第108話 ペンと紙の戦争準備(その5)
「本当にいいんですか、リブさん?」
ユリに気遣われて、
「ええ、大丈夫。わたしの過去を話して協力が得られるなら安いものよ」
美女の返事に、「はあ、そうですか」と眼鏡の少女はなおも納得しかねる様子だったが、
「でも、そっちの方がまだマシだったのかな」
とつぶやいた。
「一体何がマシなんだよ?」
後輩記者の言葉を聞き咎めたワードに、
「いえ、部長が『金なんか要らない』って言ったときに、絶対リブさんにいやらしいことをさせるつもりなんだ、と思ったものですから」
馬鹿野郎てめえ何言ってやがる、とおしゃれなカフェの雰囲気をぶち壊しにする怒鳴り声を「デイリーアステラ」社会部部長は上げてしまうが、それは娘の話がある程度真実を衝いていたからでもあった。リブが今着ている白のカットソーは襟元が広く開いていて、隣に座った彼からは「煌炎の真紅石」が挟まった胸の谷間がよく見えてしまっていたのだ。ガン見しないように気を付けながらも、それでもチラチラ覗いてしまっていたので、他人から見れば一番変質者っぽく思われた振舞いになっていたかもしれない。覗かれた方の肉感的な女性はそれを気にすることもなく(男の視線には気付いていたが劣情をこめて見られるのに慣れっこになってしまっていた)、
「それは誤解よ、ユリさん。ワードさんはそんな人じゃないわ」
あはは、と笑ってみせた。
「そうですか?」
他人が信じているのに元部下が疑うなよ、とワードは不貞腐れるが、
「わたしなんかより、ユリさんがひらひらしたミニスカートを履いてお酌でもしてあげた方が、ワードさんはずっと喜ぶわ」
リブの何気ない一言に2人の記者は揃ってパニックに陥り、顔を真っ赤にしてわめきだし、客も少なくなった夜更けのカフェはにわかに騒がしくなる。
「何言ってるんですかリブさん!そんなことあるわけないじゃないですか!」
「おれがなんだってこんな小娘を相手にしなきゃいけないんだ!」
騒ぎの原因を作った張本人は、左右から飛んでくる大声にもまるで動じずにケーキをぱくつきながら、
(あー、やっぱりそういうことだったのかー)
小鳥を丸呑みにした猫のように満足げに微笑んでいた。ワードがユリを憎からず思っていて、少女の方も満更でもない、というのをなんとなく感じていたのだ。とはいえ、年齢は離れていても、恋愛偏差値の低い仕事人間という点で2人は同類だった。わたしが背中を押してあげないとね、とこれまで何十何百ものカップルを成立させてきた占い師は、同席した男女の仲を取り持つことを勝手に決めてしまうが、それは「戦争」が終わってからでないと進められない話だというのもわかっていた。他人様のラブロマンスを心置きなく楽しむためにも難題に立ち向かう決意をしてから、
「もう落ち着いた?」
顔を赤くしてはあはあと荒い息をしている記者たちにしれっとした顔で訊ねた。その美貌に自分が彼と彼女を動揺させたのだという罪悪感はかけらも見られない。
「おい、もんきち」
ワードは煙草に火をつけようとして危うく思いとどまってから少女記者に呼びかける。頭に上った血が引き切らないままユリが元上司の方を見ると、
「おまえ、しばらくおれと一緒にいろ」
と言ったので、
「え? は? や?」
たちまち挙動不審になる娘。話の流れを考えたら、中年男が自分と親密になろうとしているのではないか、と思ってしまったのだが、
「馬鹿。勘違いするんじゃねえよ。そういう意味じゃねえ」
ベテラン記者は慌てて言い訳するが、自分の話し方が誤解を招くものだったのは認めざるを得なかったので、
「おれのアシスタントとして調査を手伝え、っていう意味だ。テンヴィーさんの頼み事はおれ一人の手に余るし、だからといって他の部下に手伝わせるわけには行かないだろう」
詳しく説明をされて、「ああ、そういうことですか」とユリ・エドガーも納得する。確かにワードの言う通りだ、と思いながらも、
「でも、わたしは今、文化芸能部の人間ですけど」
言わずもがなの事ではあったが一応言ってみたのは、対面にいる「デイリーアステラ」社会部部長に独断で突然人事異動を行われたのを根に持っていたからかもしれなかった。
「チェには『ほんの少しだけ借りる』とでも言っておくさ。やつも断りはしないだろう」
ウッディ・ワードとチェ・リベラが親友同士であるのは眼鏡の少女も当然知っていた。無骨な社会部部長とフェミニンな文化芸能部部長、まるでタイプの違う2人の間に友情が成立しているのはどうにも理解しがたい話だったが、別に悪いことでもないのでユリとしても特に異議を差し挟むつもりはなかった。
「なら、いいんですけど」
わたしも手伝わせてもらいます、と言いながら、グラスに残ったカフェオレを飲み干す。変に意識をしたままではワードと一緒に仕事はできないと思って、「さっきのはリブさんの勘違いに決まっている」とどうにか思い込もうとする。凄腕の占い師がそんなケアレスミスをするだろうか、という当然の疑問は見て見ぬふりをしていた。
「じゃあ、手伝ってもらえるのね?」
ぱあーっ、と頭上のランプよりも明るい顔になったリブ・テンヴィーに、
「まあ、乗り掛かった船だからな」
強引に乗り込まされた気もするが、と思いながらもワードは承諾する。何処かの港に無事たどり着くのか、座礁して難破してしまうのかはわからないが、事の顛末を見届けたい、という記者としての本能が下船する選択肢を消し去っていた。「よろしくお願いするわね」とリブは両隣りの記者に頭を下げてから、
「じゃあ、折角だから、前金をもう少し弾んでおこうかしら」
と言い出した。
「前金だと?」
「そうよ、ワードさん。あなた、わたしのことを知りたいんでしょ? だから、今のうちに昔話をしておくことにするわ。今ちょうど話したい気分になっていることだしね」
と話しているうちに、ワードとユリが揃ってペンとメモ用紙を手にしているのを見て噴き出しそうになる。「これは頼りになるわね」と仕事熱心な2人の記者に感心しながら、妖艶な女占い師は夜更けのカフェで昔語りを始める。そして、30分後。
「ちょっと待ってくれ」
なめらかな口調で話し続けていたリブをワードが制止する。話を聞いていただけなのに、男の呼吸はひどく激しくなっていた。
「あら、どうして? 今から東の海での宝探しについて話そうと思っていたんだけど」
不服そうに眉をひそめた美女に、
「いや、もう結構だ。あんたの人生は面白すぎる。あんまり面白いから、うちの新聞で全部紹介したいが、そうしたら何日かかるかわからないし、波乱万丈すぎて読者も本当のことだと思ってくれないだろう」
だから、うちでは使えない、と中年男は苦笑いし、
「今までのお話だけでも何冊か本が書けますよ」
ユリも肩で息をしながら笑いかける。叔父に命を狙われた貴族の令嬢が、不思議な力を持つ老婆に拾われ修業を積み、一流の占い師となった実話を出版すればベストセラーかつロングセラーは間違いないものと思われた。
「リブさんの人生は濃厚すぎて、普通の人間のキャパシティを越えちゃうんですよ」
「失礼しちゃうわね。わたしが好きでこういう生き方をしてきたと思ってるの?」
少女記者の言葉にぷりぷり怒っていつもよりチャーミングさを増したリブは、
「それに、ヴィキン女王国の後継者争いに巻き込まれたのや宝探しなんてまだ序の口よ? この後、密室殺人を解決したりサタド城国で誘拐されたり王子様にプロポーズされたり、アステラに帰ってからもシリアルキラーに狙われたり禁断の古文書を読んだおかげで謎の空間に迷い込んだりしたんだけど、そういう話もしなくてもいいの?」
「もういい。もういいからやめてくれ」
「リブさん。それで十分ですから」
左右から記者に制止されて「じゃあやめておくわ」と不承不承口を閉じたグラマラスな女性は、
「え?」
いきなり左手を握られて驚く。左隣に座ったユリ・エドガーが両手でリブの手を取っていた。そして、
「大変な思いをされたんですね」
涙を浮かべてつぶやいた。他人が聞けば面白い物語でも本人にとっては苛酷すぎる経験だった、というのが心優しい娘にはよくわかったのだ。
「ありがとう、ユリさん」
空いた右手で少女記者の頭を撫でながら、
「確かにいろいろときつかったけど、でも、その分、これからは楽しもうと思っているわ。そのためにも、今度の戦いをどうにか勝ち抜きたいの」
手伝ってくれる? と憧れの美女に訊かれて、
「もちろんです!」
ユリは力強く応じた。少女の目に涙が残っていないのを確認した先輩記者は、
「テンヴィーさん、いずれ落ち着いたら、ユリに話をしてやってくれ。そいつなら、あんたの人生を上手くまとめてくれるだろう」
ウッディ・ワードの提案は思いつきに過ぎないものだったが、ユリ・エドガーはその後リブ・テンヴィーから証言を得た上で伝記を実際に書き上げ、同じく彼女が手掛けたセイジア・タリウスの伝記とともに、個人の歴史にとどまらない一時代を記録した書物として後世に伝わる貴重な史料となるのだが、記者としてまだ駆け出しの少女は自分が後々大仕事を成し遂げるとは夢にも思ってもいなかった。
「それで教えてください、リブさん。一体何を調べればいいんですか?」
眼鏡の娘に訊かれたリブは「戦争」の敵が何者であるか告げる。その名を聞いたワードとユリは自分たちもまた強大な相手に挑もうとしていることを実感せざるを得なかったのだが、ここでひとまずリブ・テンヴィーの「戦争」からは離れて、もうひとつの「戦争」へと話を移すことにする。本編の
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