第269話 謀略の発動(その2)

宰相ジムニー・ファンタンゴは他の重臣たちに「平和条約」を反対されるのを見越して、あらかじめ兵士たちを張り込ませていたのだろう。

(王様は知らなかったみてえだ)

とシーザー・レオンハルトが思ったように、

「ファンタンゴよ、一体これはどういうことなのか?」

国王スコットは玉座から腰を浮かせて動顚しきった様子で優秀な政治家に向かって叫んでいた。主君の怒りを受けても、

「先程申し上げた通りです」

ファンタンゴは無機質のように感情を表すことなく、

「今回の条約について、わたしにもそれ相応の覚悟がある、ということです」

落ち着いた声で言い切る。

(道理でな。いざとなれば武力で抑え込めるから、宰相のおっさんはおれらに反対されても何処か余裕があったわけか)

青年騎士は苦笑いを浮かべかける。王宮の守りは近衛部隊が担当しているが、それも事前に無力化されているのだろう。無事でいてくれればいいが、と所属の異なる騎士たちの身をシーザーは案じた。その一方、

(できればこの手は使いたくなかった)

辣腕で鳴らす宰相の心中には少なからぬ焦燥感があった。事を荒立ててしまった以上、たとえ条約が無事に締結されたとしても、自らの身に反動が及ぶのは避けられなかった。王がこれまで通りに信用してくれるかもわからない。彼の予測以上に列席者たち―特にシーザーとアリエル・フィッツシモンズ―の抵抗が厳しく、議論のみで収拾できなかったのは痛恨事だと言えた。しかしそれでも、

(わが生涯最大の悲願がかかっているのだ。何が何でも勝ち抜いてみせる)

ファンタンゴは戻れない道を前に進んでいくことを改めて決断する。注意深く観察すれば、彼の狭い額に薄く汗が滲んでいるのが見て取れたかもしれなかった。

(容易ならぬ事態だ)

王宮内で進行しつつある未曽有の事態にアルも当然パニックに陥りかけていたが、多少広い視野から物事を見つめていたあたり、緊急時でも俊才の頭脳の働きは失われていないようだった。

(これは国家的陰謀、いや国際的陰謀だ)

そう判断せざるを得なかった。宰相が突如乱心して国政を我が物にしようとしているわけではない。そう考えた根拠は背後からアルとシーザーに狙いをつけている騎士の存在だ。「マズカの黒鷲」ソジ・トゥーインは我欲にとち狂った男に付き合うほど愚か者ではない。常に私心なく国家のために精力的に働いている、という点ではファンタンゴもトゥーインも共通していた。ということはつまり、彼らは今回の騒動においてもその行動原理にのっとって国のために動いているのではないか。宰相は王国のために、大鷲騎士団団長は帝国のために。

(マズカ帝国が背後で動いている)

そこまで考えて少年騎士は愕然とする。同盟国であるマズカがアステラを危機に陥れようとしているとは信じたくなかったが、状況から考えるとそのように見るしかなく、真実から目を背けるわけにもいかなかった。その推理がアルの勝手な思い込みでない証拠も残念ながら(?)しっかりと残されてもいた。

(演習もそれが狙いだったんだ)

つまり、アステラとマズカの双方の騎士団が合同演習をたびたび行うことで、帝国の軍隊が王国の内部に入り込むのを正当化しようとしていたのだろう。シーザーとアルが今夜トゥーインが王宮にやってきたのにさほど不審を抱かなかったのも、今となれば迂闊でしかないが、近い間に何度も一緒に訓練を重ねて親しみができていたためでもあるのかもしれなかった。そして、騎士団が他国へと移動するのは騎士団長の一存で決められるものではなく、最高権力者の許可が必要でもあった。つまり、皇帝も大鷲騎士団の行動を容認し、そして出先で何をするのかも当然理解していたはずなのだ。マズカの帝はアステラの王と違って完全なる独裁者であり、「黒鷲」はその意のままに動いているに過ぎないのだろう。

(こんなことまでして条約を実現させようとする目的は一体なんだ?)

そこまでは「王国の鳳雛」をもってしても見通せはしなかった。だが、マズカが国家ぐるみで動いている以上、「平和条約」を拒むのは至難の業であり、そして条約が発効した後に少年の祖国を待ち受けているものを考えると、視界が暗くなっていくのをいかんともすることができない。暗黒の未来がアステラ王国とそこに暮らす人々を飲み込もうとする光景だけがアルの頭の中に思い描かれていた。

(2人とも諦めが悪いな)

ソジ・トゥーインは優勢にありながらも全くもって油断出来ない状況に立っていた。それというのも、彼が矢で狙いをつけている「アステラの若獅子」と「王国の鳳雛」から依然として闘争心が失われていなかったからだ。特にシーザー・レオンハルトの巨体から湧き上がるオーラはすさまじく、夜の室内で陽炎を生み出すほどの熱量を伴うほどだった。参内する際の作法として武器を携帯していなかった騎士たちに対して十分な間合いを取っているにもかかわらず、それでもいまだに「マズカの黒鷲」はおのが勝利を確信できずにいた。若い2人の実力がずば抜けているのは幾たびも行った軍事演習でよくわかっている。何かのきっかけでシーザーとアルが捨て身で逆襲を仕掛ければ、獅子の牙と鳳凰の爪が届くことも有り得た。そこで、

(念には念を、だ)

慎重をもって旨とする帝国の騎士団長は、美しく整った黒い髭に覆われた唇を歪めて、さらなる策を実行することに決めた。


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