第389話 相手が悪い(その2)
ジムニー・ファンタンゴはこれ以上リボン・アマカリーの顔を見たくはなかったし(もともと美しい女を見ると強い反感を覚える気質だった)、話をしたくもなかった。初対面(厳密には違うようだが)の素性も知れぬ貴婦人によって「平和条約」の名のもとにアステラ王国をマズカ帝国へと編入する長年の悲願を粉砕されたのだ。悪夢としか言いようのない状況で、
(この女はわたしの天敵だ)
と否応なくわからされていた。計画を全て読み切られた以上、彼女は自分よりも頭が良い、と認めざるを得ず、おのれの才覚を鼻にかけて世を渡ってきた政治家は未曽有の心痛を味わっていた。事ここに至っては敗勢を一気にひっくり返すことなど不可能で、ファンタンゴにできることはごく限られていたが、負けを潔く受け入れるにはこの男のプライドは高すぎて、溜まりに溜まった怨念と憤懣を誰かにぶつけずにはいられなくなっていた。といっても、リボン・アマカリーを攻撃したならたちまち逆襲されてさらなる地獄を味わう羽目になるのはわかりきっていたので、別の人間を怒りの捌け口にするしかなかった。そして偶然にも、今この場には彼が心から憎む女性がもう一人存在していたのだ。
「さぞかしいい気分であろうな、セイジア・タリウス」
「は?」
いきなり声をかけられた金髪の女騎士は驚いて声を上げてしまう。注意散漫な生徒が教師に指名されて慌てるような態度がファンタンゴをさらに苛立たせた。おまえ、わたしから興味を失くしていたな? わたしがおまえをこれほど嫌っているというのに許せん、というセイにしてみればはなはだ傍迷惑な八つ当たりでしかなかったのだが。
「今はもうわかっているだろうが、貴様を騎士団から追い出したのも、貴様を辺境へと追いやったのも、そして貴様の暮らす村を軍隊に襲わせたのも、全てわたしの差し金だ。だが、それらの計画は失敗して、とうに死んでいるはずの貴様は王都へと帰還し、わたしはこうして打ちひしがれている」
屈辱のあまり長い顔を暗色に染めた宰相は折れんばかりに首を曲げてセイを凝視すると、
「不幸の元凶たるわたしに復讐するために戻ってきたのだろう? やりたければやるがいい。野蛮な騎士らしく殴るなり蹴るなり好きにしろ。暴力に訴えて憂さを晴らせばよかろう。貴様みたいな畜生にできるのはどうせその程度だ。宿願はかなわなかったが、それはわたしが誤っていたからではない。神聖なる使徒も時の運に見放されることはあるのだ。結果はどうだろうと、正しいのはわたしで間違っているのはおまえたちの方だ。そのことだけはしっかりとわきまえておけ」
さあ殺せ、とジムニー・ファンタンゴはわめき散らす。最高指導者の醜態に国王を筆頭に政治家や官僚たちも困惑を隠せない一方で、
「あいつは子供か」
うちの弟の方がよっぽど大人だ、としがらみのない異国の少女騎士ナーガ・リュウケイビッチは身も蓋もないツッコミを入れる。追い詰められた時こそ人の本性が出るとよく言われているが、その考えに従うのならジムニー・ファンタンゴの正体はわがままな駄々っ子でしかないのかもしれなかった。
「さあ、どうした。殺せ。さっさと殺せ。一思いに殺せ」
とうとう床に大の字に寝そべった大臣をセイジア・タリウスは困った顔をしてしばし眺めていたが、はあ、と大きく溜息をついてから、
「あのなあ」
いかにもやりきれない、と言いたげな表情で口を開いた。
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