第107話 ペンと紙の戦争準備(その4)
「それにね、はっきり言っちゃうけど、わたしはもう調査に手を付けていて、リソースが結構ギリギリのところまで来ているのよ。だから、誰かに手伝ってもらわないといけない、ということもあってね」
リブ・テンヴィーほどの人間がそこまで全力になるとは、今回の一件はそれほどの大きなヤマなのか、とユリとワードが息を飲んでいると、女占い師は白い花のような手を音もなく打ち合わせて、
「『ソレイユ』といえばやっぱりこのチーズケーキよね。しかも、レアじゃなくてベイクドの方」
と言いながらフォークでケーキの一片を刺すと、
「あなたたちも頼んだら?」
記者たちに向かって微笑んだ。
「いえ、わたしは」
遠慮しておきます、と緊張で空腹を感じるどころではない少女記者は首を横に振り、
「おれは根っからの左党だ」
菓子類が苦手な中年男もぼそっと断る。
「あら、わたしはどちらもいける口なんだけどね。お酒も甘いものも好きなおかげで、人生が楽しくて仕方がないわ」
そう言いながら、眼鏡の奥の瞳をほのかに光らせると、
「これから戦争をしようと思っているのよ」
この上なく物騒な発言に似つかわしくない穏やかな口調に2人の記者は唖然となるが、美女はまるで気にする様子もなく、あむ、とケーキを口に含んだ。
「戦争とは、いったいどういうことだ?」
ウッディ・ワードが問いかけても、甘味を堪能しているリブは答えずにいたが、しばらく経ってから、
「やろうとしていることはただの喧嘩なんだけど、その相手はかなり力を持っているから、戦争を仕掛けるくらいの気合で行かないとやられちゃう、と思っているの。それに」
口ぶりからいきなり温度が消え失せて、
「なあなあで終わらせるつもりもない、というあたりも戦争なのかしらね。やるからには相手を必ず破滅させるつもりよ。もちろん、わたしの方が滅ぶかもしれないけど、他人を滅ぼそうとしているのに自分は無事のままでいたい、というのも身勝手な話だから、まあ、仕方がないわね」
運命がかかっているにしてはあまりに軽い言い方だったのが、これから彼女のやろうとしていることの重大性をユリたちに感じさせたが、
「セイジアさんはこのことをご存じなんですか?」
少女記者は思わず訊ねていた。「戦争」という単語が女騎士の存在を思い出させたのかもしれない。長らく会っていない友人の名前を聞いたリブの表情に寂しさが混じって、
「近くにいれば真っ先に話していたんだけど、今はそういうわけにもいかないから。ただ、セイにも大いに関わりのある話だし、いずれあの子の方からこちらに合流してくるような気がしてる」
王国随一の占い師がそのように予感しているのであれば、それは的中するのだろう、とユリは考える。リブの能力のすさまじさはこれまで何度も間近で見てきたのだ。
(セイジア・タリウスも関わっている、だと?)
「金色の戦乙女」の名が出てきて、ワードの困惑は一層深まる。謎の美女の依頼には裏がある、というのは通俗探偵小説のお約束だが、まさか自分の身に降りかかってくるとは思ってもみないことだった。しかも、これはかなりの大事件だ、というベテラン記者の嗅覚は感じ取っていた。リブが「戦争」と評したのも決して誇張ではないのだろう。
「それで、どうかしら、ワードさん」
リブ・テンヴィーの笑顔が夜のカフェで燦然と輝く。
「わたしを手伝ってくださらないかしら?」
身も心もとろかさずはおかない甘いささやきに抵抗するかのように、みぞおちの上で腕を組み合わせてから、
「手伝うかどうかはわからんが」
ニコチン臭い息を吐き、
「とりあえずもっと詳しく話を聞かせてくれ。今のままだとどうにも判断しかねる」
いかにも気乗りがしない風を男は装おうとしたが、完全に乗り気になっているのは占い師はもちろん元部下の娘にも丸わかりだった。
「それから、引き受けた場合の報酬のことも今決めておきたい。成功したときはもちろん、上手く行かなかったとしても必ずもらう。それでいいな?」
「ええ、もちろん。それなりの金額を用意するつもりよ」
ブルネットの美女の言葉に、
「いやいや、金なんか要らない。おれが欲しいのはもっと他のものだ」
にやり、と敏腕記者は露骨に皮肉な表情を浮かべる。
「他のもの、って何かしら?」
「テンヴィーさん、おれは記事を書くしか能のない人間でね。つまり、記事にできるいいネタをもらえるのが一番有難い、というわけだ」
右の人差し指と中指を立てて、
「おれが欲しいのは2つだ。ひとつは、あんたの言う『戦争』についてあらいざらい書く権利。そして」
リブの方に顔を近づけて、
「もうひとつは、あんたについて書くことだ。子爵令嬢が街の占い師になるまでのいきさつを全部語ってもらう。そして、うちの新聞で記事にする」
王国でも人気のあるグラマーな女性の秘密が明らかになれば、かなりの評判を呼ぶに違いなかったが、
「部長、それはちょっと」
ユリは口を挟んでいた。誰にだって秘めておきたいプライヴァシーがある、と同じ女性として感じたからで、彼女自身まだその話を聞いてはいなかった。だが、
「余計な口を利くんじゃない。この人はおれを自分の『戦争』に巻き込もうとしてるんだ。過去を暴露するくらいの覚悟があって当然だ」
元上司にどやされても、「でも」と少女は抵抗しようとするが、
「いいのよ、ユリさん」
リブにやんわりと制止される。男の要求は彼女にとっても難しいものであったのか、しばらく考えこんでいたが、
「うん、わかった。あなたの言う通りにするわ。確かにそれくらいの代償はあってしかるべきかもしれないしね」
頷いた美女の表情には恨めしげなところがまるでなく、さばさばと落ち着き払っているのに、
(こいつは女傑だ)
ワードは見直す気持ちになっていた。実は自分の言い分がハードルの高いものであることはわかっていたが、それをあっさりと受け入れるあたり、その美貌の裏側に強靭な精神を隠し持っているものと推測された。手を組むにしても安心できない容易ならざる相手だ、と腕利きの記者はこのときリブの本性を見抜いて注意を払ったつもりでいたが、それでもまだ十分ではなかった、と全てが終わった後で痛感させられることになる。
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