第111話 魔術師、村を訪れる(前編)

その男は端正な顔立ちをしながらも、独特の甘ったるい雰囲気を漂わせていた。青みがかった黒髪を後ろに流し、薄い唇には自然と笑みが浮かんでいる。やや垂れた目に見つめられれば、異性は胸を焦がさずにはおれない、と思わせるほどの魅力の持ち主でもあった。しかし、ただのプレイボーイではない、というのは、その身にまとった鈍く光る鎧を見ても明らかだった。彼は騎士であり、重い装甲に身を包みながらも軽やかに歩いているところを見ても、それなりの強さを誇っていることは素人でもわかったはずだが、

(容易ならざる相手だ)

一流の仕事人である「影」はジンバ村へとやってきた騎士を見るなり、彼もまた一流であることを即座に見抜き、体中から冷たい汗が噴き出るのを感じていた。何より気になるのは武器だ。通常、左の腰に帯びている剣(左利きなら右になる)を、この男は腰の両側に佩いていた。それを決して伊達でやっているのではなく、戦いの道具として使いこなしていることも黒い刺客は当然理解していた。

(まさか)

卓越した腕前を持つ二刀流の戦士、といえば思い浮かぶ名前があったが、よもやこののどかな小村にその男が訪れるとは思いも寄らず、「影」は騎士が近づいてくるのを呆然と眺めることしかできずにいた。

「おや?」

やや遅れて、騎士の方も「影」に気が付いていた。村人から話を聞くつもりだったのでちょうどいい、と思い、話しかけようとして少し考える。男の気配がどうにも気に入らなかった。顔色が悪いうえに昼間だというのにそいつの周りだけ暗く見えていた。それに加えて、背中には赤ん坊をおぶっている。いい年齢としをして子守りをしているなど、村の中でも軽く見られているに違いない、と「イクメン」という概念のない世界に生きる騎士は判断して、「他の者から話を聞こう」と頭巾とエプロン以外は黒ずくめの怪しげな男をやりすごすことにして、村の中へと足を進めていく。このとき、騎士が「影」に話しかけていれば、その後の事態の成り行きにも多少影響したかもしれないが、それが彼にとっていい方に出たのか悪い方に出たのかはわからない。

(話に聞いていたよりもさびれているようだ)

過疎の進んだ小さな集落だとしても、あまりに活気がないように騎士には感じられた。表に人の姿はなく、右手に見える教会らしき建物の外壁にはひびが縦横に走り、何年も礼拝が行われていないものと推測がつく。狭い村だけあってすぐに端までたどり着いてしまったが、それでも誰とも出会うことがなく、「さて、どうしたものか」と男は立ち止まって考える。さすがに家の中に誰もいない、ということはありはしないだろうが、ひとつひとつ訪ねるというのは手間がかかりすぎる。ここは引き返して、あの薄気味悪い男と話すしかないのか、と思いかけたそのとき、この村にしては比較的大きな小屋から誰かが出てきた。まだ若いがいかにもまじめそうな男だ。ちょうどいいところへちょうどいい人間が出てきてくれた、と思い、

「やあ」

と喜びがそのまま表れた声をかける。いきなり呼びかけられた青年が驚いて表情を強張らせたのを非礼だとは騎士は思わなかった。一般の人間は騎士を見れば腰が引けた態度になるのが当たり前なのだ。

「いきなりで申し訳ないが、少しばかり話を聞かせてもらいたい」

「はあ」

事情がつかめない若者は要領を得ない返事をしてしまうが、騎士はそれは気にせずに、

「ここはジンバ村で間違いないかい?」

自分の訊きたいことを訊いていた。

「はい、その通りですが」

ふむ、とガントレットをしたままの右手で顎を触ってから、

「ここはきみの家なのかい?」

今しがた青年が出て来たばかりの小屋を指差す。

「ああ、いえ。ここは集会場です。村の問題を話し合う場所なんですが、忘れ物をしたのを思い出したので」

「ほう。集会場ねえ」

確かに住居に適した建物には見えない、と思っていると、若者に頭から足までじろじろ見られているのに気づいて、

「わたしがそんなに珍しいのかい?」

にやにやしながら訊ねていた。ああ、いえいえ、と田舎で生まれ育った青年は慌てふためいて、

「こちらまでどうやってお越しになられたのか気になったものですから」

しどろもどろになりながらどうにか弁解していた。

「どうしてまたそんなことを気にするんだい?」

「この村の周りは山しかありませんから、歩いて来られたとしたら大変だったのではないか、と思うんです」

それに、と言葉を切ってから、

「騎士の方はいつも馬に乗られている、というのがわたしのイメージだったので」

なるほど、と騎士は声を上げて笑った。

「もしかして、失礼なことを言ってしまったでしょうか?」

「いやいや、とんでもない。なかなか面白いところに気が付く、と感心しているんだ」

気を悪くする様子もなく黒髪の戦士は笑顔のままで、

「この近くまで馬で来て、そこからは歩きで来たんだ」

はあ、と青年は頷いたものの、「どうしてそんなことを?」とその表情は物語っていた。

「初めての土地に行くときはなるべく歩くことにしているのさ。馬に乗っていると、どうしても目線が高くなってしまって、そこで暮らす人と同じように周りを見ることができないからね。まあ、深い考えがあってのことではなくて、癖みたいなものなのだが」

理由を説明してみせても、向かい合った若者がなおも理解しかねているのが感じられたが、そもそも自分自身がわざわざ歩いてきた意味を十分わかっていないので、他人がわからなくても仕方がない、と思うしかなさそうだった。そこまで考えたところで、騎士は姿勢を正すと、

「申し遅れた。わたしはアステラ王国国境警備隊隊長ヴァル・オートモという者だ」

舞台俳優のような朗々とした名乗りに青年は目を白黒させて、

「国境警備隊の隊長さん、ですか?」

波打った声で訊き返していた。その役職が意味するところを正確に理解したわけではないが、「とにかく偉い人が来た」ということは確実にわかった、というのを見るからに実直な若者の動揺ぶりから察したオートモはにんまりと笑い、

「そうかしこまらなくてもいい。いくつか質問に答えてくれればいいのだから」

諭すように優しく声をかけた。それでいくらか平静を取り戻したのか、青年もまた、

「わたしはハニガンといいます。この村の村長をしています」

と自己紹介していた。

「ほう。きみが村長なのか」

まだ若いのに、という言葉を飲み込んだが、その考えは空気を通じてハニガンに伝わったようで、

「先代の村長をしていた父が昨年他界いたしまして、それをわたしが引き継ぎました」

自ら補足していた。

「それはご苦労なことだね」

形ばかりの言葉を返しながらオートモは考える。村長に伝えなければならないことがあったのでいずれ会う必要があったのだが、いきなり最初から出くわすとは思っていなかったので、頭の中にあった段取りを多少修正しなければならない、と感じていた。

(まあ、いいか。まわりくどいやり方は苦手だ。こうなってかえってよかったのかもしれない)

物事をあまり深く考えない、という性格上の特徴をこの場面でも発揮することにした「双剣の魔術師」と他国から恐れられる甘いマスクの騎士はハニガンに向かって話しかけていた。

「単刀直入に訊くが、この村にモクジュ諸侯国連邦の人間が入り込んでいるとの噂だが、それは確かかね?」

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