第211話 最後の魔術(その5)

自分を殺めようとした部下を庇ったからといって、ヴァル・オートモは改心したわけではなかった。憎むべき犯人に慈悲を見せ、従容として死に臨むことで、騎士らしく最期を迎えようとしていたのだ。それだけ彼の見栄っ張りは筋金入りのものと言えたが、

(団長の言った通りだった)

と悔やむ気持ちもあった。団長とはセイジア・タリウスではなく、その前任者のオージン・スバルのことだ。

「おまえは人の上に立つべきではない」

そのように言われたときはむらむらと反発心が湧き起こって、忠告を無視して国境警備隊の隊長に就任したのだが、今になってみれば「蒼天の鷹」が意地悪を言っていたのではなく、オートモの身を案じてくれていたのだ、というのがよくわかった。不相応に出世をすると破滅するぞ、と注意してくれたにもかかわらず、言うことを素直に聞かなかったばかりにみじめに死んでいこうとしている。そういえば、スバルには「おまえには背中を預けられない」とも言われたが、今の自分が刺されて致命傷を負ったのも悪い冗談だとしか思われずに噴き出しそうになるが、長くもない人生のオチをつけるかのような黒いジョークを笑うだけの体力も今の「魔術師」には残ってはいなかった。

(ん?)

薄れゆく意識の中で誰かに見つめられているのをオートモは感じた。瞼を動かすことすら億劫に感じながらも、どうにか目を開けるとセイジア・タリウスがこちらを見下ろしているのが見えた。彼女とも長い付き合いになるが、これほど間近でその美貌を眺めたことはなかったし、これほど優しさの込められた視線を送られたこともなかった。しかも、ふたつの瞳は涙に濡れて青く儚げに光っていた。ずっと不仲で、さっきまで命のやりとりをしていたのに、その相手が死んで何を悲しむことがあるのか。だから、

「どうして泣いてるんだい?」

思わず訊いていた。それから、

「もしかして、わたしに惚れていたとか?」

命の瀬戸際でユーモア・センスを発揮してみせたが、かつての同僚に問いかけられたセイは、

「いや、おまえはわたしの好みのタイプとは全くもって異なっているから、それはない」

瀕死の人間に無慈悲な答えを返すと、ガントレットを外して露出した右手で目元を拭ってから、自分が泣いていたのに初めて気づいたかのように小さく微笑んだ。そして、

「自分でもよくわからないんだが、おまえのことがかわいそうになってしまったんだ。好きでもないし、悪い奴だとも思っているが、それでもこんな目に遭うことはないんじゃないか、ってさ」

かわいそう、という言葉を今までのヴァル・オートモは忌み嫌っていた。人に見下されたくない、舐められたくない一心でここまでのしあがってきた男には憐憫など無用だと思い込んでいた。しかし、女騎士の涙混じりの慰めは不思議なほどに彼の乾いた心に染みていく。そして、男はおのれの錯誤に気づく。

(わたしが本当に欲しかったのは「やすらぎ」だったのか)

貧しい家庭に生まれ、平和から程遠い場所で育った男は、汚い手段も辞さずに遮二無二奮闘した結果、高い地位を得て少なからぬ財産を手にするのに成功した。しかし、それでも決して満たされなかったのは、物質的な幸福では心の片隅にぽっかりと空いた穴は埋められないからだ。だが、オートモが求めるものを彼が得ることはない。我が身以外に大事なものを持たず、自尊心に囚われた者に天からの恩寵は届かず、膝をつき頭を垂れる者のみを神はその大いなる掌で触れ、永遠の安寧を与えるのだ。しかし、それでもセイの心が「双剣の魔術師」の背負った罪をわずかに浄めたのか、あと数分で力尽きるであろう騎士に最後の意志が甦り、思うままに話をしようとする。

「きみは誤解しているようだから、いいことを教えてあげよう、ミス・タリウス」

そこまで言ったところで、オートモは激しく咳き込み、咽喉からあふれた血をあたりに撒き散らした。

「おい、もうよせって。そんなことを話してくれなくてもいいから」

苦しげな男を見かねたセイがなだめるが、

「いいから黙って聞いてくれ。きみのためじゃない。わたしが話したいんだ」

力を振り絞る警備隊長の姿に、彼が遺言を残そうとしているのだと女騎士は気づく。そうだとすれば止めるわけにはいかない、と考えてオートモの目を見たまま小さく頷き、「魔術師」は薄く笑ってから口を開いた。

「わたしが報酬を得た上で事に及んだのはきみの言ったとおりだが」

やや間があって、

「今回この村を襲った作戦行動については半分しか当たっていない。国から正式な許可を得たわけではないが、国王陛下のお考えに基づくものであるのは間違いない」

その言葉に脳天を貫かれるような衝撃をセイは受ける。

「馬鹿な。あの陛下がこのような残虐な行為をお許しになるはずがない」

辛うじて震える声で反論を試みるが、

「そう言われても、わたしはそのように聞いているのだから、仕方がないんだって」

「魔術師」は答えながらも、確かに温厚な国王スコットらしからぬやり口だと感じて、「もしかすると」と背後にうごめく陰謀を嗅ぎつけた気もしたが、それを女騎士に教えるほど親切ではなかったし、説明できるほどの体力も残されていなかった。

「それだけじゃない」

そして、彼女に伝えなければならないことは他にもあった。

「これはほんの一端に過ぎないんだ。これから始まろうとしている計画はもっと大掛かりなものだ」

「計画だって?」

驚くセイに「ああ、そうだ」と弱々しく笑ってから、ヴァル・オートモは「計画」に関する情報を全て打ち明けた。彼が説明したのは「計画」の一部に過ぎなかったが、

「それが実現したらこの国、いや大陸全土がひっくり返る騒ぎになる」

一部であっても、セイジア・タリウスを震撼させるには十分で、彼女の顔色はすっかり青ざめ唇は震えていた。彼女の反応に満足したのか、ヴァル・オートモは口の両端を吊り上げ、血塗られた歯を剥き出しにして笑い、

「そして、この計画の実行に関しても、陛下のお許しが出ているんだ、ミス・タリウス」

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