第184話 忠臣、役目を果たす(その4)
そこからはヴァル・オートモがパドルを傷つけるだけの一方的な展開になった。青みがかった髪の騎士は老人の打突をやすやすと躱し、突進をいなすと同時に容赦なく斬りつけた。さながら猛牛をあしらうマタドールのごとき優雅にして残酷な振舞いで、リュウケイビッチ家の執事を血祭りにあげていく。「魔術師」の操る2つの剣の餌食となった老騎士は見るも無残な姿になり果てていた。頭と胴体と四肢全てに裂傷を負い、シャツとズボンは深い紅に染まり、右の目は潰れ、ちぎれかけた左の耳は辛うじてぶら下がっている有様だった。そのうえ「ふごー、ふごー」とふいごのごとき荒々しい息遣いが、彼の体力の激しい消耗を物語っていた。現役当時ならば夜明けから日没まで全力で戦い抜くことが出来た戦士も老いには勝てず、5分足らずの攻防で既に体勢を維持することもかなわなくなり、足はふらつき目もかすみ出していた。
「もういいよ。もうやめてくれよ」
自分たちを守ろうとしてくれている老爺が血まみれになっているのを見ていられなくなったマルコが泣きじゃくりながら頭を抱えて蹲ってしまう。その横にいるジャロはぼろぼろと涙をこぼしながらも叫びそうになるのを必死でこらえていた。だが、大切な家来が死の瀬戸際まで追い込まれる凄惨な光景を眺めるのが耐えられなくなって友人と同じように目を逸らしてしまいそうになるが、
「逃げるんじゃない」
背後から飛んできた叱咤の声に、びくん、と体を強張らせる。
「ナーガ・リュウケイビッチの弟、おまえにはこの戦いを最後まで見届ける義務がある」
振り返ると、「影」が苦痛に体を折り曲げながら送ってきた強い視線とまともにぶつかった。
「義務、だって?」
少年が訊き返すと、
「ああ、そうだ。あのじいさんはおまえの家臣なんだろう? おまえみたいなちっぽけなガキを、じいさんは命がけで守ろうとしているんだ。そんな人間が踏ん張ろうとしているのを見捨てるのが、誇り高き貴族の、そして騎士になろうとしているやつのやることか? っていう話だ。まあ、卑怯者になりたい、っていうなら止めんがな」
黒ずくめの刺客の言い放った文句はジャロの胸にがつんと響いた。姉の話ではこの不気味な男はかなりの悪党らしいが、そうだったとしても決して無視できない迫力のこもった文句だと認めざるを得ない。パドルと同じく生命の危機に瀕した男に対して少年は知らず知らず敬意を持っていたのかもしれなかった。
「でも、あんなのとても見てられないわ」
「影」の治療を終えたモニカが口を挟んできた。あそこまでやられた老人に逆転の見込みがないことは村娘にも明らかだった。だが、
「まだ終わっちゃいない」
背中に重いやけどを負った仕事人はニヒルな笑いを浮かべながらつぶやく。
「確かに勝敗は九分九厘決したように見える。だが、じいさんは諦めちゃいない。何かを狙っているように、おれには見える」
「パドルは一体何を狙ってるんだ?」
ジャロに問われた「影」は黙って美少年を見つめ返す。「それを知りたければ最後まで戦いを見ろ」と言われたような気がした。
(そうだ。何があろうとも見守るんだ)
ぼくにできることはそれしかない、と心に決めたリュウケイビッチ家の御曹司の足に、マルコの手から逃れてきたミケが体をこすりつけてきた。のんきな仕草にいくらか心が軽くなったのを感じつつも、ジャロが猫を抱き上げて再び忠実な家臣の方へと向き直る。パドルとヴァル・オートモ、2人の対決が最終局面へと至り、決着が近いことは未熟な少年にも感じられた。
「巧いな」
攻撃を開始してから初めて老騎士が口を開いたのに「双剣の魔術師」は目を大きく見開く。
「これまで幾多の騎士と刃を交えてきたが、数十年にわたる戦歴の中でも、貴殿ほどの巧者と出会ったことはない」
乱れに乱れた呼吸からこぼれた言葉に賞賛の色が見えたのに、
「それは光栄だね」
とオートモは素直に喜ぶが、
「だが、怖くはない」
パドルが即座に否定的なつぶやきをつなげたのに呆れ返る。
「はあ? じいさん、あんた、今自分がどんな風になっているのかわかってるのかい? そんな
隊長のジョークに部下たちは笑い声を上げるが、
「確かに手ひどくやっつけられているが、わしはまだ生きている。『魔術師』殿は数十回以上斬りつけてきたが、それでもまだわしを仕留め切れていない、というのが客観的な事実だ」
老人の意見に理があると見たのか、はしゃいでいた警備隊員は黙り込み、オートモの顔からも笑みが消える。
「わたしがあえて手加減している可能性は考慮しなかったのかね?」
「どうしてその必要がある? わしのようなおいぼれに時間をかけられるほど、今の貴殿に余裕があるとは見えないが」
さらに図星を突かれた「双剣の魔術師」の体から怒気が滲み出す。圧倒的な有利に立ちながらもいまだに勝負を決めきれないのは、目の前の老人がわずかに攻撃をずらしているためだ、と気づいていた。この死にぞこない、悪あがきしやがって、といまいましそうに顔をしかめるオートモとは対照的に、
「貴殿は一流の騎士ではあるが、わしは何人もの超一流と出会ってきたものでな。評価が厳しくなるのは致し方のないところであるのよ」
許されよ、と笑みをこぼすパドルは陽だまりで茶飲み話に興じる隠居老人のごとき暖かな雰囲気を漂わせる。もっとも、血まみれになった爺さんにアットホームなムードを醸し出されるのはこの上なくおそろしい、とこの場に居合わせた人々は学んだわけだが。
「わが主人『モクジュの邪龍』ドラクル・リュウケイビッチ、その宿敵『アステラの猛虎』ティグレ・レオンハルトは外すことが出来ないとして、『蒼天の鷹』オージン・スバルはその強さもさることながら敵ながら尊敬すべき信念の持ち主であった。他にもマキスィの『鉄鬼』、ヴィキンの『黒蠍』、サタドの『砂の巨人』、メイプルの『
何を言っているのやら、とオートモは笑い飛ばして、
「あんたが名前を挙げたのは、みんな死ぬか引退した連中ばかりじゃないか。これだから年寄りは困る。何かといえば『昔はよかった』と言って、今の世の中を貶めるのに血道をあげるんだからね」
若者(パドルから見れば30代のオートモもそうなる)の反論に、「いやいや、それは誤解だ」と老執事は温和に笑ってみせて、
「もちろん、今の世の中にも素晴らしい戦士はおる。わしも彼女の戦いぶりを間近で見て、『噂には聞いていたがこれほどまでとは』と度肝を抜かれたものよ」
「彼女、だって?」
驚くオートモに、かつて「龍騎衆」に属し今は亡き主の遺児を守る巨躯の老人は「左様」と大きく頷いてから、
「『金色の戦乙女』セイジア・タリウス、あのお方こそ、わしがこれまでに出会った中でも最強の騎士である」
高らかに告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます