第292話 女騎士さん、我が道を行く(前編)
「ヴァル・オートモはもうひとつ重要なことを言い残しました。アステラがマズカ、マキスィと『平和条約』なる取り決めを結び、それに基づいて3カ国の一体化を図ろうとしている、と聞きましたが」
セイジア・タリウスは落ち着き払った態度で国王スコットを見上げ、
「この話は真なのですか?」
冷静すぎるほどの声で問いかけた。多くの家来から猛反対された一件にこの娘も絡んでくるのか、と若干うんざりしたアステラの王は、
「事実である」
短く言い切ってから、
「おまえも条約には反対するのか、タリウス?」
かつての騎士団長として王立騎士団の解体など受け入れられはしないだろう、という先入観の混じった問いかけを返すと、
「今のままでは反対せざるを得ません」
金髪の騎士はかすかな微笑みとともに答えた。「おや」と何人かの重臣が首を捻ったのは、セイの返事が含みを持たせたものだったからだ。問題が解消されれば賛同してもいい、という意味を遠回しに込めた政治家や官僚が常套手段としているある種のレトリックをうら若き乙女が用いたのに違和感を持ったわけである。そんな熟年あるいは老年の男たちの考えなどお構いなしに、膝をつき礼の姿勢をとっていたセイが、すっ、といきなり立ち上がった。場内の視線を独り占めにした「金色の戦乙女」は、
「なあ、アル」
音もなく優雅に身を翻すと、アリエル・フィッツシモンズに声をかけた。あまりに突然だったので、長い付き合いで彼女の美貌に慣れていたつもりの少年騎士も思わずどぎまぎしてしまって、
「な・な・な、なんでしょうか?」
と慌てふためきながら訊き返すと、「うむ」と女騎士は頷いてから、
「騎士の本懐は、主君に忠誠を誓って正義のために働くことにある、それに間違いはないよな?」
と訊ねてきた。この緊迫した場面で訊くことだろうか? というのと、どうしてそんな基本的な話をするのか? という疑問が二重になってアルの脳裏を占める。そんなことは騎士の資格を持つ者なら誰だって心得ていることだ。最強の女騎士が知らぬはずがなかったが、
「確かにその通りです」
と答えると、セイはもう一度「うむ」と頷いて、
「わたしもついこの前まではそれを信じて疑うことはなかった。13歳のときに先王陛下から資格を授けられ、その後を継がれた今上にも、二代にわたって仕えられたのを今でも誇りに思っている」
そう言いながら、女騎士は左の肩に右手でそっと触れた。叙任式で先代アステラ国王に、
「国のため、民のためにしっかり働くように」
と告げられながら左肩にあてられた剣の重さを思い起こしているかのようだった。
(陛下はあえて「王のために」と仰らなかった)
20年にもわたりアステラを統治してきた君主の慈顔には、万人の幸福のためであれば躊躇なく身を擲つ覚悟が秘められていた。嘘偽りのない真心は未熟な少女にも伝わり、「この人のためなら死ねる」とセイは胸を熱くして主君への忠義を即座に誓っていた。
「自分はかなりの幸せ者だった、というのは今になってようやく気付けたことだ。わたしのお仕えした王はお二人とも優しさと正しさを併せ持つお方だったから、わたしはただひたすら陛下のため国のため皆のために前を向いてがむしゃらに走り続けていればそれでよかったのだからな」
決して戻らない失われた過去を惜しむ気持ちが滲み出た青い瞳の騎士の語り口に聞き惚れそうになりながらも、
「それに何か問題があったのですか?」
アルがなんとか訊き返すと、「いや、そうではない」とセイは薄くさわやかに笑ってから、
「わたしがアステラの騎士として送った日々を悔やむつもりはないが、ただ、あまりに恵まれていたがために大事なことに気づけなかったこと、それが問題だ、と言えるのかもしれない。騎士という身分に付きまとう矛盾を、迂闊にも今まで考えてこなかったのだ」
おのれの怠慢を責めるかのように肩をすくめたセイに、
「なんだ? その矛盾というのは」
ナーガ・リュウケイビッチが立ち上がりながら訊ねる。彼女も騎士としてセイの言動が気にかかったのかもしれない。「金色の戦乙女」と呼ばれる女子はアルとナーガをかわるがわる見てから小さく息をついて、
「騎士にとって必要不可欠な要素である『忠誠』と『正義』、このふたつは必ずしも両立しない、ということだ」
自らの悩みをそっと明かした。
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