリと肩を跳ねさせた。
「さあ? 部屋のどこかにしまったかも。もうどこにしまったか忘れてしまったわ」
「私物より多い金貨はどうやって稼いだのですか?」
「…………えっと」
ルルの目が泳ぐ。対して、ノアの目は据わっている。
「売ったんですか?」
「売ったっていうか、譲ったっていうか……」
「売ったんですね。ドレスも宝石もすべて」
じっと向けられる視線に負けて、ルルは口を滑らせた。
「いいじゃない。修道院であんな華美なドレスなんか着られないもの。アクセサリーだって町の人につけてもらった方が嬉しいはずよ!」
色も装飾も派手なドレスやアクセサリーは、修道院のガレッジセールに出すと即完売するほどの人気だった。
婚礼衣装に使うのだという。
裕福ではない町の花嫁たちを彩っているのだから、ルルが部屋にしまいこんでいるよりもいいはずである。
「私は、使わないものを必要な人の手に渡しただけ」
「だからって、寝間着三枚でどうやって暮らすんですか」
「寝間着って言わないで。これはネグリジェ! 私は基本的に祈りの部屋から出ないし、丸まって眠るだけだから三枚もあれば十分なの!」
毛布をつかんで立ち上がったルルは、麻袋から金貨を一枚取りだしてノアの手に握らせた。
「これをあげるから黙って。誰がなんと言おうと、巣ごもり生活をやめる気はありませんから」
そう言って、毛布をかき合わせる。
ノアは、指を開いて金貨をじっと見つめたあとで、視線をあげた。
「巣ごもり生活は否定しません、が……」
「なによ。もう聞かないったら」
「その毛布、汚いですよ?」
「そうだった!」
お気に入りの毛布は洗濯されることになった。
たかが布一枚、されど布一枚。はぎとられたルルは完全に無防備だ。
ノアから「床に寝るのは止めてください」と言われて、かといってベッドに戻るのも嫌で部屋をうろうろしていると、洗濯物を干して戻ってきたノアに変な顔をされた。
「なにをしているんですか」
「巣ごもりポイントを探しているの。祈りの部屋のくぼみみたいに、狭くて、暗くて、温かいところがいいわ」
「狭くて、暗くて、温かい、ですね」
ノアは、二人掛けのソファに横を向いて座った。
手招かれたルルが近づくと、腕を引かれる。
「きゃっ」
倒れたルルは、ノアの胸に抱き止められた。黒い服に顔がうずまって視界が暗い。
抱きしめる力は強く、体温がじんわりと伝わってくる。
たしかに、狭くて、暗くて、温かい。
けれど、ちょっと恥ずかしい居場所だった。
耳まで赤くなるルルに、ノアは小さく笑う。
「居場所、見つかって良かったですね」
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