第212話 最後の魔術(その6)
(まさかそんなことが)
ヴァル・オートモが話した「計画」の内容にセイジア・タリウスは大きな衝撃を受けていた。多くの人間を変えてしまいかねないとんでもない内容に豪胆な女騎士も冷静ではいられなかったのだが、
(しかも陛下がお認めになったとは)
それこそが最大の驚きだった。温厚で心優しい国王スコットがいかなる考えで、全世界に混乱をもたらすであろうプランにGOサインを出したのか、いくら考えてもわかるものではなかった。あまりに突拍子もなかったので、
(ヴァルのやつが、わたしをたばかろうとしているのか?)
と疑いもした。根性が二重三重にひねくれているこの男なら、いまわの際であっても悪質なジョークで他人をかついでもおかしくはなかった。しかし、「おそらくは本当のことを話している」とセイは感じていた。死にかけた騎士の顔と目と声、それに雰囲気からそのように感じたまでのことだが、しかし「計画」が事実だったとすればより困惑するしかなく、やや太めの眉をひそめて「金色の戦乙女」は顔を曇らせた。
(困っているようだね)
おのれの言葉によって美女が懊悩しているのを見たオートモはささやかな満足を得ていた。この夜、彼女へ駆使したいくつもの秘技はどれも通用しなかったのだが、ようやくひとつだけ成功したようだ。とはいえ、
(いつも能天気なきみのことだ。どうせすぐに上手くやり抜く方法を見つけちまうのだろう)
最後の魔術の効果がさほど長く続くことはなく、金髪ポニーテールの騎士は普段の快活さを取り戻すに決まっている、とむなしく思うのと同時にそうなるのを望んでいた。セイジア・タリウスならば、自分をこの地へと送り込んだ「計画」の首謀者たちに一泡吹かせてくれるに違いない、と期待もしていた。セイが有能すぎる点も彼の癇に障ったが、逆に言えばそれだけ彼女の力を信頼していたとも言えるわけで、ヴァル・オートモの女騎士への感情は彼本人が思っているよりもずっと複雑に入り乱れていたのかもしれなかった。
「わたしが言いたいのはそれだけだ」
と告げると「双剣の魔術師」と呼ばれた男は目を閉じた。言うべきことは言った。後は騎士らしく立派に死ぬだけだ、と生命の灯が消えるのを待っていたオートモは突然、ぐいっ、と体中を引き込もうとする強い力を感じた。とても深く暗い淵へと彼を連れて行こうとする力だ。そこへ連れていかれたらもう二度と戻ることはできない、と根拠もないのに何故か理解していた。そして、
「おい、ヴァル? 一体どうしたんだ?」
呼吸が止まりつつあった男の身体がいきなり激しく痙攣しだしたのにセイが驚いていると、くわっ、とオートモの双眸が大きく見開かれ、口もまた裂けんばかりに開き、
「しにたくない! いやだ! いやだ! しにたくない! わたしは、わたしは」
怪鳥のごとき絶叫を周囲にほとばしらせる。
(わたしにはまだやりたいことがあるんだ。これからの人間なんだ)
「魔術師」の停止しつつある脳髄は生への妄執で埋め尽くされ、肉体に死の舞踏の開始を命令する。
「ヴァル、しっかりしろ! わたしの顔を見ろ!」
悶え苦しむ警備隊長をセイはどうにかなだめようとするが効果はなく、聞くに堪えない断末魔にオートモの部下とハニガンは顔色を失い、モニカとマルコは両手で耳を塞いで涙を流し、
(なんということだ)
恐怖にガタガタ震える弟をナーガは強く抱きしめ、
(一歩間違えばおれもああなるところだった)
「影」は暗澹たる思いにとらわれる。利己心に取りつかれた者の死に様は他人事とは思えなかった。
(わたしにはまだやるべきことがあるんだ。わたしは「これから」の人間なんだ)
永劫の闇へと落下しながらもなおも足掻く男に、
「『これから』というが、きみが『これまで』に何か一つでも人に誇れることをしてきたのかい?」
もうひとりの自分が吐いた皮肉たっぷりの言葉が、オートモの中にあった最後の砦を陥落させた。そして、彼は音もなく何処までも落ちてゆく。
「わたしは。わたしは。わた」
暴れていた「魔術師」が急に静かになる。
「ヴァル?」
怪訝に思ったセイが顔を覗き込むと、ヴァル・オートモが息絶えているのがわかった。例えようもない辛苦に満ちた恐ろしげな表情を浮かべ、光が消え失せた黒い瞳は虚空を見つめていた。非業の死を遂げた騎士を見下ろす女騎士の目から涙がこぼれ落ち、
「ゆっくり休むがいい」
と言いながら、死者の目を瞑らせた。
(馬鹿なやつだ。哀れなやつだ)
そう思いながらも、セイはオートモの最期を無様だとは思わず、むしろ人間らしいものとして受け止めていた。誰だって死ぬのは怖いのだ。下手に取り繕うよりも正直である方がまっとうなのかもしれない。元上官にして元同僚にして元部下の男の死に方がよほど印象に残ったのか、
「正しく生きたとは到底言えないが、あいつなりに一生懸命生きたのだと思う」
と後にセイはオートモの死について何度か述べ、その発言は書物として残され、現在でも上演されることの多い歌劇「金色の戦乙女と風雲ジンバ村」第4幕の「魔術師の最後」は名優が熱演を繰り広げる見せ場となっていることは読者の皆さんもよくご存じのことと思われる。
「双剣の魔術師」ヴァル・オートモは彼が望むようには死ねなかった。だが、彼の存在はセイジア・タリウスの敵役として広く知られ、その名前もおそらく永遠に残り続けることだろう。その事実を彼が知ったとしても、
「所詮わたしはあの子の引き立て役なんだね」
と肩をすくめて力なく笑うだけで喜びはしないのだろうが。
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