第259話 激動の宮廷(その1)
「ふわーあ」
アステラ王宮の長い廊下を歩くシーザー・レオンハルトが大きな欠伸をすると、
「しっかりしてください。これから陛下と謁見するというのに、そんなだらしのないことでは困ります」
隣に並ぶアリエル・フィッツシモンズに注意された。うるせえなあ、と青年騎士は口うるさい部下に舌打ちしながら目をこすって、
「んなこと言われてもよ、こんな遅くにいきなり呼ばれても困るってもんだ」
その日の夕方、マズカ帝国の騎士たちとの合同演習を終えた後、帰宅しようとしていたシーザーとアルの前に使者がやってきて「すぐに参内するように」との王からの命令が伝えられたのだ。青年騎士が装着した鎧が薄汚れているあたりに、準備を整わないまま急いで動いている証を見て取ることが出来た。
「いつもだったら、とっくにもうベッドに飛び込んでいる時間だぜ? 起きているだけでも偉い、って自分で自分を褒めてやりたい、ってなもんだ」
早寝早起きを旨とする騎士団長がもう一度でかい欠伸をしたのに、「処置無し」と言いたげな呆れ顔をして見せたアルだったが、
(確かに妙な話ではある)
突然の呼び出しに不審を覚えてもいた。国王スコットは昼間のうちに政務を終わらせるので、夜中に招集をかけたことなど記憶になかった。そんな主君が、もうじき日付も変わろうかという時刻に騎士団のトップ2人を呼びつけるなど、よほどの緊急事態なのだろうか、と神経が張り詰めるのを感じているうちに、謁見の間にたどり着いていた。
「ありゃ」
シーザーが間の抜けた声を漏らしたのは、呼ばれたのが自分たちではないとわかったからだ。大広間には何人もの重臣や高官たちが既に集まっていたが、その誰もが不安そうな顔をしていて、彼らもまた、何故呼ばれたのかその理由がわかっていないように見えた。そして、広い部屋の奥、三段ほど高い場所に位置する黄金色の椅子には若き王の姿がないのも、場の雰囲気をより不安定なものにしているように思われた。
「あっ」
アルが小さくつぶやいたのを聞いてシーザーが振り向くと、少年騎士の視線の先に予想外の人物の姿が見えた。
「やあ。遅かったな」
渋みのある低い声で話しかけてきたのは、マズカ帝国大鷲騎士団を率いるソジ・トゥーインだ。黒い髭をきちんと整え、漆黒の鎧を身に纏った姿に一分の隙も見当たらなかった。昼間一緒に訓練していたのにおれとはえらい違いだ、と隣国の騎士の身だしなみにむしろ不愉快になりながらも、
「あんたも呼ばれたのか」
シーザーが訊ねると、
「アステラの国王陛下には礼を尽くせ、とわが
嫌味なまでに落ち着き払った態度で答えたので、「お、おう」とさしもの「アステラの若獅子」が思わずたじろいだ一方で、
(どうしてトゥーイン殿までここにいる?)
と「王国の鳳雛」と呼ばれ将来を大いに期待されている少年騎士は困惑する。ソジ・トゥーインは「マズカの黒鷲」の異名を持つ実力者だが、それでも他国の人間であり王国の政治に関与してはいなかったしすべきでもない、とアルは考えていた。それでは、今夜これから示される問題とは一体何なのか、と懸命に考えているところへ、
「陛下のおなり!」
朗々とした掛け声の後で、年少の侍従に先導されたアステラ国王スコットが奥の扉からゆっくりと入ってきた。主君の姿を見るなりシーザーとアル、それに大臣たちは全員膝をついて礼の姿勢を取り、国王の家来ではないトゥーインもそれに従った。赤い絨毯が敷かれた段差をやはりゆっくりと登り、この国でただ一人だけが使うことを許された玉座に、ルピオ朝アステラ王国第8代国王スコットは、音もなくしかし確実に腰を下ろした。そして、50年近くにわたって王家に仕えてきた侍従長が王の後から広間に入り、最後に宰相ジムニー・ファンタンゴが現れた。やや面長の顔にはいつもと同じようにどんな感情も見当たらず、この冷徹な政治家が何を考えているのか常人には到底うかがい知ることは出来そうもなかった。股肱の臣と恃む者たちが揃っているのを見た王は小さく頷いてから、
「よい。楽にせよ」
とさほど大きくはなくても部屋中に響く声で命じ、謁見の間に詰めかけた政治家と官僚、そして軍人であるシーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズは立ち上がって主君の方を一斉に見上げた。
「夜分遅く呼び立ててすまなく思うが、今夜皆を呼び立てたのは他でもない。わが国の、いや大陸全体の今後に関わる重大な事柄を一刻も早く伝えたかったからだ」
国王の言葉に人々は顔を見合わせる。「重大な事柄」なるものが何なのか一向に思い当たらなかったからだが、
「一体どういうことなんだ?」
「ぼくに聞かれても困ります」
それは王立騎士団の団長と副長にとっても同じことで、その横で「マズカの黒鷲」は動揺する人々とは対照的に波一つ立たない湖面のように穏やかな表情をしている。
「静粛に!」
部屋のあちこちからあがりかけたざわつきは、宰相ファンタンゴの一声で消え失せる。スパルタも辞さない鬼教師のように居合わせた者たちを一瞥し、主導権を我が手に握ったのを確認してから、
「それではこれより、陛下に代わって諸君らにいくつかの事項を申し渡すので、心して聞くように」
そう告げてから、いつになく胸が熱くなっているのにファンタンゴは気づく。
(落ち着け。まだ終わったわけではない)
もうすぐひとつの念願が叶おうとしているが、これは野望へと至る第一歩に過ぎないのだ。自らの原理原則を人間性よりも優先させた、目的を達成するための精密機械になろうとした男の内側で葛藤が繰り広げられているのを、王もシーザーもアルもトゥーインも、それ以外の誰も知ることはなかった。
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