第187話 忠臣、役目を果たす(その7)

「セイジア・タリウスがジンバ村に戻ってくるまで時間稼ぎをする」

パドルがやったのはただそれだけのことで、このアイディア自体は誰でも思いつける大して冴えたものではなかった。しかし、その作戦を自らの命を擲ってまで実行したことこそ、「モクジュの邪龍」ドラクル・リュウケイビッチが心から信頼した忠義に篤い古強者の真骨頂であり、彼はなすべきことを見事にやりとげたのだ。

セイジア・タリウスが「ぶち」の横腹を軽く蹴ると、茶色い駿馬は彼女を乗せてゆっくりと前進を開始する。その端正な横顔には何の存念も見当たらず、一度声をかければ十分、とばかりにヴァル・オートモに対する関心を完全に失ったかのように思われて、警備隊長とその部下たちは女騎士の動きを黙って見守るしかなくなる。「影」の元へと向かおうとするセイと愛馬の脇を、

「パドル! パドル!」

ジャロ・リュウケイビッチ少年が泣きながら執事の方へと駆け寄っていく。死に近づきつつある老人のすぐそばにいてやりたいのだろう。その小さな後ろ姿を一瞬だけ見てから、「金色の戦乙女」は村を守るために一人戦い、そして深手を負った黒い刺客の目の前に降り立った。そして、「いやあ」と真夜中に似合わない快活な声を出しながら周囲を見渡して、

「だいぶ派手にやったものだ」

東西南北、四方八方、辺り一面が火の海と化しているのに苦笑いを浮かべる。セイはもちろん事前に「影」が村に用意した仕掛けについて承知していたが、まさか集落全体を巻き込むほどの規模だとは思っていなかったようだ。それを彼女は非難したかったわけではないが、

「面目ない」

「影」は悄然とうなだれた。大掛かりな策を用いながら敵を仕留めきれなかった不甲斐なさへの自責の念が誇り高い暴力のプロフェッショナルの暗い顔にありありと浮かんでいたが、

「なに、気にすることはない。もともとが無茶な作戦だったんだ。それを考えれば、おまえは十分すぎるくらいにやってくれたよ」

ありがとう、と夜明けが何時間か前倒しで訪れたと思えるほどのまばゆい笑顔を見た瞬間、黒ずくめの仕事人は身体から痛みと疲労が抜けていくのを感じた。

(なるほど、これがセイジア・タリウスか)

敵に回せばこの上なく恐ろしいが、味方になればこの上なく頼りになる、最強の女騎士の真価をようやく理解できた気がした。そして、そんな彼女を執拗に付け狙ってきたおのれの愚かさが骨身に染みて、このとき「影」は長きにわたってとらわれていた復讐の念から解放されたのかもしれなかった。

「そう言ってもらえるとありがたい」

目を閉じて頷いた黒の怪人をセイは不思議そうに見て、

「おまえがそんなに素直だとなんだか気味が悪いな」

思わず呟いたので、「ほっとけ」と男はそっぽを向く。そこで、

「あれ?」

金髪の女騎士はモニカとマルコの存在に気づいて、

「おまえたち、どうしてここにいるんだ?」

それにあの坊やも、とパドルの傍らに蹲ったジャロに向かって顎をしゃくってみせると、

「セイジア様、ごめんなさい」

「セイ、ごめん!」

村娘とガキ大将に一緒に謝られたので、「いや、理由を説明して欲しいだけなのだが」とさっぱりわけがわからなくてセイは戸惑ってしまうが、

「まあいいさ。2人とも無事で何よりだ。わたしが来たからには、やつらにこれ以上手出しはさせない」

そこで大人しくしているんだ、と言い切った女騎士から溢れる温かいオーラにモニカもマルコも、そして「影」も緊張がほぐれていくのを感じた。まだ終わってはいないのに、もう既にハッピーエンドが約束された気分になる。

「『ぶち』、みんなを守ってくれよ」

若い馬の長い顔をそっと撫でてから立ち去ろうとするセイの背中に、

「『双剣の魔術師』、油断ならぬ相手だぞ」

「影」が警告を与える。すると、セイは立ち止まって、

「あいつの手強さは一緒に戦っていたからよく知っている。わたしとて100パーセント勝てる自信はない」

しばしの沈黙の後、

「だが、今回に限っては違う。わたしが必ず勝つ。いや、わたしはんだ」

と、さわやかな微笑みを残して再び歩き出したので、黒い男もそれ以上何も伝えられなくなる。

(どういう意味だ?)

既に勝利を確信した口ぶりは、凡人ならば過信とも受け止められかねないものだが、「金色の戦乙女」に限って砂粒ほどの慢心があるはずもない。「魔術師」を超えるほどの魔術の用意でもあるのか、とあと数分で開始される対決に、「影」の心は早くも奪われかけていた。

「パドル、お願いだ。死なないでくれ。おまえがいなくなったら、ぼくはどうしたらいいんだ」

泣きながら懇願するジャロを「情けないことを仰らないでください」とパドルは叱ろうとするが、呼吸が半ば止まりかけた身では話しかけるのも至難の業だった。「いやだ、いやだよ」と執事の手を握りしめて涙をこぼす御曹司のすぐ隣に誰かがしゃがみこんできた。煤煙と焦げ臭さをかき消すほどのかぐわしさに少年と老人はともに陶然となる。セイジア・タリウスが兜を脱いで、血に染まったパドルの顔をじっと見ていた。彼岸へと旅立とうしている者に語りかけるとすれば、慰めか励ましかあるいは感謝を伝えるのが一般的なのだろうが、英雄たる女子はまず最初に、

「パドル、おまえはひどいやつだな」

親しい友人とじゃれ合うかのように声をかけたので、パドル自身もジャロも呆気にとられてしまう。しかし、女騎士の全くもって気取りのない態度が老人の心をかなり軽くしたことに疑いの余地はなかった。

「タリウス様に怒られるような不手際をした覚えはありませぬが」

さっきまでとは違い、執事の目に光が蘇り声もはっきり聞こえたのにリュウケイビッチ家の御曹司はまたしても驚かされる。この女騎士は聖職者でもないのに、終末に臨んだ者に奇蹟をもたらそうとしているのか。

「覚えてないとは言わせないぞ。わたしが『立ち合おう』と何度頼んでもおまえは『もう引退した』だの『持病がある』だのと断ってきて。ナーガに『しつこくするな』と怒られたからやめにしたが、わたしの思った通り、おまえは今でも十分に強かったじゃないか。それなのに、わたしとの対戦を避けるとは実にけしからん」

ぷりぷり怒るセイの美貌を見上げて「そういうことか」とパドルは納得する。彼が仕えるナーガ・リュウケイビッチとこの金髪の女騎士は何度も決闘(かつて戦士だった老爺の目には一種の鍛錬のように見えていた)していたのだが、その過程で隠し持った力量を見抜かれでもしたのか、立ち合いを求められて断った事があるのは事実だった。

(それを今、死にかけたじじいにわざわざ言うかね?)

と奇妙に感じたのもまた事実だったが、

(このお方はいついかなるときも本気で生きておられる)

あまりにもまっすぐな彼女の生き方を仰ぎ見る気持ちで胸が一杯になっていた。「金色の戦乙女」のために命を捨てた亡き主人の心情が、いまわの際にあって初めてわかったような気もした。

「お許しください。タリウス様と剣を交えて5秒も立っていられる自信はなかったのです」

ヴァル・オートモへの痛烈な皮肉を知らず知らずのうちに吐いたパドルの傷ついた顔をセイは睨みつけて、

「今回に限って許してやる。おまえにはいろいろ世話になったしな」

しかたないなあ、と言いたげに溜息をつく。それから、打って変わって聖母のごとき優しげな表情になって、

「『邪龍』殿は実に素晴らしい部下を持ったものだ。おまえと一緒に戦えたなら、何も恐れることなどなかっただろう。うらやましいことだ」

一軍を率いる者が戦士へと送る最高の賛辞に、

「あなた様ほどの勇者にそのように言っていただけるとは、身に余る光栄でございます」

感動のあまり深く瞑目して声を震わせた老人に「うむ」と女騎士は大きく頷くと、

「後は全部わたしにまかせてくれ。この村のことも、モクジュの人たちのことも、そしてナーガと坊やのことも」

ゆっくりと立ち上がる。最強の女騎士が引き受けてくれたのなら、もはや何も思い残すことはない、と安堵しながら息を吐いた老執事の耳に、

「パドル!」

哀切きわまりない叫び声が届く。任務を終え村へと帰還したナーガ・リュウケイビッチが血に染まった家臣の姿を見つけたのだ。


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