第402話 夜半の襲撃(その10)

ソジ・トゥーイン率いる暗殺部隊がリブ・テンヴィーによって集団幻覚を見させられたのは10秒にも満たない時間だったが、そのごくわずかな隙が彼らの命取りになった。

「げっ」

「ごっ」

「ぐう」

夢から覚めたばかりの男たちの急所を一本の矢が射貫き、現実から「死」という名の別の夢へと送り届ける。

「あっ」

「いっ」

「ぎゃばっ」

胸壁からセイジア・タリウスを狙っていた兵士たちが地上へと次々に落下していくが、その命が既に絶たれているのを「マズカの黒鷲」ことトゥーインは悟っていた。無音にして軌跡も見せずに何の予兆もなしに眉間を眼窩を心臓を鳩尾を抉った矢に、

(なんという腕前だ!)

達人は達人を知る。帝国随一の弓の使い手は相手の技量がただならぬものであるのを見抜いていた。

「えっ」

「りっ」

「けひぃっ」

上方の敵を掃討したと見たのか、謎の反撃者は地上部隊へと標的を転じた。1秒に1人、確実かつ迅速にマズカの精鋭たちは抵抗するゆとりもなく葬られていく。部下の断末魔が耳に届いても、壁際に屈みこんで身を潜めた「黒鷲」には何もすることが出来ない。といっても、帝国の騎士団長は臆病風に吹かれたわけではなく、突如出現した強敵を仕留めるタイミングを計っていた。チャンスはただの一度、絶対にしくじるわけにはいかなかった。

(あれはセイジア・タリウスなのか?)

疑心暗鬼にとらわれる。アステラ王国最強の女騎士が弓を使えるとは聞いたことがなかったが、深夜の王宮に第三者が乱入してくるとも思えない。だが、

(何者なのかはどうだっていい。今大事なのは)

「奴」を倒すこと、それだけだ。そう思い定めたトゥーインの感覚器官に、中庭に配置された部下が全滅したのと、敵を一掃した「奴」の集中力が若干弛緩した気配が飛び込んできた。一流の騎士ならば目や耳に頼らずともそれくらいのことはわかるものだ。

(今だ!)

ここしかない、と立ち上がって壁から身を乗り出した「マズカの黒鷲」は必殺にして必至の一撃を繰り出した。これ以上ないタイミングで放たれた一弾は相手の意識の空白を衝き、「った!」と歓喜しかけたソジ・トゥーインの目に飛び込んできたのは、相手の矢と正面からぶつかり合った自らの矢が鏃から矢羽根まで真っ二つに両断された光景だった。そして、ぶわっ! と勁風が顔面に吹き付け、左の頬が暖かく濡れたのを感じた。血だ。「奴」のカウンターは「黒鷲」の攻撃を撃墜しただけでなく、衝撃波で帝国の騎士団長を切り裂いたのだ。

(馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!)

だが、トゥーインには肉体の傷はまるで気にならなかった。自分が先手を取ったのは間違いなく、敵を後手に回すのに成功した。しかし、後れをとったにもかかわらず「奴」は「黒鷲」よりも速く威力のある矢でもって迎撃に成功したのだ。力量に相当の差があって初めて成し得る神業と言うべきだった。戦いはまだ終わってはいなかったが、双方のランク付けは既に確定していた。そして、ソジ・トゥーインには生まれて初めて出会った自分を上回る強豪の顔がはっきり見えた。

(セイジア・タリウス!)

金髪碧眼の女騎士が弓でこちらに狙いをつけているのが白昼のように明瞭に目視できた。人でありながら神域に棲む、戦闘ヒエラルキーの頂点に立つ絶対者がそこにはいた。

(なんだ、まだ生きていたのか)

そんなささやきが耳元で聞こえた気がした。先程の一発で殺しきるつもりだったあてが外れて、不満げに唇を尖らせたセイが背負った筒から矢を抜き出そうとしているのを見て、

「ひいいいいいっ!」

トゥーインは悲鳴を上げながら逃走を開始した。あんなのにかなうわけがない。涙と鼻水を垂れ流し、戦略的な撤退などと言い訳もできないほどにみじめな有様だったが、今はとにかくあの女から少しでも遠ざかりたかった。命さえあればそれでいい。進退窮まった鳥の懇願が何処かに届いたのか、次弾が発射される前に階段へとたどり着くのに成功した。ここならば石垣で囲まれて直撃を受けることはない、とやや安堵して二段飛ばしで駆け下りていた男が踊り場に差し掛かったそのとき、ぼごおっ! と轟音とともに壁が爆発した。何事か、と混乱の極みにありながらも、

(なんだと?)

騎士は真相に気づく。セイジア・タリウスの矢によって積まれた石が消し飛ばされたのだ。しかし、「あり得ない!」と「黒鷲」は自らの結論を受け止めきれなかった。さっき確認した限りでは、あの女騎士が持っていたのは半弓、つまり速射に優れた反面パワーにやや欠けるうらみのある小さな弓だ。にもかかわらずこれほどの破壊力があるとは、と愕然とするトゥーインはおのれに都合の悪い事実に逢着する。外壁が崩れ落ちたことで、中庭にいるセイからこちらは丸見えになってしまっているのだ。虚空に浮かぶ巨大な眼に見据えられた気がした。もう逃げられない、と観念した「マズカの黒鷲」の行動は素早く、手にした弓に矢をつがえもう一度機先を制そうとした。だが、二度も先制を許すほど「金色の戦乙女」は甘くはなかった。

「ぐわっ!」

トゥーインよりも早く射たれたセイの飛び道具が大鷲騎士団長の長弓を破砕し、さらに右掌の真ん中を貫いた矢が男を壁へ縫い付ける。攻撃も逃亡も不可能になった男は人生最大の激痛と屈辱に身を震わすことしかできなかったが、

(まさか!)

一敗地にまみれた騎士の脳裏によぎったのは、かねてから対戦を熱望していた正体不明のライヴァルの存在だった。弓箭の道において「マズカの黒鷲」に唯一比肩しうると噂されていた正体不明の名人だ。

(奴が、奴こそが)

その名を口に出すよりも先に、さらなる矢が左の掌も貫通し、ソジ・トゥーインは聖者のごとく石の壁に磔となる。好敵手と目していた相手に惨敗を喫した騎士はもはや正気を保つことができず、口からぶくぶくと泡を吹き白目を剥いて気を失った。かくしてマズカ帝国大鷲騎士団によるアステラ王宮での夜襲は失敗に終わり、一連の騒動は終わりを迎えることとなったのである。


「嘘だ。信じられん。トゥーイン殿が負けることなどあってはならんのだ」

一縷の望みが断たれたジムニー・ファンタンゴががっくり膝をつく一方で、勝利した王国の人々も今しがた起こった出来事を上手く咀嚼できずにいた。

「タリウスよ、おまえがこれほど弓が達者だとは思わなかったぞ」

国王スコットの発言は一同の思いを代表して語ったものであったが、

(「達者」でもまだ不十分だ。でも、今セイさんがやったことは、どんな言葉でも言い表せない気がする)

アリエル・フィッツシモンズは汗にまみれた手を握り締めた。彼とシーザー・レオンハルトがセイに弓矢を渡してからまだ5分も経っていないのに、ごく短時間で彼女は兵士たちを鏖殺してみせたばかりか、帝国最強の呼び声も高い「マズカの黒鷲」を圧倒してのけたのだ。美貌の騎士の強さはよく知っているつもりだったが、過去のどの戦いよりも凄絶極まりないものとしか思えなかった。もはや人間を辞めてしまったかのような、神の御業か悪魔の遊戯としか思われない超絶技巧だ、とそこまで考えた少年騎士はあることに気づいてはっ!となる。このアステラにはひとつの伝説があり、危機に陥った王国をそのたびに救った弓の名手がいると広く信じられていた。その正体は謎に包まれ、一部では実在を疑われてもいたが、多くの人から信仰に近い畏敬の念を集める存在だった。

「魔弾の射手」

アルがその名をつぶやくと、外から表に出てきた人々の口から驚きの声が漏れ、

「セイ、もしやおまえが」

ナーガ・リュウケイビッチが桃色の唇を震わせ、リブ・テンヴィーは黙ったままもともと大きな目をさらに大きくした。友人たちにとっても知られざる事実の発覚だった。

「やれやれ」

セイは大きく溜息をつくと、

「とうとうばれてしまったか」

困ったように微笑みながら、皆の方へと振り返った。「金色の戦乙女」セイジア・タリウスは「魔弾の射手」でもあったのだ。

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