第271話 謀略の発動(その4)

自分が盾となる、と宣言したシーザー・レオンハルトの顔を見上げるアリエル・フィッツシモンズの顔からは完全の血の気が引いていた。

「やめてくださいよ、レオンハルトさん。そんなに簡単に命を捨てるようなことを言わないでください」

考え直すように促す声も激しく震えていたが、大柄な青年はさばさばした態度で、

「しかたねえだろ。この状況で誰一人無事で済ませられる可能性なんてありやしないんだ」

だったら犠牲は少ない方がいい、とあっさりと生存の可能性を見限ったかのように見えたシーザーにアルの怒りが爆発する。

「何を馬鹿なことを言ってるんですか。あなたは王立騎士団の団長なんです。国を守る重責があるんです。ぼくを助けるために死ぬなんて言語道断です。あなたの身代わりになるべきなのはぼくの方です」

年下の副官に怒られる我が身を情けなく思ったものの、少年の茶色い瞳ににじむ涙を見て「ますますこいつを死なせたくない」と「アステラの若獅子」の決意はかえって固いものになる。上官としての義務感と個人的な友情が二重写しのようになってシーザーを自己犠牲へと突き動かす。

「勘違いはよくねえな、アル。おれはおまえを助けようとしているわけじゃない。おまえにおれの代わりにきつい仕事をやってもらいたいから、おまえの分まで撃たれてやる、って言ってるんだ」

「えっ?」

思いがけない言葉に目を見開くアルに騎士団長は笑いかけると、

「おれが撃たれたらすぐに『黒鷲』のおっさんをれ。それから、陛下の縄張りに土足でのこのこやってきやがったマズカの馬鹿野郎どもを叩きのめせ」

確かにそれだけでも「きつい仕事」だと言えたが、「そして」とシーザーは黒い瞳を熱く滾らせながら、

「宰相閣下も始末しろ。それがおまえにやってもらいたいことだ」

王立騎士団団長の下した命令に謁見の間は騒然となるが、

「血迷ったか、レオンハルト。わたしへの反逆は、陛下への、そして王国への反逆と同じことだ。たった今、貴様は謀反人となったのだ」

宰相ジムニー・ファンタンゴは表情をまるで乱さずに丸暗記したセリフを諳んじるかのように言い放つ。しかし、

「笑わせやがる。てめえのやっていることこそ謀反じゃねえか。きれいごとを言ってはいるが、自分の好き勝手に国を動かそうとしているのは、そこいらのヤクザかチンピラと何も変わりはしねえ。お偉い政治家が聞いて呆れるぜ」

獅子吼、と呼ぶべき怒声が深夜の大広間の空気を震わせ、

「宰相さんよ、あんたはこのシーザー・レオンハルトに喧嘩を売ったんだ。この部屋から無事に出られると思ったら大間違いだ。ま、あんたに直接手を下せないのはちょっとばかり残念ではあるが、うちの副長はおれよりも性質タチが悪いんだ。楽に死ねると思わない方がいい」

騎士団長の死刑宣告に「馬鹿には付き合っていられない」とファンタンゴは平静を装うが、服に隠された身体からは汗が噴き出て、咽喉からせりあがってくる胃液を懸命に飲み込んでいた。武人の強烈な気迫を受けて文官にしてはよく我慢した、と評価すべきなのかも知れない。

「賢明な選択とは言いかねるな、レオンハルト殿」

緊迫感を増していく室内でもソジ・トゥーインの声の温度は上がることなく、シーザーとアルの心臓を狙う弓矢を持つ手も微動だにしない。

「これはもはやきみ一人の問題ではないのだ。さっきわたしが言ったことを覚えていないのかね? わが大鷲騎士団が王立騎士団とともに行動している、と伝えたはずだ。諸君らの部下の死命はわが手中にある。貴殿も一軍を率いる将であれば、もっと冷静に判断すべきだと思うが。アステラの騎士たちをこのまま見殺しにするつもりか?」

「マズカの黒鷲」の言葉は重く、アルも説得力を感じざるを得ない。遠く離れた場所にいる自分たちには配下の騎士たちを救う術はないのだ。だが、

「まあ、それはしゃーないんじゃないかな。残念な話だけどよ」

シーザー・レオンハルトがあっけらかんと言い放ったので、さすがのトゥーインも驚愕のあまり目を見開いてしまう。

「馬鹿な。それほどたやすく部下を見捨てるなど、貴殿はそれでも騎士団長なのか?」

思わず感情が入り混じった「黒鷲」の返事にシーザーは噴き出して、

「おいおい。それはこっちのセリフだっつーの。同盟国の同志たちを罠に引っ掛けたあんたこそまっとうな軍人なのか、って言いてえよ」

真っ向から反論された帝国の騎士は言い返せない。粗野に見えてもシーザー・レオンハルトの知能は決して低くはないのだ。

「っていうかよ、言うことを聞けばおれの部下を無事に返す、って話だが、それを信用できる理由が何処にある? って話だ。もうとっくの昔に全滅してるかもしれねえじゃねえか。口惜しいが、おれはもう野郎どもの命はないものだと思っている」

無念さをこめて拳を強く握りしめ、

「その代わり、おれも今からここで死ぬ。大将としてのけじめを取らないといけねえし、あの世でも一緒に騎士団をやっていけるなら、あいつらも寂しい思いをしなくて済むと思うしな」

この若者を見誤っていた、とソジ・トゥーインは心から悔いていた。部下を思う熱い魂と必要とあらばおのれの生命を紙のように惜しげも投げ捨てる覚悟、これほどの勇者が帝国にもいるだろうか。そして何より、

(隙が全く無い)

もともと広かったシーザーの背中が男の目には何倍にも膨れ上がったかのように見え、鍛え上げられた広背筋は古代の大王が蛮族の侵攻を食い止めるために築き上げた大防壁グレート・ウォールさながらに堅い守りを誇っているとしか思えなくなっていた。「アステラの若獅子」は宣言した通りに「王国の鳳雛」を守り通し、そして守られた少年は斃れた上官に代わってなすべきことをなすのだろう。つまり、シーザー・レオンハルトが死ねば、ソジ・トゥーインもすぐに後を追うのは必定であり、世界有数の射撃の名手は袋小路に嵌ったのを自覚したものの、今更構えた武器を下すわけにもいかず、長く伸びた髭を揺らす以外に何もできることはなかった。

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