第4話 様子がおかしい



※※※※※



(クリスティンさまのご様子がおかしい……)


 メル・グレンは、我が主の言動に非常に戸惑っていた。


 大貴族ファネル公爵家の令嬢クリスティンは、リューファス王国の未来の王妃である。

 吊り上がり気味のワインレッド色の瞳は、強い眼光を放つ。

 きつい顔立ちではあるが、気品のある美少女だ。

 性格は、一言で表せば傍若無人。

 しかし貴族というのは多かれ少なかれそうであるし、主が使用人に居丈高であっても、それは当然のことだ。


 七年前、ファネル公爵家に引き取られるまで、メルは孤児院にいた。

 川辺で大怪我を負っていたところを保護された。物心つく頃には施設にいて、それより前の記憶はない。

 ファネル公爵が視察で孤児院を訪れた際、五歳のクリスティンもついてきて、彼女はメルを見、公爵に頼んで、引き取らせた。

 女と間違われたのだ。彼女は人形のようにメルのことを考えていた。

 

 どんな理由であれ、仕事を与えてくれた公爵家には恩義を感じている。

 給金の殆どは、いつも孤児院に送っていた。


『風』の魔力を持つメルは重宝され、『影』としての業務も与えられている。

『影』とは、公爵家で隠密に動く者たちのことで、そういった人間が公爵家には数名存在している。

『影』の先輩から、様々な攻撃法、防御法を学び、中には暗殺法もあった。

 日頃はクリスティンの近侍として仕え、護衛しているが、いざとなれば汚れ仕事もするよう教え込まれている。

 

 クリスティンは、蝶よ花よと育てられた令嬢だ。

 彼女は使用人を虫ケラのようにみて、気に食わない者をクビにすることもしょっちゅうだった。

 

 だが、最近は以前と様子が違う。

 濃い紅茶を飲み、倒れた日からだ。


 いままでの彼女なら、そんな紅茶を淹れたメイドを、間違いなく即刻解雇したのに、庇う態度をみせた。

 三日三晩うなされた後、更に驚く行動をとった。

 体力改善のため、走り込みをはじめ、使用人である自分に教えを請うてきた。

 護身術は、公爵家の令嬢として必要ないと告げたが。

 メルは彼女の護衛としてもついているので、万一彼女に危機があれば、護身術を学ばなくても、この自分が守る。


(一体、クリスティン様はどうなさったのだろう……)

 

 頭を強くテーブルに打ち付けてしまい、きっと少々……おかしくなってしまったのだ。

 彼女は身体が弱い。走り込みはやめさせ、ウォーキングに付き添っている。

 すぐに彼女はバテる。だが、真剣に取り組み、そのあと部屋で不思議な体操をしている。

『ヨガ』というものらしい。

 健康に良いからと誘われ、メルも彼女とともに行っている。

 今までに聞いたことも、したこともないものだ。


 しかしぽかぽかとあたたまり、血行が良くなってリフレッシュもでき、確かに身体に良さそうだと感じた。

 クリスティンの健康にも良いだろう。

 

 が……あの格好は、大貴族の令嬢がする姿ではない。

 クリスティン自身が気に入り、動きやすいのであれば、メルがどうこういうことではないが……。しかし案の定、スウィジンに眉を顰められ、公爵夫妻には注意を受けていた。

 

 

 最も驚かされたのは、アドレーとの結婚がなくなってほしいと彼女が話したことだ。

 その協力をしてほしいと。

 あんなに王太子を慕っていたというのに……。


(時間が経てば、クリスティン様の混乱状態も落ち着くはずだ)

 

 メルはそう思っていた。

 

 

 今まで彼女は、身の回りのことはすべて人に任せてきた。

 自らする必要はないのに、近頃、進んでなんでも積極的に行うようになっている。

 将来のためらしい。

 それもよくわからない。

 王妃となる彼女が、炊事や洗濯をする必要はない。

 

 クリスティンの変貌に虚を衝かれつつ、己の心境の変化にも困惑していた。

 自分のような使用人であれ、感情というものは存在している。

 今まで恩義を感じても、クリスティンに対して、それ以外に思うところはなかった。

 

 だが最近、彼女に親しみを感じ、色々な意味で目を離せなく思うのだった。

 

 

※※※※※



 クリスティンは自分の横で、ヨガの三日月のポーズをとっているメルをじっと眺める。

 ゲームでは、彼は怖い描かれ方をしていた。

『影』と呼ばれる使用人──。

 特殊な訓練を受け、仕事内容には、暗殺も含まれている。

 悪役令嬢の命で、彼がとる行動は恐ろしいものだ。

 ともに、成敗されてしまうくらいに。

 だが学園入学前の、現在十四歳のメルはまったく怖くない。

 

 彼に護身術を教えてほしいと頼んだけれど、躱されてしまった。


(仕方ないわ、まずは基礎体力作りをしましょう)


 クリスティンは、庭園でのウォーキングもステテコウェアで行っている。

 アドレーがこの姿を見れば、婚約解消してくれるかもしれないと望みを持つ。

 けれどアドレーが来る際は事前に連絡が入り、念入りに支度を整えさせられてしまうので、それは無理だった。

 


◇◇◇◇◇



 早朝、メルとウォーキングをしていると、庭先でバッタリ、アドレーと出くわした。


「……アドレー様」

「クリスティン」


 彼はこちらに歩み寄ってくる。

 アドレーの隣には、彼の右腕であるラムゼイ・エヴァットの姿もある。

 彼もゲームの攻略対象で、悪役令嬢の断罪イベントに参加している。

 

「クリスティン……その姿は?」

 

 ステテコウェアを見て、アドレーはさすがに面食らっている。

 兄スウィジンが、近々アドレーが訪れると言っていたが、いつもはあるはずの事前連絡が、なぜか今日はなかった。

 婚約者がやってきて、震えが走る。

 しかもラムゼイまで共に。

 が、考えようによってはこれはラッキーだ。今、ステテコウェアである。

 

(婚約解消をしてくれるかも!)


「アドレー様、ラムゼイ様、ごきげんよう。本日はどうしてこちらに?」


 ふたりは、我が目を疑うようにクリスティンに視線を注いでいる。

 

 ラムゼイは冷たい美貌の持ち主だ。

 灰色にもみえる青の瞳に、月の光を束ねたような銀髪、細い鼻梁に、薄い唇。

 冷ややかな氷の貴公子と呼ばれている。

 ゲーム攻略中、彼のルートではうっとりできたが、今はそんなときめき微塵も抱けない。


「倒れた君が心配で。時間が空いたので思い立ってきたんだ。ラムゼイはちょうど王宮を訪れていて、共に寄った。連絡もせず来てすまないね」

「わざわざお越しくださいまして、ありがとうございます。ご心配をおかけいたしました。わたくしならもう大丈夫ですわ」

 

 ステテコ姿で、おほほと笑うクリスティンを前にふたりとも、困惑している。


「体調がよくなったのなら良いのだけど」

「はい。お蔭様で、快復いたしましたわ」

「クリスティン、それで……その姿は?」

「あら、まあ!」

 

 今気づいたとばかりに、クリスティンは自らの服を見下ろし、指で摘まんでみせた。


「わたくしったら。このような格好で! 失礼いたしました」

「君はいつもそういった服を着ているのか?」


 ラムゼイの冷たい呆れ声に、内心ビクつきつつ、微笑む。


「ええ、そうです。わたくし、近頃こういった格好を好んでおり、いつも着ているのです。とても動きやすいのですわ。おほほ」

「動きやすそうではあるが……王太子の婚約者としてふさわしい姿ではない」


 ぴしゃりと言ったラムゼイをアドレーが窘める。


「ラムゼイ。クリスティンが気に入っているのなら、いいじゃないか」

「だが、アドレー」 


 アドレーはクリスティンを庇いながらも、唖然としているのがみてとれる。


(そうそうラムゼイ様のおっしゃるとおり。ふさわしくないから、さっさと婚約破棄してください!)

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