第177話 小さな騎士と最後の罠(その7)

ひゅん! と鋭い音を立てて突如飛来した石が頬をかすめたのにヴァル・オートモは当然驚いたが、彼に命を狙われていたジャロ・リュウケイビッチも驚いていた。もはや逃げられないと諦めていたのに一体何が、と振り返って闇の奥へ目を凝らすと、

「そいつに近づくんじゃねえ」

彼の友人であるジンバ村一の暴れん坊マルコが叫ぶ。

「おれたちの村から出て行け!」

そう言って騎士たちめがけて次々と石を投げつける。

(マルコ、どうしてここへ?)

悪友の登場で金縛りから解かれたモクジュの美少年は急いで「双剣の魔術師」から離れてガキ大将のもとへ駆け寄る。「影」を助ける前に、

「ぼく一人で行くから、きみは帰ってくれ」

と言ってあったのにどうして後を追ってきたのか。連れて帰ってくれるように頼んだミケも片手に抱いたままだ。短い付き合いでも、マルコが素直に言うことを聞かないひねくれ者だというのはわかっていたが、この緊急時にまでへそ曲がりな行動をとらなくてもいいじゃないか、と腹が立って仕方がなかった。しかし、

「何をやってるんだ? 早く逃げないと危ないじゃないか!」

怒っていても、最初に出たのが相手を心配する声だったのは、お人よしのジャロ少年らしかった。だが、返事がないのでもう一度怒鳴りつけようとして、

「おい、マルコ、どうしたんだ?」

リュウケイビッチ家の御曹司は友人の異変に気づく。俯いたまま歯を食いしばった顔が紅潮しているのが闇夜でもわかった。

「おれを見損なうんじゃねえよ」

「えっ?」

やっとのことで絞り出された声の低さにジャロが驚いていると、

「おれがダチを見捨てて一人で逃げるような根性無しだとでも思ったのかよ!」

いつも強気なマルコの目からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちているのを見た貴公子は絶句してしまう。気の優しいジャロは友人を「根性無し」などと思ったことはなく、むしろ自分よりもずっと度胸も体力もある、とひそかに羨んでいたくらいだった。そんなお坊ちゃまには思いも寄らなかったことだが、

(おれはどうしようもない臆病者だ)

とマルコは自分自身を恥じていた。10年余り生きてきて初めて味わう痛切な感情だと言って良かった。実のところ、彼はジャロに「一人で帰れ」と言われたとき本当にその通りにしようと思っていた。子供一人で大勢の大人に立ち向かえるはずもなく、一人増えたところでどうしようもない。早く帰って母親を安心させたい、と自分可愛さの一心で足を踏み出しかけた少年を翻意させたのは、ちらりと見えた友の後ろ姿だった。

(あいつ、震えてやがる)

ジャロ・リュウケイビッチの小さな背中が小刻みに震えているのがしっかりと見えた。さっきまで平気な顔をして「影」を助けに行こうとしていたのにやっぱり恐怖心には耐えかねたようだ。しかし、マルコはそれをみっともないとも無様だとも思わなかった。本当に無様なのは友達も遊んでくれたおじさんも見捨てて逃げ帰ろうとしているおれじゃないか、と自分自身の醜さを容赦なく見せつけられた気がしてならなかった。実を言えば、仲良く遊ぶようになってもマルコの中にジャロを侮る気持ちが少なからず残っていた。危ない場所に向かおうとするとすぐに腰が引けて、ちょっとからかっただけでべそをかく情けないやつだ、と小馬鹿にしていた。しかし、そんな弱っちいなよなよした少年がなけなしの勇気を奮い起こして傷ついた人を守ろうとしているのに衝撃を受けずにはいられなかった。

(そうか。これが本当の勇気なんだ)

マルコはおのれの誤解に気づかされる。このガキ大将は「他人に舐められたくない」「強い男だと思われたい」という一つの行動原理の元に日々動いていた。村で一番高い木に登った(転落して危うく死にかけたのをセイジア・タリウスに救われたのだが)のも、隣村の悪ガキたちと揉めた際に体の大きな年長者にも怯まずに殴りかかったのも、ひとえに強さを周囲に証明したかったからであり、他の子供に真似できない無茶な行為をやってのけた自分は人一倍勇気があると思っていた。だが、そうではない。おれには勇気など無くて、ただ単に「怖い」という気持ちを知らなかっただけなのだ、と真の勇気の持ち主を目の当たりにして悟っていた。勇気とは恐怖を乗り越えてそれでも何かを成し遂げようとする志なのだ。そんな気高い心は粗暴で野蛮で未熟な自分にはない、と失望しながらも悪童は俯かずに前を向こうとする。いつだったか、

「おれなんか何をやってもどうせダメなんだ」

と文句を垂れているのをセイに訊かれて、

「最初から『どうせ』とか『ダメ』とか諦めているやつに何もできるものか。甘ったれるんじゃない」

いつも陽気な女騎士に珍しく真顔で怒られて、「何をそんなにキレてるんだよ」とそのときは不愉快になっただけだったが、今なら彼女が怒った理由がなんとなく分かる気がした。おれだって本当は自分を「ダメ」だなんて思いたくはない。強い男になりたい、という気持ちだけは誰にも否定できないはずだった。そのために向かうべき先は何処なのか、答えは考えるまでもなく、マルコは危険な道へと足を踏み出した。友達も知り合いのおじさんも瀬戸際にあるこの状況で、ひとりだけ安全な場所でのうのうと過ごすには、この少年の心はまっすぐすぎた、とも言えた。

「お前一人だけで美味しいところを持っていこうったってそうはいかねえんだからな」

親友の憎まれ口の陰にある自分を思う気持ちにジャロ・リュウケイビッチの心は大きく揺さぶられた。2つの正しい心が共鳴して、もともと泣き虫の少年もまた涙を抑えられなくなる。

「何を泣いてるんだよ、マルコ。馬鹿みたいだぞ」

「けっ。それはお互い様だっつーの」

変わらぬ友情を確かめた2人の少年は泣きながら笑い合い、その声に誘われたかのように、ジンバ村の悪童の腕に抱かれた三毛猫が「みゃおん」と小さく一鳴きした。


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