第193話 女騎士さん、対峙する(その5)

「ナーガ!」

セイジア・タリウスにいきなり声をかけられても、ナーガ・リュウケイビッチはパドルの遺体から目を離さず返事もしなかった。もっとも、セイもヴァル・オートモとの対決が迫っていたために、モクジュの少女騎士へと視線を向けられなかったのだが。

「きみもパドルの仇を討ちたいだろうが、ここはわたしに任せてはくれないか? アステラの揉め事はアステラの人間が決着ケリをつけるべきだと思うんだ」

金髪碧眼の女騎士の熱い語り口にもやはりナーガは無反応のままだった。沈黙を肯定のサインと受け取ったのか、セイはそれ以上言葉を継ぐことなく、目の前の強敵へと集中力を高めていく。

「よろしいのですか?」

姉と共に老臣の死を悼んでいたジャロ・リュウケイビッチ少年が問うと、さすがに弟を無視できなかったのか、ぐすっ、と鼻を鳴らしてから、

「それもパドルの策のうちだろうからな」

金属を思わせる硬質の声で答えた。最強の女騎士の帰還まで耐え抜いた忠実な家来に主人として報いてやりたかったのと、

(今のわたしでは勝てない)

「モクジュの邪龍」の孫娘は愛する者を失いながらも冷静に判断を下していた。五体満足であっても「双剣の魔術師」に太刀打ちできるか怪しいのに、今は左脚と背中に深い傷を負っているのだ。感傷にとらわれずに勝利を優先させるのが騎士として取るべき道だ、とナーガは折れかけた心を保とうとする。その一方で、

(こういうときでもあいつは変わらない)

セイについて可笑しく思ってもいた。もうすぐ死闘が始まるというのに、他人に気を遣っている場合か、と考えているうちにわずかながら心が奮い立つのを感じた。「蛇姫バジリスク」の瞳の輝きが、セイの長い髪と同じ黄金色に、勇気を表す色に変わっていく。そして、

「ほら。こっちに来るんだ」

ジャロの肩を抱き寄せながらセイの方へと向き直る。

「姉上?」

さっきまで涙に暮れていた少女騎士の声が力強さを取り戻したのに少年はとまどうが、

「ジャロ、おまえもセイジア・タリウスの戦いをしっかり見届けておけ。これからはわたしとおまえ、姉弟2人で生きていかなければならないんだ」

頼むぞ、と優しく語りかけられれば、「はい」と素直に頷くしかない。

(これからはぼくが姉上を守るんだ)

そのためならどんなことでもやるつもりだった。だから、憎い父の仇であり、何かと気に入らない(何度「やめろ」と言っても「坊や」扱いをしてくるので本気でむかついていた)女騎士からでも学び取るつもりでいた。リュウケイビッチ家の少年と少女の瞳はいまだに涙に濡れていたが、大切な人を失ってもそれでも未来へと向かおうとする意志が2人の顔には残っていた。

そして、あと何秒もしないうちに戦いが始まろうとしている張り詰めた空気の中で、

「きみにひとつ聞いておきたいことがあるんだ、ミス・タリウス」

戦いが始まってしまったらもう無理だろうからね、とヴァル・オートモが話しかけてきた。生きるか死ぬか、というのっぴきならない状況に立つ男らしからぬのんびりした口調に、

(ふざけてはいても度胸はさすがだ)

セイは感心して、

「わたしに答えられることであれば」

世間話をするかのような口調で答えた。彼女の胆の太さもまた賞賛に値するものだと言えよう。

「いや、きみにしかわからない話だから、こうやって訊いてるんだよ」

甘いマスクの騎士がそう言ってから俯くと、顔面に常に貼り付いていたにやにや笑いが消え去り、

「きみがどうしてわたしを天馬騎士団の副長に選ばなかったのか、その理由を訊きたい」

オートモが言葉を発した後で、セイは少しだけ考え込んで、

「ずいぶん昔の話を聞くものだ」

と鎧を纏っていても優美さがわかる肩をすくめた。「大崩壊カタストロフ」で戦死したオージン・スバルの後を受け、セイが天馬騎士団団長に就任し、それから間もなく入団したばかりのアリエル・フィッツシモンズを副長に抜擢したのは4年前の出来事だ。4年という月日を短いと感じるか長いと感じるかは人それぞれだろうが、その間に戦争が終結し、セイも国王から暇を出され騎士でなくなる、という激動に継ぐ激動、と言うべき日々であり、まだ20歳の女子が「昔」と考えるのも不自然ではないのだろう。

「はっきり言わせてもらうが、わたしとしては、その話をするのはかなり気が進まない。わたしもおまえももはや騎士団を離れているのに、とっくに過ぎた出来事を気にするのは健康的とも思えない」

金髪の女騎士が明らかに乗り気でない態度を示すと、

「過ぎた出来事ではないのだよ、ミス・タリウス」

「なに?」

いつになく鬼気迫る「魔術師」の様子にセイは目を見開いて驚く。

「きみにとっては昔話でも、わたしにとっては現在進行形なのだよ。ああ、確かにきみの言う通り過去を気に病んだところでいいことなど何もない、というのはよくわかっているつもりだ。副長になれなかった理由を知ったところで、今更なれるわけでもない。知ろうとすること自体馬鹿げている、とね」

ぎり、と奥歯を噛みしめて、

「だが、それでも知りたくてたまらないのさ。いつも気にしているわけじゃないが、ごくたまに眠る前に思い出しちまって、そうなったら夜通しそのことばかり考えてしまうんだよ。一生そんな思いをし続けるかと思うと、とてもやりきれなくてね」

感情的にまくし立てたのを恥じたのか、オートモは首を横に大きく振って、

「そんなわけだから、教えてもらえると非常に助かるんだ。その理由さえわかれば心置きなくきみとも戦える」

必要以上におどける男を見て「わかっていなかった」とセイは考える。お調子者だとばかり思い込んでいたオートモが深い悩みを抱えていたとは彼女にとって考えもつかないことだった。最強の女騎士といえども人間の心まで見通せるわけではない。相手のためを思ったつもりでかえって傷つけてしまった浅薄さを悔やむしかない。

「すまない。わたしが間違っていた。そういうことならはっきり言わせてもらおう」

頭を下げた女騎士に「お聞かせ願いましょう」とうやうやしく応じる「双剣の魔術師」。それでも言葉を選んでいるのか、セイはなかなか口を開かない。答えを待つオートモの耳に村中で爆ぜる炎の音がやけに大きく聞こえ、彼の人生で最も長い10秒が過ぎたそのとき、

「おまえには背中を預けられない。だから、副長に選ばなかった」

セイジア・タリウスは重々しく告げた。

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