第231話 ふたりの悩める騎士(その7)

「そう言われて、もう一度稽古をつけてもらうんだ、って一人で頑張ってみたけど、結局葉っぱを落とすことはできなかった」

パドルを失望させたまま逝かせてしまった、と悔やむジャロ・リュウケイビッチは、

「ぼくのせいでパドルは死んだんだ」

と口走りかけて、

「思いあがるんじゃない、ひよっこ」

最後まで言い切る前に、セイジア・タリウスが山刀マチェットのごとき威力を持つ言葉で少年に言い放った。

「パドルは自分の意志で行動し、目的を果たして最期を遂げたのだ。おまえのような甘ちゃんが安っぽい同情で戦士の死を汚すなど断じて許さん」

さっきまでの暖かな雰囲気はどこへやら、女騎士から吹き荒ぶ凄愴なまでの殺気に、貴族の少年は肉食獣に狙われた子鹿のように身動きが取れなくなる。子供相手に一瞬でも本気を出してしまったのを反省したのか、

「悪かったな。きみだって大事な家来を亡くしてつらいだろうに」

セイはすぐにのほほんとした笑顔に戻り、「いや、ぼくの失言だった」とねばついた汗を流しながらジャロは小声でつぶやく。

(どっちが本当のセイジア・タリウスなのか)

リュウケイビッチ家の少年は大いに戸惑っていた。何も考えずにへらへら笑ってばかりいる彼女と姉よりも「双剣の魔術師」よりも強い彼女、いったいどちらが本物なのか。

「どちらも本当に決まっておる。女というのはいくつもの顔を持っているものじゃからのう」

と漁色家として知られた少年の父が生きていれば息子にアドヴァイスの一つもしてくれたのだろうが、思春期を迎えたばかりのジャロは「女性」なる存在の不思議を解く手がかりすらまだつかめてはおらず、今のところはこの金髪碧眼のおねえさんの近くにいると何故か動悸が激しくなってしまうことだけしかわかってはいなかった。

「よし、わかった」

御曹司の逡巡をよそに、セイは暮れかけた空に浮かんだ綿飴のような雲を見上げてから、

「パドルの務めをわたしが引き継ぐことにしよう。坊やを騎士に入門させてやる」

にっこり笑って宣言したのに「はあ?」とジャロ・リュウケイビッチは思わず大きな声をあげてしまう。

「何を言ってるんだ。ぼくはおまえにそんなことを頼んでなんかないぞ」

「わたしが勝手に引き受けたんだから気にすることはない。騎士の先輩として後輩が困っているのを無視するわけにはいかない」

女騎士はにやにやと人の悪い笑みを浮かべて、

「それに、今の調子だといくら頑張っても葉っぱを落とすことなんかできないぞ。間違ったやり方をしていたら、1億年かかっても強くなれっこない」

きみにはちゃんとしたコーチが必要だ、というセイの理屈に説得力を感じた少年は「ううっ」とうめいてしまう。独習では限界があるのは自分でも何となくわかっていたのだ。しかしそれでも上から目線の騎士の言うことを素直に聞くにはなれず、

「ぼくが強くなったら絶対に父上の仇をとってやるぞ。おまえはわざわざ敵を強くしてやるつもりなのか?」

ジャロの激しい口ぶりにセイは、きょとん、とした表情になる。「その発想はなかった」と顔に書いてあったが、「モクジュの邪龍」ドラクル・リュウケイビッチの死に彼女が大きく関与しているのは間違いないので、「仇」だと思われても仕方がない、と2人の関係性を再確認したところで、

「好きにしろ。敵討ちがしたかったらいつでも相手になってやる。ナーガと一緒に来ても構わないぞ」

あっけらかんと言い放ったので、栗色の髪の美少年はあんぐりと口を大きく開けてしまう。

「セイジア・タリウス。おまえ、頭おかしいだろ」

10歳近く年下の男の子に呆れられて若干むっとしたものの、

「まあ、そうかもな。騎士として面があるのかもしれない」

馬鹿なことをやっている自覚はあった。ただ、

(坊やを助けたい)

という思いに掻き立てられて、たとえ後々災いを招くとしてもそうせずにはいられなかったのだ。自らの有利不利に関して、セイの中での優先順位はかなり低かった。それでもまだ少年が迷っていると、

「ほらーっ、おねえさんと一緒に稽古しようよー」

女騎士が背後から抱き着いてきたので「ぎゃーっ!!」とジャロは叫んでしまう。

「ええい、離れろ。ぼくとおまえは敵同士なんだ。なれなれしくするんじゃない」

顔を真っ赤にして目をぐるぐる回しながら暴れるが、「またまたー。照れちゃって」とセイはますます身体を密着させてくる。そのあまりにも柔らかい感触と甘酸っぱい匂いに心の奥底から何かがこみあげてきてしまいそうになって、

「わかった。わかったから。おまえと一緒に練習するから」

だから離れてくれ、と必死で頼むと、「うむ。そうこなくてはな」と女騎士は満足げにうなずいて男児の首に回していた両腕を外した。

(どうしてぼくよりもあいつの方が熱心なんだ?)

ぜーぜー、と乱れた呼吸のままジャロは首を捻る。わけのわからない女に目をつけられた我が身の不幸を嘆いていると、

「もうこれは要らないかな」

顔に手をやったセイが、額や頬や鼻に貼られていた絆創膏をべりべりと全部引き剥がした。驚異的な回復力の賜物か、ヴァル・オートモによって斬りつけられた傷は跡形もなくなり、「金色の戦乙女」は数日ぶりに本来の美貌を取り戻す。

「ふう。すっきりした」

夕日に輝くセイの顔に思わず息を飲んでしまってから、

(せっかくの機会だ。少しでも強くなってやる)

ジャロ・リュウケイビッチは予想外の事態を利用しようと心に決めるが、美しい女騎士と2人きりで過ごしているのを楽しく感じ出していることにはまだ気づかずにいた。



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