第331話 見えない侵略(その1)
本題に入ってもいいか、というリブ・テンヴィーのつぶやきを耳にして、
「はあ?」
深夜のアステラ王宮に集った人々はほぼ全員大声を上げた。国王スコットも危うく叫びかけたが、君主にふさわしからぬ行為だと危ういところで自重したために、彼だけが唯一黙ったままでいられた。たった今、王国の未来を危うくする「平和条約」への批准を食い止められたというのに、それが彼女にとっての「本題」ではない、というは一体どういうことなのか。
「あの、リブさん。きみは今夜条約のためにここまで来たのではなかったのかい?」
おずおずと訊ねてきたセイジア・タリウスをさも可笑しそうに眺めた妖艶なる占い師は、
「それも目的のひとつではあるけど、あくまでついでの話よ。わたしが本当にやりたいことは別にあるの」
そう言って、ふう、とわかりやすく溜息をつくと、
「大体ねえ、ここにいるみなさんがしっかりしてくれないから、わたしなんかが出張る羽目になったのよ。政治とか戦争とか、そんないけてないお話はアブラギッシュなおじさまたちがやるべきことであって、かよわい女子に手助けしてもらわないといけないなんて、だらしないにも程があるんじゃないかしら。うんと反省してくれないと困るわ」
彼らにとっては子供か孫にあたる年齢のうら若き才媛にやりこめられて、肩書だけは立派な男たちは顔を赤くして俯くしかない。その一方で、
(あんたの何処が「かよわい」んだ、っつーの)
とついうっかり思ってしまったシーザー・レオンハルトを、
「騎士団長様、わたしの考えに何か問題でも?」
ぎろり、とリブは睨みつける。どうして考えを読むんだよ、と一気にすくみ上がったシーザーは、
「ななな何をおっしゃいますやら! おれが姐御に逆らったことが一度だってあったか? おれはあんたの一の子分なんだ。何でも好きなように言ってくれよ。ははは。はははははは。はははははははははははははは」
しくじったら命に係わる、と「アステラの若獅子」は戦場でも有り得ないほどに必死な思いで大至急笑ってごまかす。
(リブさんの前で余計なことを考えるからそうなるんですよ)
アリエル・フィッツシモンズも巻き添えを食らいたくないので上官を助けようとはしなかった。大柄な青年騎士を無条件降伏させたのにいくらか気分を良くしたのか、ぱたぱた、と快さそうに扇を動かすアマカリー家の貴婦人に、
「リボン・アマカリーよ、そなたの『本当にやりたいこと』とは何なのだ?」
王は思わず訊ねていた。初対面ではあったが、彼女が端倪すべからざる力量を持っているのは明らかで、婦人だからといって軽く扱ってはならず、爆薬と同じかそれ以上に注意を払うべき存在だと次第に理解しつつあった。君主の心配りをうれしく思ったリブは顔をほころばせて、
「いえ、大したことではございませぬが、陛下にも後程お訊ねしたいことがあるので、お答えしていただけるとうれしゅうございます」
頭を下げた美女に、余にわかることなら答えよう、と返そうとして、
「後程、というのはどういうことなのか? 今ではダメなのか?」
首を傾げた。するとリブは、
「ある人にお使いを頼んであるのですが、どうも用事が長引いているようでまだ来ていないのです」
と申し訳なさそうに謝罪した。
(リブのやつ、まだ何か企んでいるらしい)
セイは友人に秘策があるのを感じ取る。彼女がやるからには「お使い」などという可愛らしいものであるはずがない。あるいは、この遅刻も作戦の一環なのかもしれない。
「なに、別に構わぬ。貴女は傾聴に値する話もしてくれた。少しくらい待つことにいたそう」
高貴な血筋を持つ者らしい鷹揚な態度を見せた国王スコットに「なんと勿体ないお言葉」とリブ・テンヴィーことリボン・アマカリーは薔薇の花びらを思わせる唇に笑みを浮かべ、
「せっかくなので、待ち人が来るまでの間に、少しばかり別の話をさせていただくことにしましょう」
「ほう。そなたの身の上話なら皆も聞きたがると思うが」
「いえいえ、わたしごとき者の人生など実につまらないものです。誰かにお聞かせするほどのものではございません」
貴族の令嬢から占い師へと転身し世界を放浪するという、波乱万丈な生活を送ってきた彼女の言葉は謙遜を通り越して虚偽にも近いものであったが、
「ここはひとつ、おとぎ話を語ろうかと思います」
「なに?」
思いも寄らぬ言葉に王は驚き、周囲の人々も呆気にとられた。宵っ張りの子供を寝かしつけるわけでもあるまいし、何が悲しくて大の大人が夜中から童話を聞かなくてはならないのか、と不満に思う者もいたが、
「そなたが語るのであれば、ただの物語というわけでもあるまい」
未だ覚醒していないとはいえ、王者の才を秘めた青年はリブの言葉に隠されたものをなんとはなしに感じ取り、
「聞かせてくれ。おそらくそれは余だけではなく皆も知るべき話なのだろう」
「お許しいただけたことに感謝いたします」
リブ・テンヴィーの紫の瞳に宿った光がひときわ輝度を増す。
「では早速お話させていただくことにします。さほど長くはかかりませぬ」
背筋をぴんと伸ばした淑女の面影に咲き誇る白百合を重ねながら、
「その物語、タイトルは何と申すのか?」
王から下問されたリブは素敵にして不敵な笑みを浮かべ、
「見えない侵略」
おとぎ話らしからぬ不穏な題名を告げた。
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