第185話 忠臣、役目を果たす(その5)

セイジア・タリウスの名を聞いた途端にヴァル・オートモの姿が二重にぶれたようにパドルには見えた。体が動いたわけではなく心が揺らいだのだ、と歴戦の勇士の観察眼は敵の変化を、そして変化に至った理由をしかと見抜いていた。

(なるほど。そういうことであったか)

敗北必至の状況にそぐわない莞爾とした笑みをこぼしたパドルに、

「タリウス嬢とは少し前まで敵として戦っていたというのに、ずいぶんと褒めちぎるもんだね」

「双剣の魔術師」の皮肉がまぶされた返事を聞いても老執事はまるで動じることなく、

「敵だったからこそ高く評価しておるのよ。舐めてかかればたちまち死に至る、タリウス様はそれほどの戦士だ」

きっぱり言い切ってから、

「むしろ、アステラこそがあのお方を不当に扱っているようにわしには思われてならんが。戦争を終わらせた英雄にしかるべき地位も名誉も与えないどころか、このような辺境に放逐するとはとても理解できぬよ」

そう溜息をついた白髪を血で赤く染めた元騎士の頭の中に閃きが訪れる。セイジア・タリウスがこのジンバ村へとやってきたのは、誤った評価をされたためではなく、からではないか、という考えだ。何の根拠もない突飛な思い付きではあったが、死に呑まれかけた者が時として発揮する常人離れした集中力が、パドルをこの物語の根底に関わる真相へと導いたのかもしれない。だが、

(知ったところでわしにはどうにもできん)

どうやらこの村が襲われた裏にも根深い事情がありそうだが、あと何分生きていられるかもわからない人間が解決できるはずはなく、後を続く者に託すしかないのだろう。老兵は消えゆき、若者たちが新たな世の中を作っていく。自分が見ることのできない未来はきっと明るい希望に満ちている、と確信したリュウケイビッチ家の家宰の血にまみれた体から初夏の爽風のごとき清冽さが溢れ出し、念願かなって「龍騎衆」への入隊が認められた20歳の頃の若々しさに人生の終点を行き過ぎようとしている男は再び巡り合った。

「哀れな男よの、ヴァル・オートモ」

「なに?」

オートモがたじろいだのは、瀕死のはずの老人の声が力強さを取り戻していたからだ。声だけではない。片方だけになった目は村のあちこちで燃え上がる炎よりも輝き、肉体も膨れ上がっているように見える。思わず顔をこわばらせた「魔術師」を、かかか! とパドルは笑い飛ばしてから、

「騎士を目指したのがそもそもの貴殿の誤りよ。才がなまじあったばかりに一流になってしまい、騎士以外の何者にもなれなくなってしまったのも貴殿にとっては災いなのだろう」

そこまで言って、「いや、そうではないな」とかぶりを振ってから、

「貴殿にとっての真の災いは、決して越えられない超一流の騎士が、真の天才がすぐ身近にいたことだ。同情するぞ、ヴァル・オートモ。それまで負け知らずで来た者が永遠の二番手に甘んじなくてはならないと知ったときの絶望たるやいかほどのものであっただろうかの」

よどみなく弁じ立てる執事に、

「やめろ」

オートモは低い声でつぶやいたが、聞こえなかったのかわざと無視したのか、いずれにしてもパドルは話し続ける。

「これが最後のチャンスだ。今すぐ退くのだ。わしに勝ったところで、この村を滅ぼしたところで、貴殿の救いにはなりはしないのだぞ」

「だから、やめろと言ってるんだ!」

怒鳴ってきた国境警備隊長をパドルは厳父のごときまなざしで見つめ、

「あのお方には決して勝てない、と認めよ。それができねば、貴殿に真の破滅が訪れるのだぞ」

「き・さ・まーっ!」

「双剣の魔術師」は甲高い声で吠えながら猛スピードで走り出した。いつもの彼らしからぬ、フェイントも技巧も何もないなりふり構わぬ突進だ。一番言われたくないことを言われた、心の奥底に閉じ込めていた暗い思惑を見抜かれた憤りが腕利きの騎士に我を忘れさせた。そして、怒りに任せた攻撃が無防備な敵の巨体に炸裂する。

「パドルーっ!!」

「じいちゃーん!!」

ジャロとマルコが号泣し、

「いやーっ!!」

モニカが顔を覆って絶叫する。

(なんてこった)

そして、「影」は言葉を失う。ヴァル・オートモの二つの剣が老執事の左右の胸を貫いたのを皆はしっかりと目撃してしまった。ずぶ、と鋼が肉にめり込む音までも聞いてしまった。衰えた体に鞭打ち、村と人々を守るためにひとり戦った元騎士の命は遂に断たれたのだ。

「好き勝手言いやがるからこうなるんだ、じじい」

両手から伝わってきた確かな手ごたえに声を上ずらせてオートモは勝利の歓喜に身体を震わせたが、

「哀れな男よの、ヴァル・オートモ」

しわがれた声がすぐ近くから聞こえてきて、興奮は一気に消え去る。「まさか!」と頭を上げて老人の死に顔を確認しようとした瞬間、

がつん!

顔面の中央に重い衝撃が命中し、闇に閉ざされた視界に無数の星が明滅する。頭突きを食らった、と理解するよりも早く、

「ぐわあっ!?」

パドルの太い腕がオートモの胴体を両手ごと挟み込んでいた。南方の密林に生息するという巨大な蛇に締め上げられるがごとき激痛に襲われて、「魔術師」は完全に身動きが取れなくなる。老人とは思えない恐るべき怪力だ。

(じいさん、これを狙っていたのか?)

捨て身の策を実行したパドルに「影」は愕然とする。あの元戦士はオートモをわざと怒らせて、距離を縮めさせたのだ。密着した状態なら「双剣の魔術師」もテクニックを使えないと踏んだのだろう。痛恨の一撃を食らいながら、それでも敵の打倒を諦めないとは、恐るべき執念としか言いようがない。

「離せ。離しやがれ」

ぐぐぐ、と呻きながらも、ヘッドバットのダメージからようやく回復しつつあるオートモの目に、

「若いの、もう少しだけ付き合ってもらおうか」

致命傷を受けたはずの老人が口から赤黒い血を撒き散らしながら会心の笑顔を浮かべているのが見えた。

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