第307話 躓き(その5)

「セイジア・タリウスは今、東の国境近くの村で暮らしている。都で暮らしているお偉方にはわからないだろうが、山奥での生活は自給自足を求められる厳しいもので、セイはそれを召使もなしにひとりでこなしているんだ。そればかりか、自分の暮らす村や近くの村のために朝から晩まで駆けずり回っている。頼まれるまでもなく『何か困りごとはないか?』と自分から訊きに行って、対価を一切もらわないタダ働きをしているのだから、どうしようもない愚か者だ。挙句の果てには、村を襲ってきた200人の軍隊をほぼ一人で迎え撃ったんだから、こんな大馬鹿者は過去にも未来にも存在しない。さっさと逃げてしまえばよかったのにわざわざ戦ったんだから、馬鹿もここに極まれり、と言ったところだ」

おまえだって一緒に戦ったじゃないか、とセイは唇を尖らせたが、ナーガは身体の中で荒れ狂う感情を抑えるのに懸命で、金髪の女騎士の動向に気を配る余裕はなかった。

(わたしたちのために、セイはたくさんのことをしてくれた)

と今になって気づかされたのだ。「祖父の仇」と罵倒し命を狙ってきた相手を助ける義理などなかったのに、異国の地に流れ着いた自分たちがジンバ村の人たちに受け入れられるように取り計らい、自分も弟も鍛えてくれた。「いい食材が手に入った」と料理を作ってきたり、「何かと不便だろうから」と衣類や小物を運んできたりした。リュウケイビッチ家の使用人たちが開墾した畑を耕すのを手伝ってくれた。もちろんお願いなんかしていないし、それどころか「迷惑だ」と拒否していたのに、それでもセイはお節介をやめようとはしなかった。どうしてそこまでしてくれたのか。ドラクル・リュウケイビッチの死に責任を感じた、ということはあっただろうが、それだけではないはずだった。困っている人を見過ごせない、セイジア・タリウス持ち前の善意あるいは親切心が彼女を突き動かしていたのだろう。とはいえ、普通だったらおのれの損得を考えて何処かでセーブするところだろうが、セイは自らの利害などまるで顧みずジンバ村の人たちとモクジュの避難民を救おうとしたのだ。一歩間違えば死んでしまっていたかもしれないというのに。

(おまえはなんて馬鹿なんだ、セイジア・タリウス)

そう思いながらもナーガはセイに対して恩義を感じてしまっていた。とてもつらい日々の中で差し伸べてくれた手がどれだけありがたかったことか。他愛ない口喧嘩のおかげで度重なる苦難で傷つけられた心がどんなに慰められたことか。近しく付き合っていても敵である彼女にそのような思いを抱きたくはなかったが、かと言って恩知らずになりたくもなく、どうしようもないジレンマが涙になって溢れかける。しかし、泣いてしまえば本当に負けだ、という気がしたので、戦時中でも有り得なかったほどの忍耐力で強引に心の雫を抑え込むと、

「おい、青瓢箪。おまえたちは馬鹿だ、と何度だって言ってやるぞ。このセイジア・タリウスは古今東西に例のない大馬鹿者なんだ。この世の全ての人間を救おうとしている、馬鹿すぎて逆に天才なんじゃないか、って思ってしまうくらいのすごいやつなんだ。そんな最高の馬鹿をおまえらみたいなただの馬鹿と同じように考えるんじゃない。ばーーーーーーか!」

最後は子供の喧嘩のようになってしまったし、大馬鹿者をわざわざ弁護してやっている自分もかなり馬鹿だな、と思ってから、涙で歪んだ視界に入った全てのものが宝石箱をひっくり返したみたいにきらめいて見えるのは何故だろう、とナーガは不思議な気持ちになっていた。

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