第268話 謀略の発動(その1)
「ファンタンゴ? 一体何を言うのだ?」
アステラ国王スコットが戸惑ったのは、宰相の横顔にいつにない凄愴なものが見えたからだ。もともと温かみなど感じさせない男だが、今は被告人に判決を言い渡す直前の裁判長のごとき他者を拒絶する雰囲気までも身にまとっていた。そして、そこで告げられるのが極刑以外にはありえないことまでも、何故かわかってしまう。
「諸君らが誤解しているようだから今一度説明するが、この場は平和条約の締結について伝達するためのものであって、議論を目的としてはいない。陛下も仰られた通り、3か国の間で既に合意がなされており、今や覆しようはないのだ」
決まりきった話を蒸し返していた馬鹿者たちに侮蔑の視線を送ったジムニー・ファンタンゴは、
「結局、わたしの言った通りだったではないか。諸君らを参加させていてはいつまでも話がまとまらない。総論賛成、各論反対のまま立ち腐れていくしかない。大局観を持つ者がこの世界をしかるべき方向に導いていくのが正しい在り方であり、これからのわが国も正しい道へと踏み出すことになる」
その「大局観」とやらがあんたには見えているというわけか、とシーザー・レオンハルトが冷笑していると、
「しかしながら、宰相閣下。これだけ多くの者が条約について疑問を投げかけているのです。このまま進めるわけにはいかんのでは」
財務大臣がファンタンゴに異を唱え、他の大臣や高級官僚からも無言のままに同意する雰囲気が立ち上る。しかし、辣腕政治家は表情を崩すことなく、
「いいや、進めさせていただく。こたびの条約はどうあっても実現させなくてはならない。諸君らのように己の地位に恋々としてしがみついている俗物と違って、わたしは正しい未来が作られるのであれば、この命を捨てても構わないと思っているのだ」
それだけの覚悟がわたしにはある、と言い切ると、ジムニー・ファンタンゴは謁見の間の入口へと目を移した。それが何らかの合図になったのか、広く開け放たれた扉から、ざっざっざっ、と足音も高く一列縦隊の騎士たちが大広間に整然と入ってきた。王宮に多くの軍人が入ってきた例などこれまでの王国の歴史上にないことで、無論予定にもなかったので、文官たちは恐れ戦き、大急ぎで壁際まで退いた。多少観察眼のある者は兵士たちが着用した黒光りする鎧から、彼らが王立騎士団に属する者ではない、と気づいて正体不明の軍勢の乱入にさらに恐怖していたのだが、
(大鷲騎士団!)
アリエル・フィッツシモンズは闖入者の素性を即座に見抜いていた。マズカ帝国から合同演習のためにやってきた隣国の騎士団だ。たとえ同盟国とはいえ国王の居城に無断で入り込むなどいかなる理由と許されるはずもない。
「野郎っ!」
前代未聞の蛮行に激怒したシーザーとアルが排除に動こうとしかけた瞬間、
「何もしない方がいい」
背後から何の感情も含まれていない低い声が聞こえた。そのくせ殺意だけは十二分に含まれている。
「少しでも動けば、きみたち2人の命はない」
大鷲騎士団団長ソジ・トゥーインが「アステラの若獅子」と「王国の鳳雛」の背中に狙いをつけていた。ひそかに隠し持っていた小型の弓には2本の矢が番えられ、「マスカの黒鷲」の腕をもってすれば王立騎士団の団長と副長の心臓を同時に射貫くことはさして難しいことでもないだろう。
(やられた)
必殺の罠に嵌ったのを悟りアルは歯噛みする。トゥーインは最初からこれを狙って今夜ここまで来ていたのだ。
(しれっとした顔でとんでもないことを狙ってやがった、あのおっさん)
陰謀を企んでいる気配などまるで感じさせないベテランの戦士に一杯食った格好になったのをシーザーも認めざるを得なかった。
(これは一体どういうことだ?)
静謐であるべきはずの広間が武人たちに踏み荒らされた若い王が混乱の極みにある一方で、
「貴殿の差し金か? ファンタンゴ殿」
禿げ上がった頭に血の登らせた侍従長が宰相に詰め寄っていた。半世紀以上にわたって王家に仕えてきた老人は神聖な領域への侵入をこの場にいる誰よりも怒っていたかもしれなかったが、
「申し訳ありませぬ。わたしとてこのような真似をしたくはなかったのですが、心ならずも強硬手段に及ばざるを得なくなってしまいました」
口ぶりこそ礼儀正しかったが、その顔には涼風に吹かれているがごとき爽快感がかすかに現れ、力を用いて目的を達成しつつあるのに喜悦を覚えているのは否定できないだろう。
「少しばかり予定を早めて、陛下には直ちに帝国へと出立していただくこととします。この者たちを呼び寄せたのはそのためです」
自己正当化の理屈をすらすらと述べてから、
「彼ら大鷲騎士団の精鋭たちは陛下の護衛を目的としていて、手荒な真似など一切いたしませんから、侍従長殿のご心配は当たらないかと存じます」
ただし、とファンタンゴは眉間に皺を寄せて、
「万が一抵抗などがあったりすれば、彼らも騎士である以上、一定の対応を取らざるを得ないとは思いますが」
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