第253話 前夜(その4)

「北東の国境からの軍隊の侵入」という未確認情報を「何かの間違いだ」と否定してしまった2人の騎士だったが、

「ただ、根も葉もない話かと言えば、そうでもないと思うんですよ」

とアリエル・フィッツシモンズが語ったのに、

「その根拠は何だ?」

シーザー・レオンハルトが真面目腐った顔で訊いたところを見ると、彼も誤報に関して気になる点があるらしかった。上官に促された副長は小さく頷いて、

「ぼくが気になっているのは侵入されたのが『北東の国境』だということです。国境からジンバ村までは馬を使えば一日とかからずに到着できます」

つまり、セイジア・タリウスのいる村の近くで不法越境が行われたとの噂が流れているのをアルは気にしていたのだ。それはシーザーも同じだったようで、

「何処かの馬鹿野郎がセイを狙っている、ということか?」

そんなやつは許せねえ、と早くも怒気をみなぎらせる青年騎士に、

「可能性は否定できません」

年下の副長は表情を変えずに答えるが、彼もまたライヴァルに勝るとも劣らず愛する女性が狙われていることに焦燥感を抱いていた。

「まあ、あいつを逆恨みするやつがいないとも限らねえしな」

「アステラの若獅子」は大きな口をへの字に結んで天井を睨む。光があれば影もあるように、最強の女騎士に敗れ去った者たちは数多く存在し、復讐を狙う人間がいても不思議ではなかった。

「心当たりが多すぎますね」

かつて彼女の腹心だった少年も肩をすくめるしかない。うーむ、とライオンのように唸ってから、

「よし、わかった。大事なダチがやばくなっているのをぼんやり眺めているわけにもいかねえから、ここはひとつ、おれが現地に行って調べてみることにしよう。あいつと会って直接話をすれば心当たりがつかめるかもしれねえしよ」

意気込む騎士団長に、

「お待ちください」

冷静に口を挟むアリエル・フィッツシモンズ。

「レオンハルトさんは騎士団長として王国の守りを担う職務があります。責任ある立場の人が都を長期間留守にするのは国防上の危険があると言わざるを得ません」

こほん、と咳払いして、

「というわけで、ここは副長であるぼくがジンバ村に赴いてセイさんから聞き取りを」

「却下だ。おまえ、自分がセイに会いたいだけじゃねえか。公私混同してんじゃねえぞ」

「それを言うならレオンハルトさんこそ私利私欲のために動いているじゃないですか。『若獅子』が聞いて呆れます。今すぐ泥棒猫と改名してください」

「うるせえ。おまえこそ『鳳雛』じゃなくてハゲタカの卵とでも名乗ってろ。ガキが一丁前に色気づきやがって」

ぐぐぐぐぐ、と至近距離で睨み合う2人の騎士からは溢れ出した殺気が団長室に充満していくが、

「お遊びはやめだ」

先に引いたのはシーザー・レオンハルトの方だった。拍子抜けしてぽかんとしているアルを見てから、

「おまえの言っていることは否定できねえ。確かにおれはあいつに会いたくて仕方がねえのさ。みっともねえことだけどよ」

心情を素直に吐露された少年が俯くしかなかったのは、おのれの情けない部分を曝け出す勇気が自分にはないのを認めざるを得なかったからかもしれない。そう感じたからなのか、

「実は他にも気になっている点があるんです」

アルの言葉からはさっきまでの敵対心が消え、それに気づいたシーザーが「ん?」と部下の顔を見つめる。

「少し前に、御前会議でセイさんを新設のポストに就けよう、とぼくが提案したじゃないですか」

「おお、覚えてるぞ。地方なんちゃらってやつだろ?」

覚えてないじゃないか、と呆れながら「地方巡察官です」と副長は答える。アステラ王国内で頻発する民衆の暴動を解決する任務をセイジア・タリウスに担当させるべきだ、とアルが出したアイディアは国王スコットをはじめとした参加者の賛同を得たはずだったが、

「そういや、その話をあれから聞かねえな」

知識はなくとも勘の鋭さは天才的な騎士団長に言いたいことを先回りされて「ええ、そういうことです」と少年騎士はあまり嬉しくなさそうな表情で答える。

「ぼくも『どうなっているのか?』と各方面に進捗を訊ねているのですが、どうも埒が明かなくて。暴動は治まったわけではありませんし、ぐずぐずしている余裕はないはずなんですけど」

なるほどな、とシーザーは首をぐりぐり回しながら考えを巡らす。

(誰かさんが足を引っ張っていやがるんだろうさ)

アリエル・フィッツシモンズの優秀さは疑うべくもないが、それでもまだ18歳の少年に官僚組織をまとめあげるだけの政治力があるはずもない。若者がでしゃばるのに嫉妬した高官なり政治家なりが邪魔をしている、と「アステラの若獅子」は本能的に直感し、

「だったら陛下にもう一度具申してみろよ。そうしたらどうにかなるだろ」

解決策を打ち出していた。単純極まりなかったが、トップに直談判すれば中を取り次ぐ人間には妨害のしようがないのであって、この状況における最適な手段だとも思われた。だが、

「ぼくもそれは考えましたが、今は無理なんです」

「無理、ってなんでだ?」

はあ、と溜息をついた美少年は、

「ここのところ、陛下はあまり表に出ておいでになられないのです。毎朝の儀礼をこなされた後は、ずっとご自分のお部屋に籠られている、と侍従長からも聞きました」

「まさか、ご病気なのか?」

堅苦しいことは苦手で王宮まで出かけることの少ないシーザーは初めて聞く異変に驚いたが、

「いえ、お体の方はご無事なようですが、何事かに熱心に取り組まれているらしく、面会の方もお断りになっていて、宰相閣下くらいしかお会いになられないようなのです」

ふーむ、と青年は太くたくましい腕を組んだ。宰相ジムニー・ファンタンゴは国政を預かる身であり、王と面会するのは別に不思議でもない。しかし、何かが起こりつつある、というのをシーザーもアルもひしひしと感じていた。

「何がどうなっているのかさっぱりわからねえが、あまりいい感じはしねえ」

ぎりり、と歯を食いしばる青年騎士に副官の少年は黙ったまま首を縦に振る。

「と言っても、軍人のおれらは大っぴらに動けねえし、何かをできるわけでもねえしよ」

もどかしさに顔を曇らせる2人の騎士は、

(こんなとき、あいつがそばにいてくれたらな)

(あの人ならなんとかしてくれたかもしれない)

同じ女子の顔を思い浮かべる。彼女なら元気いっぱいに悩んでいる時間がもったいないとばかりに外へと駆け出し解決に乗り出していたのではないか。そして、そんな彼女がすぐ隣にいるだけで自分たちも思い切り力を出せる気がした。だが、2人が思いを寄せる女性は遠く離れた場所にいて、男たちの思いはかなうことなく、目の前の問題を片付けられないまま夜は更けていった。そんな彼らは明日の夜に一大事件が待ち受けていることにも、そしてセイジア・タリウスが猛スピードで都へと驀進していることにも気づいてはいなかった。


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