第351話 女王蜂の一刺し(その3)

「マズカの皇子様と王位をすげ替える、と考えたら今までの辻褄も合ってきちゃうのよね」

リブ・テンヴィーは、ふぁさっ、と肩まで伸びたブルネットの髪をかき上げてから、

「『平和条約』も、事実上帝国との一体化を図るものだったわけで、2つの国がひとつになるのだとしたら、帝室と王家も統一されるべき、って考えるようになるんじゃないかしら。別々にあったら混乱の元になりかねないわけで」

占い師は瞳の紫色を一段と深くして、

「つまり、あなたは陛下の退位、いえ、それどころかこのアステラ王家の消滅までも織り込んだうえで『平和条約』を躍起になって推し進めてきた、って考えられちゃうのよね、ジムニー・ファンタンゴさん」

「馬鹿を言え! 馬鹿を言うな! 馬鹿か貴様!」

ファンタンゴ宰相がリブに向かって血相を変えて反論したのも当然だった。アステラ王国の人々はさほど愛国心は強くないが、国王並びに王家に対する尊崇心は並々ならぬものがあったのだ。かつてマキスィ都市連合に派遣された使節団に随伴したとある温厚な小太りの貴婦人がパーティーの席で現地の高官からアステラ王の外見を軽く当てこすられて、

「ぶっ殺してやる!」

とナイフとフォークを握りしめて襲いかかった、というエピソードは世界中に広く知られていた(王国に帰還した夫人を多くの国民は諸手を挙げて歓迎したという)。どんなやくざ者でも国王の話題となれば自然と頭を垂れるのがアステラの国民性とも言えたわけで、それほどまでに人々に敬われている王を政治の道具として扱う人間が好感など持たれようがない、というのは考えるまでもなくわかることだった。現に宰相を見る人々の目は蔑みと嫌悪に満ち、おのれが汚物に変じたかのような心持ちをファンタンゴは味わう。

「この女の言うことを信じるんじゃない! よく考えてもみろ。こいつの話には何ひとつ証拠なんてないんだぞ!」

このままでは完全に支持を失ってしまう、と権力者が必死で抗弁する一方で、

「ねえ、侍従長さん」

リブは宰相を無視して忠義に篤い老人に話を振り、自らを軽んじる年下の女子にファンタンゴの焦燥は最大限に高まっていく。

「おじいさん、あなた、さっき陛下のお妃の話をしていたけど、もしかすると実際に縁談が進んでいるんじゃないかしら?」

美女の問いかけに侍従長は目を見開いて、

「いかにもその通りだ。いや、事が重大なので本決まりになるまでは内密にしておこうと思っておったので、この件を知る者はこの王宮でも数えるほどしかいないはずじゃが」

孫ほどの年齢の女性に黙ったまま見つめられたじいさんは続きを促された気分になって、

「陛下も20代半ばでそれそろ身を固める時期だと思って、候補となるお方を何人か目星をつけておったのだ。家柄も知性も品性もお妃になるにふさわしい女性を選ぶのが、わしの最後のご奉公だと心得ておったのだが、陛下が今ひとつ乗り気になられなくてのう。わしもいろいろ意見を差し上げたのだが、無理強いをするわけにもいかないので、ひとまず保留にしてある、というのが事の次第じゃ」

初めて聞く重大事項に列席者たちが目を丸くしているのをよそに、

「ねえ、もしかしてなんだけど」

リブ・テンヴィーは薄く微笑みながら右の人差し指で侍従長をさして、

「お妃の最有力候補って、帝国のお姫様なんじゃない?」

あっ! と叫ぶつもりが驚きすぎて声を出すのに失敗した老人は口をぱくぱくさせてから、

「またしても、いかにもその通り。誰にも言っておらん話なのに、どうしてわかる? ご婦人、あんたは人の心を読む力でも持っておるのか?」

当たらずとも遠からずなことを言われた占い師は、

「わたしのことはいいから、もっと詳しく話しなさい」

持ち前の迫力でもって50歳ほどの年齢差を無意味なものにする。

「そこまでお見通しなら隠していても仕方が無いから話すことにするが、マズカのみかどの末のお嬢様だ。まだ幼いがとても利発なお方で、お父君も将来を嘱望されているともっぱらの評判で」

老爺の長くなりそうな話を終いまで聞かずに、

「で、そのお姫様を推薦したのは宰相閣下、ということで合っているかしら?」

リブが念を押すと、侍従長は顔を強張らせて、

「いかにもその通り」

この夜3回目になるセリフを吐いた。姫君の人となりが記載された書類をファンタンゴから手渡された記憶が、老人の顔と同様に皺の寄った脳内に甦る。

(よくもまあ、これだけ調べ上げたものだ)

と丁寧な仕事ぶりにその時は感心したものだが、今となってはそれが当惑へと変わっていた。帝国の独裁者の娘ならば最大限に警戒されているはずなのに、どうしてそんなに詳しく調べられたのか? なるほどね、と背をまっすぐ伸ばした魅惑の貴婦人は、

「宰相様は皇帝陛下お気に入りのお姫様を陛下と結婚させたかったわけね。まあ、王国と帝国の絆を高めるためには願ってもない縁組み、と言えるわけだけど」

くるり、と身を翻したのにつられてロングスカートが広がり、

「この場合、国同士が仲良くなりすぎるかもしれない、というのが問題ね。あまりにも仲が良すぎて、2つの国が1つになっちゃうかも知れないくらいに」

つまり、国王の結婚もまた帝国による「見えない侵略」の一環なのだ、とリブ・テンヴィーは暗に示し、ファンタンゴへと向けられた侍従長の顔に浮かんだ消しがたい猜疑心は、彼女の推理が説得力を持って受け入れられている証なのかも知れなかった。

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