第266話 激動の宮廷(その8)
アリエル・フィッツシモンズに抵抗されたスコット王が顎に手を当てて考え込む様子を見せて、
「ということは、おまえも最高会議の運営について心配している、というわけか?」
シーザー・レオンハルトが最初に投げかけた疑問を持ち出すと、
「ああ、いえ、違います。わたしが気になっているのはもっと根本的な点です」
こんぽんてき? と思わず鸚鵡返しになってしまった王に「その通りです」と女子だけでなく男子も魅了せずにはおかない微笑を浮かべた少年騎士は、
「条約に参加する3カ国は軍事面においてそれぞれ違いがあります。わがアステラが一つの騎士団を有しているのに対し、マズカはその8倍もの戦力を擁している、というのは先程レオンハルトも述べたとおりですが」
そこでやや間を置いてから、
「マキスィの軍制もわが国とは大きく異なっています。というよりも『軍制』があるかどうかも疑わしい、というべきなのでしょうか。かの都市連合は自前の軍隊を持っていない、というのはみなさんも当然ご存じのことかと思います」
大陸の北西に位置するマキスィ都市連合は、経済的に繁栄を極めていたが、常備軍を置かず傭兵を主戦力にするなどして、防衛費を安上がりにした分浮いた費用を他に充てているのも目覚ましい発展を遂げた理由の一つとされ、
「いくら金が惜しいと言っても、自宅の鍵を他人に預けるようなものだ」
と外国から守銭奴ぶりを揶揄されてもいた。
「マキスィの傭兵の大半はマズカの人間が占めていて、都市連合は安全保障を帝国に依存しているといっても過言ではないのです」
「王国の鳳雛」は茶色の瞳をきらりと光らせて、
「つまり、『平和条約』の発効に伴い、3か国は各自の軍隊を解散して平和維持部隊なる組織に改編されるとのお話でしたが、自衛軍を保有していないマキスィにとって、たとえそうなったところで現状に特に変化がないわけで、少なくとも軍事面に関しては条約の参加を拒む理由などない、というのは明らかだと思います」
そして、自衛軍を保有しているアステラをマキスィと同じように考えるわけにはいかず、王立騎士団を解散して帝国の傘下に加わることは国家としての防衛権を侵しかねないリスクがあるのを、多かれ少なかれ政治に関わっているこの夜の列席者たちは理解し、アリエル・フィッツシモンズが抱えている危機感を共有していた。
「『平和条約』の締結した後も、我が国が独自に動ける権利を変わらずに有する保障がないのであれば、王立騎士団は条約に反対せざるを得ません」
きっぱり断言すると、ぺこり、と断言して少年騎士は一歩下がった。荒くなったアルの呼吸が聞こえてきて、
(怖かっただろうによく頑張ったな。あとで酒をおごってやろう)
命を賭して主君に諫言した部下の覚悟に感じ入りながらも、シーザーはスコット王の顔から目が離せなくなっていた。色白の顔が青くなって唇が震えている。アルから聞かされた話がそれだけ衝撃的だったのかもしれないが、
(もしかすると、うちの王様は)
以前から黒い靄のように頭の中を漂っていた不安が形を取り出したのを感じた。しかし、それを口に出そうとは思わなかった。おそらく、今自分が気付いたことは芯を食ったもので、はっきり言ってしまうと王の威信を傷つけかねない、とがさつな青年でもなんとなくわかっていたのだろう。
「陛下、条約の問題点は軍事面だけではありません」
若者たちの頑張りに奮起したのか、大臣たちも口々に異論を唱えだし、謁見の間はたちまち紛糾する。政治においても経済においても考慮すべき点は数多くあるうえに、それ以前に条約の細かい内容について知らされておらず、内容を精査することなく話を進めるなど言語道断だと政に関わる者たちも興奮を抑えかねて大声になってしまっていた。
家臣に詰め寄られる経験をそれまで持っていなかった20代前半の王は、玉座が置かれた壇の下で針葉樹のように直立するジムニー・ファンタンゴに向けて助けを求めるかのような視線を放つが、常に的確な助言をする宰相はどういうわけかひどく恐ろしい表情で前をしっかり見据えるだけで、君主をまるで気にする様子もなかった。頼みの部下に見捨てられた、と思い込んだ王はただでさえ減っていた自信をさらに失い、雨の中で捨てられた子犬のような心細い気分になっていく。この世界には誰も味方になってくれる者はなく、自分以外は全て敵なのだ、と被害者感情が高貴な青年の胸中を満たしていき、
「やかましいっ!」
ひっくり返った声で絶叫していた。いつも周囲に気を使い我を抑え続けていた大人しい王の異変に家来たちは驚愕し、王宮の広い部屋はたちまち静まり返る。そして、
「何故みんなして余に逆らう? 余はいいことをしようとしているのだ。正しいことをしようとしているのだ。アステラだけでなく、世界中の人々を幸せにするために努力してきたのだ。なのにどうして、よってたかってそれに反対するのだ?」
おかしいではないか、とアステラ国王スコットは生まれて初めて感情のままに叫んでいた。
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