第265話 激動の宮廷(その7)

シーザー・レオンハルトはその後も「平和条約」に疑義を呈し続けた。会議ではいつも眠りこけて大きないびきをかき、たまに発言したかと思えば180度見当違いのことしか言わない騎士団長を王国の政治家も官僚も下に見ていたのは否定できなかったが、この日の彼はいつもとはまるで違っていた。「アステラの若獅子」は学校に通ったことがなく、最低限の読み書きしか出来なかったが(養父のティグレが時折拳骨を見舞いながら教えてくれた)、その代わりに10代の頃から戦場に出て生々しい数々の現実をおのれの血と肉と骨に刻みつけていた。文字通り身体を張って得た知識は力強い真実味を持って人々の耳に響き、机にかじりついて数字を弄ぶ日常を送る青白いインテリたちは自らの脳髄のひよわさに気づかされ、黒いたてがみをなびかせるライオンのように雄々しく吠える青年騎士の顔をまともに見られなくなる。

(全くの馬鹿というわけではなかったか)

ジムニー・ファンタンゴはシーザーを過小評価していたのを認めざるを得なかった。思えば、あの若僧は戦争の専門家なのであり、もまた得意とするところなのだろう。認識を改めた宰相は、口を閉ざしがちになり必要最小限のことしかしゃべらなくなった。ディベートの達人として知られた彼は乗っている相手に反撃する愚をよく知っていたのだ。現状は不利であったが、自分のターンがのを知っていたファンタンゴは一時の不快をこらえることにした。かくして、論敵を沈黙させたシーザー・レオンハルトは、無人の野を征くがごとく意気揚々と語っていたのだが、

「レオンハルトよ、少し待たぬか」

国王スコットが制止する。彼もまた「平和条約」を推進しようとする立場であり、頼みにしていた腕利きの政治家の口数が少なくなったのを見かねて、自分からも反駁を試みる気になったのかも知れなかった。

「おまえの意見は大変参考になったし、こちらの不備を指摘してくれたのをありがたく思っている。しかしながら、この条約に関しては余の一存だけで動けるものではない。既にマズカとマキスィは批准の手続きに入っていて、それを今から拒むとなると、わが国の国際的な信用を失墜させかねないのだ」

王の告白は謁見の間に多大な衝撃を巻き起こし、夜中に招集された王国の重要人物達の顔から血の気が消え失せた。つまり、条約の締結はもはや最終段階に入っていて、引き返せないというわけだ。

(おいおい。そりゃねえよ)

そんなギリギリになって初めて話をするとはどういうことだ、と頭に血が上ったシーザーは体裁をかなぐりすてて主君に食ってかかろうとするが、

「畏れながら、ちょっとよろしいでしょうか」

すぐ隣にいたアリエル・フィッツシモンズが挙手しながら先に口を開いたおかげで、暴挙はすんでのところで食い止められた。

「フィッツシモンズか、話を聞こう」

団長の次は副長か、と王の顔には書いてあり、他の家来たちもそう思っていたが、貴族出身の少年なら彼の上官のような野卑な振舞いをするまい、という安堵感が場に漂いだした。しかし、先頃の御前会議でアルにしてやられたのを記憶していたファンタンゴは周囲から気づかれない程度に表情を歪めた。この茶色い髪の美少年は見た目ほど甘くはない、という辣腕政治家の認識が正しかったのは程なくして証明されることになる。

「わたしは騎士でありますゆえ、専門とする分野についてのみ伺いたいのですが」

こほん、と小さく咳払いしてから、

「帝国と都市連合においては既に『平和条約』を締結する旨の合意がなされている旨を、先程陛下が仰られましたが、それは軍事面においても同様なのでしょうか?」

舌の絡まりそうな小難しい話をべらべらしゃべるもんだ、とシーザーは腹心の少年を煙たそうな顔で睨んだが、

「もちろんその通りだ。全面的に同意できたからこそ条約を締結することになったのだ」

他人を悪く思う習慣のない王は臣下の質問にしっかりと答えた。すると、

「陛下に謹んで申し上げますが、わが上官レオンハルトと同様に、このフィッツシモンズも当該条約に対して危惧の念を抱かざるを得ません」

アリエル・フィッツシモンズは正面から主君に反対意見を述べた。


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