第7話 久しぶりのお客さん

 予想外の出来事に、俺は思わずフリーズしてしまう。それでも……雨宮は俺の手を離す素振りすら、全く見せなかったのだ。


「藍野君は何にも悪くないのにっ。それなのに、とっても酷いことされて。こんなに苦しんでいたんだね……!」


「……」


「辛かったね……?」


  雨宮は……すっかり涙目になっていた……ああ、何だか申し訳ない気持ちになってしまうな……でも。


 いつも笑顔の雨宮が見せるこの瞬間の表情はとても新鮮で。それが特別な意味を持った物に見えてきて。



 ────少しだけドキリとしてしまう。



「私……まだ藍野君のこと全然知らないけど。藍野君が見せてくれたコインのやつも、チョコのやつも、ピッキングも! 全部とっても驚いて……本当に凄いって思ったんだよ!」


「……」


 ……1つだけ妙に犯罪臭いヤツがあるんですけど。それは気にしてはいけない。


「だから……もし良かったらさ。1人でやるくらいなら……私にもっとマジックを見せてほしいな?」


「……」


「藍野君には人を……私を。ハッピーにさせる、とーってもスゴい力を持っているんだから!」


「力……」


 そんな風に言われたのは初めてだ。過去の人達は、俺のマジックを褒めてはくれたけど……ただ。それだけだ。


 でも、雨宮は自分を喜ばせる力があると言ってくれて……そして孤独になった俺の居場所を作ってくれた。


 もしかしたら彼女は……他の人とは違うのかもしれない。



 いや……ただ雨宮はマジックが好きなだけなのかもしれないし、ただの暇つぶしをしたいだけなのかもしれない。それとも、からかってくるつもりの可能性だってある。


 でも……もしそうだとしても。



 俺は彼女の笑顔が。驚いた顔がもっと見たい。



 そう思ってしまったんだ。だから……


「……分かった。雨宮……さんにだけなら。いいよ」


 こう言うしかないわけで。


「わーい! ありがとう藍野君! ……あ、お金払った方がいい? 『ちっぷ』ってやつ?」


「いやいやいや、そんなのいらないから!」


 まぁ……何にせよ。久しぶりに俺のお客さんが1人増えたみたいだ。


「それじゃあ……これからよろしくね、藍野君!」


「うん、よろしく……雨宮……さん」


「別に呼び捨てでもいいんだよ!」


 いやいや……こんな俺が、人気者の雨宮を呼び捨てで呼ぶなんて……恐れ多いんですけど。


 それに呼び捨てで呼んだ時、もし他の人に聞かれたら「アイツ何様のつもり?」とか思われるよ……


 ……とかそんな被害妄想を働かせていると、それを読み取ってくれたのか雨宮は。


「あっ、それじゃあお互いあだ名で呼び合わない?」


 と提案してくれた……おいおい。それは呼び捨てよりもハードルが高くないか?


 でも……これは一気に距離を縮めるチャンスなのでは? ……いや、別に縮めたい訳じゃないんだけど……いや、それは完全に嘘だわ。ゴリゴリ縮めたいわ。


「……いいよ」


「良かったー! じゃあさ、藍野君の下の名前教えてくれないかな?」


「…………隼也シュンヤ。藍野隼也だよ」


「わ、何かその言い方、吹き替えの洋画みたい!」


 それは俺も思った。


 そして雨宮は考えているのか、しばらくその場でクルクル回って……こう言った。


「じゃあ……シュン! 藍野君のこと、これからシュン君って呼ぶね!」


「うん……いいんじゃないかな」


「えへへっ、やった!」


 下の名前で呼ばれるなんて、新鮮過ぎるな。新鮮過ぎて、何だか自分を呼ばれている気がしないや。


「じゃあ次は私! 何でもいいよ!」


「雨宮……の下の名前って」


陽菜乃ヒナノ! 雨宮陽菜乃だよっ!」


 彼女は俺の真似をするように、そう言った。可愛いなぁもう。


「えっと、雨宮は友達から……何て呼ばれてるの?」


「えっとねー。ヒナヒナとかー、ひなタソとか! ひにゃひにゃとかも言われるかな?」


「……」


 ……陰の者が呼ぶには、かなり厳しいあだ名ばかりじゃねぇか。呼ぶこっちが恥ずかしくなってくるよ……よし、こうなったら。


「……ヒナノ」


「えっ?」


「ヒナノって呼ぶよ」


 俺も同じように名前で呼ぶことにしよう。しばらくは慣れそうにないけどな……


「え? それなら陽菜でいいんじゃ?」


「いや……俺をシュンって呼んでくれるんだから、文字数合わせないと」


「……」


 一瞬考える仕草をした後……ヒナノはくすくす笑い出した。


「んふふっ! シュン君、変な所で律儀だねー!」


「えっ、そんなにおかしいか?」


「ううん。シュン君らしいよ!」


「は、はぁ……?」


 そしてヒナノは片手を出してくる。


「ん?」


「握手! シュン君が人気者になったら、簡単に出来ないだろうから!」


「おいおい……」


 そんなこと絶対にありえないがな。まぁ……またヒナノと握手出来るのなら、願ったり叶ったりだけども。


 俺は小さな暖かいヒナノの手を優しく握った。


「じゃあ……改めてよろしくね! シュン君!」


「ああ……よろしく。あま…………ひ、ヒナノ」


「んふふっ!」

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