第166話 「影」vs「魔術師」(前編)

教会の倒壊によって濛々と立ちこめる土煙の中で疾風のごときスピードで移動しながら、

(これでやっと半分か)

と「影」は考える。ジンバ村にやってきた50人の兵隊を20人余りにまで減らしていた。孤独な戦いを強いられた身としては大戦果として誇ってもいいところではあるが、小さな集落を攻め落とすには十分すぎる人数がまだ残っているうえに、それを率いているのが「双剣の魔術師」と来ていた。油断したくてもできはしない状況だ。

(やはり「あれ」を使うしかないようだ)

黒ずくめの男は村の中にひとつの大仕掛けを用意していた。それを使えば敵を一網打尽にすることも可能だと考えていたが、少しでもタイミングを間違えば災いを招きかねない高いリスクを有した罠だけあって、軽々しく使うわけにはいかなかった。だからといって、あまり勿体ぶっているとこちらが危うくなるので、使いどころを見極める必要がある、と思案しながら駆けていると、

「む!」

「影」の頭部めがけて銀の閃光が横薙ぎに襲いかかってきた。疾走していた両足に急ブレーキを掛けつつ、背中を海老反りにしてどうにか避けた暗殺者だったが、剣風はそれでは止まらず、二撃三撃、と標的が次に動くであろう地点へとさらに刃を繰り出す。並の戦士ならそこで斬られていたはずだが、もとより常人ではない「影」は襲撃者の予測を超えたスピードと身のこなしでもって、コンビネーションを全てかわしきる。

「ははは。なかなかやるもんだ」

ようやく薄らぎつつある煙の中を静かに歩いてきたのはヴァル・オートモだ。その両手には彼の代名詞とされる二つの剣が握られていて、先程の斬撃を放ったの自分である、と高らかに名乗っているようにも見えた。

「そっちの不意うちも悪くなかったぞ」

「影」の口ぶりに「騎士ともあろう者が」と皮肉る調子を感じたのか、

「まさか卑怯だとは言わないよね? そっちだって今までさんざん好き放題やってきたんだから」

警備隊長は軽口を飛ばす。騎士にふさわしい高潔な精神性を持ち合わせていないのがありありと感じられて、

(奴はどうやら「こちら側」の人間らしい)

目的のためなら汚い手段も辞さない連中。つまり、自分と同類なのだ、と裏社会の仕事人は認識する。似たもの同士であることが、有利と不利いずれに転ぶかはわからないが、こちらから積極的にやりたい相手ではないことに疑いの余地はなかった。とはいうものの、

(囲まれている)

気がつけば、前方はオートモに、それ以外の3方向は10人近い警備隊員たちに抑えられていた。凄腕の殺し屋といえど、まさか空を飛ぶわけにも行かず、袋の鼠と化した「影」に、

「ここはひとつ、男らしく1対1で決着を付けようじゃないか」

いざ尋常に勝負だ、と朗らかに呼び掛けてきた青みがかった髪の色男に、「なに言ってやがる」と暗黒街の仕事師は渋い顔をする。この男との戦いは非常で異常なものになるに決まっていた。しかし、今更逃げることは不可能なうえに、

(一気にケリをつけてしまうのも悪くはない)

決して勝てない相手ではない、とオートモの力量を見極めた上での判断だった。それに、どんな難敵でもあのセイジア・タリウスと比べれば恐ろしくはないのだ。やってやろうじゃないか、と黒い凶人の体内で黒い闘志が凝結し始めたその瞬間、

「そーれっ!」

ヴァル・オートモが最初の一撃を放っていた。対決につきものの始まりの合図もなかったが、「影」はそれを不満に思うどころか当然のこととして受け止めるとともに、騎士の剣を避けつつ反撃を開始する。

剣と拳の交錯が数十合に及んでもなお互いの身体に傷一つつくことなく、それぞれの動きに疲れは見えなかった。むしろ見守っている隊員たちの方が緊張感から体力を削られるのを感じ、動いてもいないのに肩で息をしていた。

(厄介きわまりない)

「双剣の魔術師」が容易ならざる敵であることをひしひしと感じた「影」は舌打ちしたくなったが、そうすれば余計な隙が生じかねないのでぐっとこらえるしかなかった。黒い暗殺者を手こずらせていたのは、敵の異名である「双剣」、すなわち2つの剣だった。ひとつとして素直な剣筋はなく、全ての攻撃に嘘と偽りが含まれていて、まともに応じようとすればたちまち裏を取られる、そんな狡猾きわまりない攻めを前にして一秒たりとも気を抜けはしなかった。全力で集中し続ける神経が刻一刻と疲弊していくのを感じて、

(魔術というよりは詐術と呼ぶべきだ)

と心の中でぼやいてしまう。上下左右から襲い来るトリッキーな斬撃を「影」がただこらえていたわけではない。世界の暗がりで生きてきた男は暴力のみならず欺瞞をも知り抜いていた。たっぷりフェイントをかましてから拳と蹴りを見舞い、正面から背後に回って急所を狙う。知りうる限りの手練手管を駆使して騎士の命を奪おうとする。

「おっ! おっ! やるねえ」

数々の策略にオートモは少なからず翻弄されているように見えたが、あるいはそれは擬態なのかも知れない。本当は平気なのに、翻弄されたふりをして「影」の油断を誘う手口なのかも知れない。もしくは、翻弄されていないようで実は本当に翻弄されている、二重三重の隠蔽がなされているのかも知れないが、それらは全て迷宮へと足を踏み入らせるための陰謀、という可能性もあり、さらには今まで考えた事柄が皆「影」の妄想、独り相撲に過ぎないもかも知れなかった。

「あはは! 楽しくなってきたねえ」

「おれは全然楽しくない」

そんな言葉のやりとりもまた致命的な失点を引き出そうとする落とし穴であり、ふたりの戦士の激突は、実力だけでなく頭脳と精神までも行使する全面戦争へと発展しつつあった。

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