第350話 女王蜂の一刺し(その2)

三代のアステラ王に仕え、主君と宮廷を守ることのみに専念し、政策に口出しするのは稀な老侍従長が思わず発言したのは、王位の継承という彼が専門とする領域にリブ・テンヴィーが足を踏み入れたからだった。

「国王陛下にあらせられては、未だ独り身でお子様をなさぬがゆえに、お世継ぎの不安が全くないというのは嘘になる。しかし、陛下はまだお若く心身共に健やかであり、お妃も遠からずお迎えすることになるはずだ。陛下の治世はあと何十年も続かれるものとわしは確信しておる」

侍従長の言葉の端々に寂しさが含まれていたのは、老齢に達した彼が敬愛する若き王の傍らにいつまでも侍ることはできない、という残酷な事実を強く認識していたからなのだろう。老人はリブを面と向かって非難はしなかったが、その皺の寄った顔に王のありかたについて軽はずみに触れた不満が浮かぶのをを見て取った美女は、

「ごめんなさいね、あなたの気分を害するつもりはなかったのよ」

先回りして王の側近に非礼を詫びてから、

「わたしも陛下に長く治めてもらいたいし、そうでないと困ると思っているわ。今、陛下に何かがあったとしても、代わりになる人なんてこの国にはいないのだから」

この時点において、アステラ王国には何人もの王族がいたが、年を取り過ぎた者や幼すぎる者、病んだ者に徳を欠いた者など、玉座につくのにふさわしい人間は皆無といってよく、もともと現国王スコットの人気が高かったこともあって、王位を巡る争いは彼が即位して以来起こっていなかった。

「なんだ、あんたもわかっておるのではないか。つまり仮に陛下を引きずり下ろそうとする不逞の輩がおったとしても、支持を集められるはずなどないのだ」

力強く言い切った侍従長をリブは悲しげに見下ろして(老人より彼女の方が背が高かった)、

「残念だけどそうじゃないわ。クーデターが成功する可能性はゼロじゃないのよ」

「なんじゃと?」

老爺の驚愕に女占い師は溜息でもって応え、

「侍従長さん、よく思い出してみて。わたしはさっき『陛下の代わりになる人はこの国にはいない』と言ったのよ。『全くいない』とは言っていない」

リブの言っている意味がわからずに固まる侍従長よりも早く、

「なるほど、この国にはいなくても他の国にはいる、ということだな」

普段は天然ボケでも肝腎な場面では頭を鋭く動かすセイジア・タリウスが親友の真意を理解する。

「ええ、その通り。なかなかやるわね、セイ」

莞爾として微笑んだリブは、

「じゃあ、何処にいるのか言ってみて、アルくん」

「えっ⁈」

いきなり話を振られたアリエル・フィッツシモンズは、びくっ! と直立したまま床から足を浮かせてしまうが、そこは「王国の鳳雛」と呼ばれる文武両道の秀才だけあって、

「それはやはり、マズカ帝国、なのでしょうね」

と貴婦人の求める正解を見事に弾き出した。よくできました、と言いたげに大きく頷いたリボン・アマカリーa.k.aまたの名をリブ・テンヴィーは、

「わがアステラの王室とマズカの帝室は歴史的にも深い交わりがあって、姻戚関係にもあるというのは、ここにいるみなさんもご存じよね? つまり、マズカからアステラに王を招くというのは、有り得ない話じゃないのよ」

そんな馬鹿な、と侍従長が叫びそうになったのは、理屈に基づく反論をするよりも感情的な条件反射に過ぎなかった。帝国からの使節を王宮に迎え入れたのも、王に随行して帝国を訪れたのも数えきれぬほどにあった。両国の親密な関係を身をもって知っている禿頭の老人には、妙に生意気な若い娘の推理を根拠のない勘繰りだと否定することが出来なかったのだ。

「なるほど、100年以上前に4代目の王が重い病気になられたときに、マズカの王子を養子にとろう、という話が持ち上がったことがある、と数々の書物に記録されていた、と小生は記憶しています」

学識豊かな文部大臣が重々しく頷いた(ちなみにその際は、当時の王が奇跡的に回復したので、実現には至らなかった)。れっきとした前例があったのに、政治家や官僚たちは衝撃を受け、

「そして、今のマズカには成年に達した元気のいい王子様が何人もいるのよね」

お誂え向き、と言ったらなんだけど、リブは皮肉めいた笑みを浮かべた。


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