第165話 死の罠(その6)

「影」によって全域が罠へと作り替えられたジンバ村にはありとあらゆる死が溢れていた。既に登場した落とし穴やボウガンのみならず、実に多彩な手段でもって国境警備隊員たちを歓迎した後で、彼らを死の国へと次々と送り届けてゆく。

「ぐわあああああああ!」

煮えたぎった熱湯を頭からかぶった騎士がたまらず絶叫する。全身を守るはずの鎧も液体の侵入を食い止めることは出来ず、肌が剥がれ落ち肉が沸騰するのを感じながら地面に倒れ込む。

「ごほごほ! ごほごほごほ!」

別の一人が、敵の姿を探し求めて民家の裏に回ろうとした瞬間に、ぶしゅうううっ! と噴きだした煙が顔に掛かり、視界を奪われ呼吸も出来なくなる。ただの煙とは違う強い刺激臭が彼の内臓を冒していく。大陸の何処かでひそかに開発されているとの噂もある「毒ガス」という化学兵器だろうか、と平常時ならば考えられたかもしれないが、涙も咳も止められない今の男に許されたのは、苦痛にのたうち回ること、ただそれのみだけであった。

(やれやれ。随分念入りなことだ)

ヴァル・オートモは思わず苦笑する。足元には横から飛来した砲丸によって兜ごと頭蓋が陥没したひとつの死体が転がり、すぐ目の前を全身火だるまになった部下(だと思うが正確な身元は隊長の彼でも判別できない)が悲鳴を上げながら横切っていき、少し視線を上げれば縄に足を取られた2人の騎士が逆さ吊りになっているのが見えるはずだった。刺殺。撲殺。毒殺。絞殺。射殺。考え得る限りの手法で殺人がなされていくその様はもはや芸術の域にまで達し、真夜中の村はさながら死のテーマパークと化していた。お代は見てのお帰り、などという生やさしい物ではなく、一度入ったら二度と出てこられない地獄の化け物小屋ファンハウスと呼んだ方がしっくりくるだろうか、と思う警備隊長は、背後から迫り来るいくつもの鉄の鉤を辛うじてかわす。「双剣の魔術師」でも必死にならなければ生き残れない状況にあって、

「隊長! かなりやられました」

前の方から駆けてきたのは隊の中では比較的若い騎士だ。いささか融通の利かない性格ですれっからしの揃った警備隊ではいじられキャラだった。いや、やられてる、というか好き放題にやられまくってるのはわかりきってるから、もっと詳しい情報を聞かせてよ、と文句を言おうとして、

「ん? どうかした?」

目の前の部下が急に黙ってしまったので戸惑う。すると、若い隊員は返事をする代わりに、ごきりごきり、と耳障りな音を鳴らした。彼の口から出ているのではなく、首の骨が折れていく音だ。やがて、騎士の頭部は頸椎を軸として半回転し、オートモと彼に従っている隊員には同じ釜の飯を食った同志の後頭部が否が応でも目に入ってしまう。渦を巻いたつむじもねじれた首筋もよく見えた。そして、

「ざまあないな」

騎士をひねり殺した「影」の姿も見えた。

「国境警備隊というのは、騎士団に入れなかった出来損ないが集まった掃き溜めだと聞いていたが、なるほどその噂は正しかったらしい」

他愛の無いことよ、と黒く長い舌を出してちろちろと揺らす。あまりにも見え見えの挑発だとわかっていても一瞬で頭に血が上り、剣でもって怪人を切り裂こうとするが、「影」は素早く若い騎士の死体から離れて、オートモの手の届かない場所へと逃げていく。

「貴様!」

「よくも!」

隊長ほどの忍耐強さのない隊員たちは激怒して、遁走する黒い男の背中を追いかけていき、

「おい、ちょっと待て」

ヴァル・オートモの制止の声も彼らを止めることは出来なかった。

「逃がすか!」

騎士たちの怒りはすさまじく、追撃の手は徐々に「影」へと近づきつつあった。自分たちを悪魔の沼へと引きずり込んだ張本人に目に物を見せてやる、と手にした剣と槍を男の背中へと振るおうとする。当たりこそしなかったが、勢いに恐れをなしたのか、裏社会の仕事人は急に方向を変えると一軒の石造りの建物の中へと入ろうとする。この村の民家よりも規模は大きかったが、何のための構造物なのかわからないまま隊員たちは閉じかけた扉をこじ開けて突入する。内部には小さな蝋燭が1本だけともされ、室内の様子がどうにか判別できた。奥の方が一段高くなっていて、その中央には白い円錐が鎮座していた。この物語の世界において、神の象徴とされている物体である。

「教会、なのか?」

中に押し入ったうちのひとりがつぶやく。埃臭さが鼻をつき、長い間礼拝が行われていないものと想像できたが、彼らが探し求めている敵の姿を見つけ出そうと、広い室内へと足を踏み出したそのとき、さっき入ってきたばかりの扉が大きな音を立てて閉ざされた。

「なんだと?」

慌てて戻ってドアを開けようとするが、鍵が掛かっているのかまるで開く様子がなく、ならば、と肩から体当たりを食らわせた騎士の身体はあっさりはねかえされ、一同は驚愕する。一見さほど厚くない木製のドアだが、中には鉄板が入っているらしい。武器を用いても破るのは骨が折れそうだ。

(まずい)

男たちは自分たちが窮地に陥ったことを理解する。あの気味の悪い男にまんまと誘われて、この教会に閉じ込められたのだ。急いで広間中を確かめるが、窓も裏口もなく他に出入りできそうな箇所も見当たらなかった。こんなことをしている場合ではないのに、と焦燥感にとらわれた騎士たちの耳に、ずずずずず、と地底から響く重低音が聞こえ、少し遅れて建物全体が鳴動しはじめ、屋根からぱらぱらと塵が舞い、やがて欠片までも落下しだした。

「おいおい、まさかこれは」

「影」と隊員たちの後を追って、閉鎖されたドアを外側から開けようとしていたヴァル・オートモは、教会そのものが大きく揺れているのに気づくと、ぐっと唇を噛みしめてから、扉を叩くのをやめて敷地の外へと退去する。十人近くの隊員が中にいるはずだが、彼らはもう助からない、と苦渋の決断を下したのだ。隊長に見捨てられたと知らない部下たちは、天井に入ったひびがますます大きくなっていくのを見つめながら絶望の叫びを上げる。しかし、その声は建物が崩落する轟音にかき消されて誰の耳にも届くことはなかった。騎士たちが入り込んでから教会が全壊し、その下敷きとなるまで3分もかからない、瞬く間の惨劇に言葉を失う「双剣の魔術師」の目には崩壊によって生じた土煙だけが映っていた。

「貴様らのような外道が神の家で死ねたのだ。身に余る光栄なのかも知れんな」

いち早く安全圏に逃れていた「影」の顔と身体にも大量の土と砂が降り注ぐ。かつて、セイジア・タリウスと相打ちを狙った必殺の罠を再現したものだが、一度に多くの敵を消した喜びは全くなく、さらなる死闘がこの先に待ち受けている予感だけが彼の黒い胸中を占めていた。

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