第194話 「魔術師」の回想(前編)

話は「ジンバ村防衛戦」の6年ほど前にさかのぼる。

「ところで、ヴァル」

アステラ王国天馬騎士団団長オージン・スバルが丸テーブルの向かい側に座った同じく天馬騎士団一番隊隊長ヴァル・オートモに話しかける。

「さっさと本題に入ったらどうなんだ?」

「はい?」

つい先日成功裏に終えたばかりの遠征の裏話に興じていたオートモは上官の涼やかな視線をまともに受けて、体中にまわりつつあった酔いが一遍に霧散したのを感じた。表情が固まった部下を見て、あるかなしか、といった程度の微笑を浮かべたスバルは、

「おまえに食事に誘われるなど滅多にないことだから、何か相談事でもあるのだろう、と思っていたが、いつまで待っても二番手三番手の話題しか出てこないので、どうしたものかと思ってな」

そう言ってからグラスに入った白ワインを一口だけ飲んだ。騎士のたしなみというわけか、適度な酒量を心掛けているようだった。

(お見通しだったか)

オートモは上官の勘の鋭さに身が縮む思いを味わう。「蒼天の鷹」と呼ばれる騎士の眼力にかかっては部下の魂胆などお見通しなのだろう。

「すみません。お忙しい団長をわざわざお呼び立てしたというのに、いざとなったらなんだか気が引けてしまって」

青みがかった髪を美しく整えた騎士に謝罪されたスバルは目だけで笑って、

「わが軍きっての切り込み隊長がそんなに意気地のないことでは次の戦いが心配になる。余計な気を回さなくてもいいから、言いたいことを言えばいい」

その夜、オートモはスバルと語らいを持つために王都チキにある行きつけのレストランに個室を予約していたのだが、「蒼天の鷹」がやってくると知った支配人が、

「スバル様ほどの英雄に粗相はできない」

と代金はそのままで部屋もフルコースも最高級のものに変更させた、といういきさつがあった。オージン・スバルという騎士が王国の人々にいかに慕われているかを改めて知って、オートモは部下として誇らしく思ったが、それだけに忸怩たる思いもあった。尊敬する騎士がどうしてあのような決定をしたのか、その真意を確かめるのが今夜の目的であった。

「では、お言葉に甘えさせていただきます」

頭を下げたものの、話をどう切り出したものか迷いは消えず、グラスの水で唇を湿してから、意を決して口を開いた。

「近頃、わが団に不穏な雰囲気があるのを団長はご存じでしょうか?」

ほう、そうなのか? とスバルが発したつぶやきは、ナプキンで口元を拭っていたこともあってくぐもったものになる。「はい」とオートモは頷いて、

「少なからぬ団員が不満を抱えていて、天馬騎士団が誇る鉄の結束に乱れが生じつつあります」

由々しき事態です、と部下に告げられて、「ふむ」と団長も真剣な面持ちになる。取り合ってもらえそうだ、と好感触を得たオートモは語気を強めて、

「わたしが一番隊のメンバーやその他の団員から話を訊いてみたところ、その不満の根源は先頃の人事にあるとわかったのです」

「人事?」

やや声を高くしたスバルに「双剣の魔術師」の異名が定着しつつあった騎士は得たりとばかりに頷いて、

「すなわち、セイジア・タリウス嬢を副長に抜擢したこと、それこそが混乱の原因となっているのです」

セイジア・タリウスの副長就任が天馬騎士団に少なからぬ波紋を起こしている、というのは事実であり、オートモの讒言というわけではなかった。入団して1年あまりで騎士団のナンバーツーの地位に就くことだけでも異例なのに、新しい副長がまだ14歳で、しかも少女だというのだから、異例中の異例中の異例、と表現してもまだ足りない破格の人事と言うべきもので、前代未聞の異動として騎士団の内外でも騒がれ、発表から3か月近く経ってもなおもその是非をめぐって各所で議論となっていたのである。

「その件に関しては、わたしは十分に説明したつもりなのだが、まだ納得してもらえていないのか」

やれやれ、とスバルは眉をひそめる。彼は口が達者な方ではないが、セイを昇進させた理由を諸方面に向けて一通りのことは語っていた。セイジア・タリウスは少女にして若輩の身だが実力は十分にあること、経験は不十分かもしれないがそれを補って余りあるほどの伸びしろがあること、そしてもし彼女に落ち度があれば団長である自分が全ての責任を負う、と王宮に参内した際に断言し、重臣たちを驚かせていた。

「余はそなたを深く信頼しておる。そなたの部下も信じよう」

国王は「蒼天の鷹」の説明を受け入れ、人事を受け入れた。主君はスバルの意見を鵜呑みにしたわけではなく、

(タリウスという娘、確か初陣で華々しい武勲を挙げておった)

セイの数々の活躍をしっかりと記憶しており、それもプラスに作用していた。王が決定した以上、公的にはセイの副長就任は承認されたことになっていたのだが、それをすべての人が受け入れたわけではなく、オフィシャルに認められてもはや覆しようがなくなったために、余計に不満が高まった側面も存在するのは否定できなかった。

「わたしがセイを依怙贔屓しているから副長にした、という噂も聞いたが、あいつがそれを聞いたら『だったら代わってくれ!』って怒るぞ。朝から晩まで仕事に追われて、うちの騎士団で一番忙しくしているのはあの子なんだ」

同じ騎士団の団員であるオートモもそのことは承知していた。団の内外の厄介事を、大の男でも音を上げる激務を押し付けられた14歳の少女が走り回っている姿を見ない日はない、と言ってよかった。

「ヴァル、おまえから見てセイの仕事ぶりはどうだ?」

と深みのある声に問われて、

「今のところは特に問題はないように見受けられます」

と答えるしかなかった。新米副長に大きなミスがないことは、彼女に対して批判的な人間でも認めざるを得なかったのだ。スバルは小さくうなずいて、

「まあ、当然だな。『やれる』と思ったからわたしはあの子を選んだんだ。出来て何の不思議もない」

青い瞳の少女への確固たる信頼が含まれた言動を耳にしたオートモの心がざわつく。

「しかし、それでもタリウス嬢に対して反感を持った隊員が多く存在するのを、団長はどのようになされるおつもりなのですか?」

落ち着かないままで発したからか、甘いマスクの騎士の言葉はいくらか波打っていたが、

「何もしない」

スバルはあっさり答えた。目を丸くしているオートモを一瞥してから、壁に掛けられた風景画を眺めて、

「わたしはセイのために何もするつもりはない。ヴァル、おまえもわかっているだろうが、あいつは副長になる前から、入団してきたときから天馬騎士団では浮いた存在だったんだ。大男どもの中に可憐な貴族の令嬢が入ってきて、それに加えてまだ十代なのに並の騎士よりも強く賢い、と来ている。目立たない方がおかしいというものだ。そのせいで嫌な思いもしただろうし、これからもするだろう。だが、それもこれも人とは違う生き方をあの子が自分で選んだために起こったことだ。それで泣き言をぬかすようなら、とっとと追い出しているよ。騎士団の中で生き残れない人間が敵と戦えるはずもない」

珍しく饒舌になっているのに自分でも気づいたのか、謹厳実直な騎士は苦笑いを浮かべて、再びワインを口にする。

「嘆かわしいことですが、団員の中にはタリウス嬢に嫌がらせをする者もいるようです」

「それもセイが自分で何とかすべきことで、わたしの出る幕じゃない。まあ、その馬鹿者どもには同情しないでもないな。あの子に喧嘩を売れば、地獄すら生ぬるく思えるほどの恐怖を味わうことになる」

オージン・スバルはポニーテールの愛らしい少女の勝利を信じて疑っていないように見えた。オートモ自身はセイに嫌がらせをしてはいなかったが、嫌がらせをする仲間を止めはしなかったし、いじめられたり無視されて困っている彼女を見て「いい気味だ」と歪んだ快感を覚えたことがあるのは事実だった。しかし、セイはどんなにつらくても人前では涙を見せずに健気に振舞い続け、頑張る娘を助ける仲間も徐々に増えてきた(セイがこの頃友達になったリブ・テンヴィーという女占い師のアドヴァイスも彼女の支えになっていた)。邪でねじくれた心が、前を向いて進もうとするまっすぐな魂に勝てるはずもなく、セイジア・タリウスは天馬騎士団の中で自分の居場所を見つけつつあったのだ。

(こんなはずではなかった)

ヴァル・オートモの目算は狂った。入団当初、「お嬢様が3日と持つわけがない」と思っていたセイがいまだに騎士団に留まり続けているだけではなく、彼女はいまや副長となって一番隊の隊長である彼よりも上の地位となり、その職務も大過なく果たしていて、いずれは団長にまで出世してもおかしくはない、期待のホープへと成長しようとしていた。

(なんとかしなければ)

そんな焦燥感があった。何もしなくても転ぶはずの相手が順調に走り続けている以上、自分から動く必要があった。このままでは引き離されて到底かなわなくなる。だから、この夜ヴァル・オートモはオージン・スバルに直談判に及んでいたのだが、この会談によって彼の心に一つの桎梏が課されることになるとは、10歳以上年下の少女に追い抜かれる焦りに駆られた男には予想もつかないことだった。

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