第230話 ふたりの悩める騎士(その6)

騎士志望の少年(この物語の主人公のように稀に少女も居はするが)が最初にやる稽古として、目の前に立った相手(年長の上級者が務めることになっている)に向かって全力でぶつかっていく、という練習法はよく知られている。なんとも単純なものだが、何十何百と反復しているうちに体と心が鍛えられ、力の入れ方も自然と身についていく、なかなか侮りがたい方法だった。初心者向けということもあって、この鍛錬で怪我を負うことはほとんど有り得ないのだが、

「それでも、パドルが相手というのはなかなかハードだ」

セイジア・タリウスはつい苦笑いを漏らしてしまう。老いてなお屈強な肉体を誇った精鋭部隊に属した経験を持つ執事に正面から体当たりをする、というのは騎士としての第一歩としてはかなりの難路だと思われてならなかった。

「まったくだ」

ジャロ・リュウケイビッチは地面に胡座をかいて溜息をつく。嫌いな女騎士と2人きりでいるのに、いつしか少年はすっかりリラックスしていた。

「で、少しは通用したのか?」

セイに訊かれた御曹司は「まさか」ともう一度大きく息を吐く。

「一発で決めてやる、と最初から思いきり行ったのだが、パドルの身体ときたら鋼よりも固くて、ぶつかった、と思った瞬間に目から火花が出て、気がついたらぼくが走り出した場所よりもずっと後ろまで弾き飛ばされていた」

うわあ、とさすがの「金色の戦乙女」も背筋が冷たくなるのを感じた。その威力を考えると、もはや訓練ではなく事故と呼ぶべきなのではないだろうか。

「ぼくが吹き飛ばされたのに、パドルは微動だにしていなかった。あいつ、『わしは何処にでも居るただのじじいでございますよ』だなんてとぼけていたけど、あんな筋肉ムキムキのマッチョなじいさんが普通なわけないだろうが。主人をだまくらかして、とんでもないやつだ」

美少年が乱暴な口調で思わずぼやいたのを耳にしたセイが噴き出したので、ジャロは下品な言葉遣いをしていたのに気づいて赤面する。ジンバ村のいたずら小僧たちに染まりすぎていたようだ、ぼくは貴族なんだから節度を保たねば、と反省してから、

「それから何回やっても同じ事の繰り返しで、体中痛くてたまらないし、全然上手くいかないから、つい嫌になって、『ぼくなんかにはどうせできっこないんだ』って言ってしまったんだ」

やや口ごもってから、

「そうしたら、パドルが急に態度を変えて、『そのような心がけでは何度やっても上手くいかないでしょうな』と言って帰ってしまった。もちろん、馬鹿なことを言った、とすぐに後悔したけどもう遅かった」

ふうむ、と金髪の騎士は腕を組んで視線を中に向けながら、

「弱音を吐いたのは確かにきみの落ち度ではあるが、パドルなら謝ったら許してくれると思うがね」

「それは違う」

リュウケイビッチ家の御曹司は寂しげに笑い、

「あいつは本当に頑固で、筋の通らないことを受け入れたりはしない。特に口先だけで言葉を弄ぶのを一番嫌っていたんだ。だから、ぼくが謝ったところで絶対に許しはしない、というのはわかっていた。ぼくが心から反省をして行いを改めなければ、あいつから歩み寄ってはくれないんだ」

パドルはいい教育係だったのだな、とセイは在りし日の老人を思い、それだけに彼の死を悲しく思った。他人の彼女ですら胸が痛くなるのだから、主人であるナーガとジャロの心痛はいかほどのものか、想像もできなかった。

「ぼくが変わらなければいけなかった。だから、ひとりで身体を鍛えてしっかり力をつけてから、パドルにもう一度稽古をしてもらおうと思ったんだ」

そして、この場所を見つけたんだ、と語ったジャロに、

「なるほど。それでこの樹に身体をぶつけていたのか」

少年が大木と激突していた事情を知ったセイは、

「じゃあ、この布を巻き付けたのもきみか」

幹に縄でくくりつけられたぼろきれを指さすと、

「いや、最初はそのままぶつかっていた」

とジャロが答えたのでセイは丸くして、

「え? じゃあ、樹に直接体当たりしていたのか?」

うわあ、と声を出してしまう。樹木というのは相当固いから、緩衝材無しでぶつかるとただでは済まない、と思ったのだが、

「確かに血は出たし、たんこぶもできた。でも、元はと言えばぼくが悪いんだから、多少痛い思いをした方がいいんだよ」

このお坊ちゃん、どうにも危なっかしいなあ、と女騎士は年下の男の子の身を案じずには居られなくなる。大怪我でもされた日にはナーガが泣くぞ、と眉をひそめていると、

「特訓を始めてから3日目だったかな。今日もやるぞ、と思ってここへ来たら、樹がこんな風になって、クッションが出来ていたんだ」

ふふふ、と目を伏せたジャロを見て、

(わたしよりも睫毛が長い)

などとセイが余計なことを考えているのも知らずに、

「誰の仕業なのかはすぐに分かったよ。訓練を終えてテントまで戻ったら、パドルが澄ました顔をして立っていて、『これはあくまで独り言ですが、樹に体当たりして葉っぱを落とすことができたら、もう一度稽古をしないでもありません。ジャロ様には何も関係の無い独り言ですが』と言って何処かへ行ってしまった」

老執事には幼い主人のやっていることは全てお見通しだったというわけだ。

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