3 わけあって聖王さまはお隠れです
「ありました」
「へ?」
体を起こした騎士は、金貨を一枚つまんでいた。
「ルルーティカ様を運んでいる間、毛布のなかにキラキラしたものがあって、気になっていたんです。髪に絡まっていたようですね」
ルルは拍子抜けした。そういえば昨晩、帳簿の金額があっているか確認するために、金貨を数え直しているうちに寝落ちしてしまったのだ。
そのとき落として、毛布に紛れこんでいたのだろう。騎士が覆い被さってきたのは、拾いものをするためだったのだ。
(なにが、穢されるー、よ)
ルルは、恥ずかしさに赤くなった顔を手で隠した。
笑われてやしないかと指のあいだから騎士を見ると、彼は興味深そうに金貨を見回している。
騎乗していたときは大人びて見えたが、あどけなさの残る顔立ちからするに、ルルとそう年は離れていないだろう。17か18才くらいかもしれない。
表に裏に返される金貨の光沢が、重たそうな二重がかぶさる深紅の瞳に映りこんでいる。
「そんなに興味があるならあげるわよ。国中どこにでもあるものだけど」
その金貨は、聖教国フィロソフィーの通貨だ。一枚で100ギニーに値する。他には、50ギニーと10ギニーの二種類ある銀貨と、1ギニーの銅貨もある。
ルルは、管理していた貨幣をどれもきれいに磨いていた。修道院では、持てるものを大切に扱うことが鉄則だったのだ。
「そのかわり教えて。なぜ私を修道院から連れ出したの?」
起き上がったルルが問いかけると、騎士はその場に
「私の一存です。ルルーティカ様、聖王イシュタッド陛下が失踪されました」
「お兄様が?」
ルルの兄、イシュタッド・テオ・フィロソフィーは、第七十六代の聖王として国を導いてきた。
明るくて健やかで人に好かれる兄は、ルルが唯一尊敬している身内だ。
「失踪なんて信じられないわ。お酒に酔ってその辺のしげみで寝てるとか、お散歩がてら歩いていたら四十キロ先にいたとか、そういう行き違いではないの?」
「聖騎士が総出で捜索したので、その可能性はありません。というか、ルルーティカ様のなかの陛下像ってどうなっているんですか」
「だって、あのイシュお兄様よ?」
イシュは、良くも悪くも鈍感だ。誤射されても矢が刺さっていることに気づかずに日常生活を送りそうな性格をしている。
幼い頃から健康でやんちゃ。運がすこぶる良くて、殺しても死なない系聖王。それがイシュタッドだ。
「思わぬ怪我でもして、どこかで動けなくなっているのかもしれないわ。聖騎士団は、聖王に忠誠を誓っているでしょう。あなたも聖騎士なのだから、私のことは構わずにお兄様の捜索をつづけて」
「聖騎士はやめました」
「は?」
「ですから、私はもう聖騎士団の一員ではありません」
こともなげに言って、騎士は金貨を握りしめる。
「私は、保護者を亡くしたのをきっかけに、寮のある聖騎士養成学校に入りました。寮での食費や学費は、将来的に聖騎士になることを条件に、聖王がめんどうを見てくださいます。卒業時にイシュタッド陛下への忠誠を誓わされましたが、当人が行方不明ですから、もう知ったこっちゃないです。『やる気!元気!勇気!』が合い言葉の男にかしずくなんて、不本意でしたし」
クールな見た目に反して、本音をずけずけ言う騎士だ。よほどイシュに仕えるのが嫌だったのだろう。清々した顔をルルに向けてくる。
「私が心からお仕えするのは、ルルーティカ様だけと決めていました。貴方がこそが次の、いいえ、聖教国フィロソフィーの正当なる聖王となられるお方です」
たしかにルルには王位継承権がある。
兄にはまだ子どもがいないからだ。
だからといって、騎士がここまで自分を崇拝する理由にはならない。
そもそも、ルルはこんな騎士とは会ったことも話したこともないのだから。
「あなたは何者なの。名前は?」
「ノワール・キルケシュタインと申します。ノアとお呼びください」
「ノア」
ルルが呼ぶと、騎士――ノアは、ほんの少し瞳を細めた。感情が表に出ないタイプらしく、表情はわずかな変化だったが、ルルには喜んでいるように見えた。
「私がルルーティカ様を修道院から連れ出したのは、貴方に危険が迫っているからです。イシュタッド陛下がお隠れになった今、さまざまな人間が自分に恩恵のある者を王座に担ぎ上げようとしています。いつルルーティカ様の命を奪いに行ってもおかしくなかった。一刻もはやく、秘密裏に、別の場所へかくまう必要がありました」
ノアの奇襲のごとき来訪は、そのためだったらしい。だが、秘密裏に別の場所へと言うなら、もっと隠密に行動するべきだったのではないだろうか。
「私を守ろうとしてくれたことには感謝します。だけど、もっと人目を避けてカントに入った方が良かったのではない? 少なくとも、ノアが敬礼した聖騎士には確実に見られたわ」
「その心配はありません。ルル様は毛布に包まれておいででしたから、下からは私が『巨大な毛玉』を運んでいるようにしか見えなかったはずです」
「毛玉!?」
仮にも王女。ちまたでは『修道院でつつましやかに暮らしている聖女』と謳われているルルを『毛玉』扱いとは、容赦なさすぎではなかろうか。
「あなたね。毛布に絡まっていたのは本当だけど。毛玉は言い過ぎよ」
「他のなにに見えるというのですか? あんな小汚い毛玉のなかに、未来の聖王であるルルーティカ王女殿下が絡まっているとは誰も思わないでしょう。つまりは、誰もルルーティカ様がこの屋敷にいると知らないということです」
ノアは、立ち上がってカーテンを閉めた。日が沈んで青みの増した空は閉ざされ、あちこちに置かれたランプが灯る。
「ルルーティカ様には、聖王として無事に戴冠されるまで、この屋敷で暮らしていただきます」
「悪いけど、貴方がどれだけ身を削っても、私は聖王にはならないわ」
ルルは、王位継承権なんて重たいもの、捨てられるものなら捨てたいのだ。政争や義務に押し潰されそうになりながら生きるより、毛布に包まって眠っていたい。
多くを望まなければ、十分に幸せに生きられると、ルルは知っているのだから。
「イシュお兄様はどこかで生きていらっしゃるわ。お兄様が見つかるまで、暗殺されたくないからここにいるけれど、変な期待はよせないでね」
「そんな悠長なことは言っていられないと思いますが……」
ぽつりと零したノアは、ベッドに近づいてルルの顔をじいっと見つめた。
「なに?」
「青白いです。不安ですか」
「当たり前でしょう。殺されるかもしれないんだから」
言い返すと、ノアは広げられた毛布を掴んでルルの体を包み、その上から抱き締めてきた。
「貴方をお守りします。なににかえても」
力強い抱擁に、ルルは何も言えなくなった。
どうして自分を崇拝しているの。
いったい何が目的なの。
色んなことを問い詰めたかったけれど、お気に入りの毛布に包まれたら自動的にまぶたが下りてくる。
長年の巣ごもり生活のうちに、すっかり安眠装置になっていたのだ。
襲ってくる眠気には逆らえない。
結局ルルは、名前しか知らない騎士の腕のなかで眠ってしまったのだった。
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