第13話 婚約者の来訪2

 アドレーは首を傾げる。


「へえ。私にも君に教えてあげられることがあると? 何もないんじゃないかな? だって君は私には一切何も言ってはこなかったものね」


 それは将来クリスティンを切って捨てるアドレーと、関わり合いになりたくないからである。


「もしあるならそれは何?」


 クリスティンは嫌な汗が滲む。

 極力避けるようにしているのに何の因果か、以前よりアドレーの訪れは増えている。


「言ってくれる?」


 彼の双眸は宝石のようにきらきら輝いているが、ひどく恐ろしくてならない。


「アドレー様は……いらっしゃるだけで、わたくしに様々なことを教えてくださっております」

「いるだけで?」

「そうですわ」


 恐怖の未来が待ち構えていることを、彼の姿をみるたび再確認するのだ。


(もうゲーム開始まで半年になったのよね……)

 

 暗然たる思いである。


「いるだけで、いったい私は何を君に教えることができるのだろう?」

 

 彼はクリスティンの顎に置いた掌を頬に滑らせた。


「私は婚約者として誰よりも、クリスティン、君と親密に過ごす権利と義務があると思う」


 その義務感から彼はこうして律義にやってくるが、こちらとしては、いい迷惑だった。


「義務感をお持ちになる必要はございません。学園生活でお忙しいでしょうし、わざわざいらしてくださらなくともよろしいですわ」

「権利もある」


 更に顔が近づく。

 彼は指でクリスティンの頬を撫でた。


「アドレー様?」

 

 クリスティンがびくりとすると、アドレーは低く呟いた。


「土が頬についていた」


 彼は吐息を零す。


「私も君に何か教えられることがあれば教えたいんだよ」

「結構ですわ」

 

 即答してしまうと、アドレーは目を眇めた。


「やはり、私には何も君に教えられるものはないと」

 

 クリスティンは視線を逸らせる。惨劇回避のため、彼に教わることは何もない。


「……先程も申しましたとおり、アドレー様はそこにいらっしゃるだけで、わたくしを戒め、心を熱く奮い立たせてくださいます」

「君の心を熱くさせるの?」

「はい」

「その言葉が、私の心を熱くさせる」


 彼はクリスティンの手を取り、自身の胸へと誘う。


「私は私にしか君に教えられないことを教えたい。君と親密に、密着できることがよいな」


(密着できること?)

 

 そういえば、アドレーはダンスが上手だ。

 流れるように、気品あるステップを踏む。


「では……わたくしにダンスを教えていただけないでしょうか」


 クリスティンには家庭教師がついていて、ダンスも一通り踊れるのだが、アドレーは何かひとに教えたいのだろうと思い、仕方なくそう言った。

 彼はふっと口元を綻ばせる。


「私に君はダンスを習いたい?」

「……はい」

 

 不敬だと機嫌を損ねられて、恐ろしい仕打ちをされないとも限らないので、クリスティンは頷く。


「ならもっと早くに言ってくれればよかったものを。では今から教えるよ。部屋で、ダンスの練習をしよう」

「え? 今からですか……」

「思い立ったが吉日という。薬草園の手入れももう終わっただろう?」

「ええ……」

 

 乗り気のアドレーに引き連れられて、クリスティンは部屋へと戻った。


「わたくし、こういった格好なのですけれど」

「そのままで構わない」

 

 それでステテコウェアのままクリスティンはアドレーに手を掴まれ、ステップを踏んだ。

 彼はダンスの名手と言われるだけあって、踊りやすい。

 今まで王宮で開催される夜会で、アドレーと踊ったことはあるが、自室でリラックスして身体を動かせる。

 気を抜けないが……。

 アドレーは踊りながら、クリスティンの耳朶に囁いた。


「君は二年半ほど前から、変わったような気がする。それはなぜ?」

 

 クリスティンは盛大に転んだ。彼の言葉に驚いて足を踏み外したのだ。

 

「す、すみません、アドレー様」

「構わないよ」


 床に倒れるクリスティンの顔の両側に手をつき、アドレーは上からクリスティンをのぞきこむ。


「私は、君が違う人間になったように感じるんだ」


 前世の記憶が蘇り、自分自身を客観的にみられるようになった。それでだろう。

 しかし前世云々を話せるわけがない。

 

「わたくしはわたくしですわ、アドレー様」

 

 起き上がろうとすると、それをアドレーが止めた。


「私は今の君を好ましく思っているよ、クリスティン」

 

 彼はクリスティンの髪を指で掬い取る。


「とてもね」

「……ありがとうございます」


 好ましいと言ってもらっても、警戒心しかわかない……。


「君が変わった理由を知りたい。数年前、濃い紅茶を飲んだあの日からだ。テーブルに頭をぶつけたから?」

「い、いえ。……年頃だったからですわ。ちょうど変わる頃ではありませんか?」

「ああ、私も君も年頃だね」


 アドレーは動く気配がない。彼の指が、クリスティンの顔のラインをなぞる。


「中身がまるで入れ替わってしまったみたいだし、外見も以前より、生き生きとし溌剌と輝いている」

「……身体が弱いままでは嫌でしたから、改善しようと鍛えたんですわ」

「リーが言っていた。君は成長と共に、身体つきは変わって、胸も大きくなって、稽古中、目のやり場に困る時があると」

 

 バランスよく栄養を摂るようにしていたら、近頃胸が膨らんできた。

 リーの視線も気になったし、稽古中きつくサラシを巻いている。

 

「アドレー様、このままの体勢でお話をするのは……。椅子に座りませんか」

 

 今のクリスティンなら、彼を投げ飛ばせる。

 が、そんなことをすれば、未来ではなく今破滅するだろう……。

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