第171話 小さな騎士と最後の罠(その1)

「ここか」

避難場所である洞窟をこっそり抜け出して、ジンバ村にやってきたジャロ・リュウケイビッチは、村の幼女マオの家の前に立っていた。夜更けの集落は明かりもないうえに人気もまるでないので、いつにも増して寂しげな雰囲気に満ちていたが、マオが置いてきてしまった飼い猫を救い出そうとする一心の高貴な少年は臆病風に吹かれることなくやる気に満ち溢れていた。では早速、と玄関の扉―この村の民家には全て鍵は掛けられていない。貧しい村人たちは泥棒に盗まれるほどの金目のものなど持っていないのだ―を開けようとして、

「ちょっと待てよ」

後ろからジャケットの襟を力任せに引っ張られて「ぐえっ」と息が詰まってしまう。一緒にやってきた悪童マルコの仕業だ。

「何をするんだ、乱暴だぞ」

ゴホゴホせきこみながら抗議するが、

「何をするんだ、って言いたいのはこっちの方だ。おれたちが何をしに来たか忘れてもらっちゃ困るぜ」

これだからお坊ちゃまは、と上から目線で小馬鹿にされたジャロはむっとして、

「忘れてなどいるものか。ぼくは猫を探しに来たんだ」

「だったら、行くところが違わないか、って話だ」

そう言いながらマルコは、ちょいちょい、と家の裏手に向かって親指を動かした。それでもまだ理解できない様子のモクジュの美少年に呆れた村のガキ大将は、

「ほんと、おまえって鈍いよな。いいか? マオの話だと、ミケはみんなで移動しようとしているときに何処かに行っちまった、っていうから、騒がしいのにびっくりして逃げ出して、狭いところに潜り込んでいるんじゃないか? っておれは思うんだ。だから、家よりは物置から探した方が早く見つかると思うぜ」

悪友の言葉を聞いたジャロは「おお」と目を輝かせて、

「それは思いも寄らなかった。なるほど、マルコは賢いな」

持つべきものは友達だ、と大袈裟に頷く「よそもの」の少年に、

「わかったんなら早いとこ行くぞ」

とマルコはさっさと家の裏に回りこもうとする。ひねくれ者の悪ガキは自分とは正反対に何事においても素直なジャロのことがまぶしく見え、このときも称賛を受けて照れくささで胸がいっぱいになっていたが、彼にとって幸いなことにあたりが暗いおかげで赤面しているのが友人に発覚することはなかった。

物置のドアは立て付けが悪く、非力な少年たちが2人がかりでしばらく揺さぶらないと開かなかった。ぎい、と耳障りな音を立てて開いた扉の中に飛び込んだジャロとマルコは、

「うわあ」

「くせえ」

埃っぽさに思わず呻いた。小屋の中はしばらく人が立ち入った様子もなく、ろくに手入れもされていないおかげで乱雑にものが押し込まれている。これじゃあ探すのに苦労しそうだ、とリュウケイビッチ家の跡取り息子が途方に暮れかけていると、マルコがしゃがみこんで、ごそごそ音を立てて床の上に直に置かれた荷物を動かしているのに気づく。何をしているのか、と訊いてみると、返事の代わりにガキ大将が払いのけた蜘蛛の巣が顔に飛んできて「ぎゃあっ」と叫びそうになる。

「おい、汚いじゃないか」

「うるせえなあ。いいからおまえも手伝えよ」

非礼を詫びられるどころか逆に怒られたが、いつもは泣き虫の少年も今が非常時だというのは承知していたので、おとなしくマルコを助けることにする。早く猫を見つけてみんなのところに帰らないといけない、と思っていた。

(パドルには大目玉を食らうだろうし、姉上にもきっと叱られる)

そういえば姉上はどうされているのだろう、と荷物を移動させながらジャロは考える。村まで来る途中にも村に来てからもナーガ・リュウケイビッチの姿を見つけることはできなかった。無事でいてくれれば何よりだが、もし万が一のことがあったりしたら、と考えて涙がにじみだしているのに気づき、慌ててシャツの袖で目元を拭う。

(しっかりしろ。ぼくはもう子供じゃないんだ)

今までは姉上に守られてばかりだったが、これからはぼくが姉上を守るんだ。その手始めとしてはあまりにささやかではあったが、猫を救い出すことで自分一人でも何かができる、という証を立てたい思いが11歳の少年の中にはあったのかもしれない。

「おい、やめろ」

マルコにいきなり声をかけられて(こいつのやることはいつも「いきなり」で前準備も何もあったものではない、とジャロは可笑しく思っていた)、結構な重さの箱を持ち上げかけていた異国から来た少年が「どうしたんだ?」と友人の方を見ると、悪童は黙って物置の隅の方を指さしているではないか。闇がさらに濃くなっている行き止まりをじっと見つめて、

「あっ」

と声を出しそうになったのをジャロはどうにかこらえる。暗がりに緑にきらめく二つの点を見つけたのだ。明らかに人工物ではなく生物だ。マルコの見立て通りマオの飼い猫ミケは物置に逃げ込んでいたのである。「やったな!」と友人の手柄を褒め称えたかったが、せっかく見つけたペットを興奮させたくなかったので、ぽんぽん、と肩を軽く叩くだけにとどめておく。発見した喜びが落ち着いたところで、

(しかし、これからどうすればいいんだ?)

と聡明な貴族の少年は考え込んでしまう。居場所がわかったのはいいが、ミケが潜んでいる一隅はがらくたがひしめきあい、引っ張り出すのはむつかしいように思われた。汚い床を這いずって手を伸ばすのもぞっとしない、とジャロが躊躇しているのをよそに、

「いくぞ」

諸侯国連邦から来た貴公子とは対照的に、物を深く考えずに行動するのが持ち味のマルコは救出作業を開始すべく、早くも頭と右腕を狭い空間へと押し込もうとしていた。

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