第178話 小さな騎士と最後の罠(その8)

「子供のお遊びに付き合わされるのはもうまっぴらだ」

とヴァル・オートモは思っていた。友情ごっこなど見たくもなかったが、ごっこ遊びできるほどの友情を持ち合わせていなかったからこそ、彼の苛立ちはピークに達していたかも知れない。「双剣の魔術師」は社交的な性格と魅力的なルックスでもって王国の上流階級にも人脈を作り上げていたが(そのおかげで今回の「任務」を受け持つことにもなっていた)、それらは所詮うわべだけの関係でしかなく、真の意味で危険に晒されたときに手を差し伸べてくれる友人など一人として存在しなかった。誰とも心がつながることのない孤独に深く蝕まれた男は、ジャロ・リュウケイビッチとマルコ、2人の少年を直ちに処断することを決意する。そうでもしなければ、おのれを苛む苦痛から目を逸らすことが出来ない。

「坊やたち、もうおしまいにするよ」

唇を歪めたオートモが最初の一歩を踏み出すよりも早く、背後から疾風のごとき勢いで駆け寄ってくる者があった。

「なに?」

振り返った騎士の目に、「影」の姿が再び見えた。さっき逃げ去ったはずの黒ずくめの男が姿勢を低くして苦しげな表情を浮かべたまま懸命に足を動かして、群れ集まった警備隊員を突破し、こちらに向かっているではないか。その右手が抑えた胸からどくどくと黒い血が溢れ出している。「魔術師」によってつけられた傷がさらに深くなっているのかもしれない。

(どういうつもりだ?)

オートモは首を傾げる。尻尾を巻いて姿をくらましたはずの負け犬が今になって何故舞い戻ってきたのか。まさかもう一度勝負を挑もうというのか。馬鹿な奴だ、おまえは決してわたしには勝てないというのに、と一度は勝利を収めている青みがかった髪の騎士は冷ややかな笑みを浮かべて、

(まあ、いいさ。返り討ちにするだけだ)

迎え撃つ体勢を整えた「魔術師」の全身に闘気がみなぎっていく。首と四肢をばらばらにしてくれる、と左右の手に剣を構え、急接近してくる怪人に立ち向かおうとするが、

「邪魔だ、どけ」

なんと「影」はオートモの脇をすり抜けてそのまま通り過ぎていった。予想もしなかった行動に銀の鎧を纏った騎士は唖然とするが、自分を無視した仕事人が2人の子供の方へ疾走していくのを見た瞬間に、

(まさか!)

ヴァル・オートモは自らが大きな勘違いをしていたことに思い当たる。あの不気味な「影」が何処かへ走り去ったとき、「逃げた」としか思わなかったが、今こうして再び姿を現したところを見ると、実はそうではなかったのではないか。あの男が設置した数々の罠に国境警備隊はさんざん苦しめられたが、まだ仕掛けが残っているのではないか。そして、殺し屋がこの場から消えたのはトラップを発動させるためで、その準備を整えてまた戻ってきたのだ、と「魔術師」と呼ばれた男は相手の術中にまんまと嵌まったのを悟る。

(あの男を舐めるべきではなかった)

強敵として認め、やつの息の根が止まるまで油断してはいけなかった、と悔やんだところでもう遅かった。

「ヴァル、おまえはいい腕をしているが、相手を見下す癖があるのが玉に瑕だ」

天馬騎士団にいた頃、上官だった年下の少女に指摘されたのを思い出す。そのときは適当にはぐらかしてまともに取り合わなかったのだが、

(タリウス嬢、きみの意見をもっと真剣に考えた方が良かったのかもね)

ヴァル・オートモが苦笑いを浮かべた瞬間、彼と彼の部下をまばゆい閃光が包み込み、そして轟音とともにジンバ村全域が灼熱の地獄と化した。


村人たちが避難した洞窟にも大音響が届き、

「ああっ!」

「村が! おれたちの村が!」

表に飛び出してきた人々の目には天を焦がさんばかりの勢いで燃えさかる火柱がしっかりと見えていた。


「あれは?」

北方から村へと向かうため馬にまたがっていたハニガンが突然の業火に目を剥くと、

「最後の罠だ」

並走するナーガ・リュウケイビッチが赤々と色を変えた夜空を睨みながら低く呟く。

「最後の? 罠?」

事情を知らない村長が驚いて訊ねると、

「ああ、そうだ。あいつ、『影』が仕掛けた最大にして最終の手段だ」

村に入り込んだ敵を抹殺するための仕掛けだ、と「蛇姫バジリスク」は事前に聞かされていたが、今あの村には彼女の弟もいるはずだった。

(ジャロ、どうか無事でいてくれ)

最愛の少年を想う少女騎士は唇を強く噛みしめ、力を入るあまり、とうとう赤い血が流れ出していた。


そして、村の西方に陣取った荒熊騎士団を殲滅したセイジア・タリウスも爆発を目撃したが、彼女が視線を上げたのは一瞬だけで、無言のまま表情を変えることもなかった。愛馬「ぶち」とともに最強の女騎士が夜の森の中を猛スピードで駆け抜けた後に、金のポニーテールの残像が闇を切り裂く稲妻のように一瞬だけ輝いて、やがて消えていった。

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