第101話 宝はあるべき所に(その6)

「その『お嬢様』はよしてよ」

わたしもいい歳なんだから、とリブ・テンヴィーは苦笑いをする。しかし、ゲオルグが昔の呼び名で彼女をつい呼んでしまうのは、再会を果たして間もないことばかりではなく、20代を半ばになっても少女らしい茶目っ気が抜けきっていないこともあるのかもしれなかった。

「申し訳ありません」

元執事は頭を下げながら、「まもなく『奥様』と呼ぶようになるのだろう」と期待に胸を膨らませていた。ちなみに、彼の肩書も近いうちに「執事」に戻るはずである。

「これをどうぞ」

忠実な使用人が差し出してきたのは「煌炎の真紅石」だ。表面に塗料と汚れがまだ付着していたので、手先の器用なメイドが丁寧に磨きあげておいたのだ。その甲斐あって、ルビーは昔日の輝きを完全に取り戻し、アマカリー家の秘宝にふさわしい偉容を見せていた。

「あら、ありがとう」

ゲオルグから宝石を受け取ったリブの耳に、じゃらり、と小さな音が聞こえ、家宝から金色の鎖がぶら下がっているのが見えた。

「旦那様はネクタイに着けておられましたが、おじょ、いえ、リボン様にはそちらの方がよろしいかと思いまして」

ネックレスにするわけか、とすぐ隣で見守っていたセドリックは考える。指輪にすることも可能なのだろうが、ルビーが大きすぎて手がすぐにくたびれてしまいそうなので、妥当な選択肢だと思われた。

「じゃあ、そうさせてもらうわ」

音もない優雅な動作でリブは細い首に祖父から託された秘宝をぶらさげる。

「ん」

アマカリー家の新たな女主人はそっと息をついてから、

「なんだかとてもいい感じ」

初めてのアクセサリーなのにとても馴染んでいるような気がするのが不思議だった。彼女の胸元にぴたりと収まった「煌炎の真紅石」の光はさらに深みを増し、本来あるべき所にたどりついた喜びを謳いあげているようにも見えた。ふさわしい人間に用いられることが、財宝の最高の幸福なのかもしれない。その一方で、

(これは)

伯爵と弁護士と使用人は言葉を失っていた。赤い宝石を挟んだ白くまろやかなふたつのふくらみがなんともセクシーに見えて、男としての本能を掻き立てられて頭がおかしくなりそうになっていたのだ。後にタリウス伯爵夫人が初めてパーティーに参加した際に、彼女が胸元の広く開いたドレスに「煌炎の真紅石」のネックレスを付けていき、同じく広く開いたバックから見える白い背中、深いスリットからのぞく脚線美によって、王族や大臣をはじめとした出席者たちが興奮を通り越して狂乱状態に陥って集会が台無しになるという椿事が勃発し、

「古来より諸外国の侵略を跳ね返してきたわがアステラ王国がたったひとりの貴婦人に滅ぼされそうになった」

と「事件」を報じた新聞記事を読んで「そりゃそうなるよ」と、以前リブ・テンヴィーと名乗っていた伯爵夫人の大量破壊兵器に匹敵する性的魅力をワトキンスは思い起こすことになる。

(どうやらわたしの未来は前途多難のようだ)

宝石を身に着けてさらに美しくなった恋人を眺めつつ、セドリック・タリウスは今更ながらに自覚せざるを得ない。これほどまでに魅力的な女性に「悪い虫」が群らがらないはずがなく、夫として気苦労が絶えない毎日を送ることになりそうだ。だが、彼女がそばにいてくれる至福を考えれば、他にどんな苦しみがあろうとも乗り越えていけると信じていた。トラブルは多くても彼と彼女の歩く明日は光に満ちているのだ。

「ねえ、わたし、行きたいところがあるんだけど」

リブが身を翻した拍子に、胸元のルビーが小さく跳ねて、男たちはまたしても視線がいやらしくならないように最大限努力する羽目になる。

「行きたいところというのは?」

伯爵が訊ねると、

「ここからそんなに遠くない場所よ。どうしてもそこまで行かなければならないの」

女主人の言葉に、

「なるほど。そういうことでございますか」

有能な使用人は早くも心得た様子で頭を下げてから「こちらでございます」と歩き出した。

「ほら、あなたたちも来て」

ゲオルグの後に続いたリブに手招きされて、

「どういうことなのでしょう?」

「まあ、ついていかないわけにもいかないのだろう」

弁護士と伯爵はわけのわからないまま2人の後を追う。好むと好まざるとにかかわらず、美しい占い師の行動に振り回されるのに彼らは慣れつつあった。

(あら?)

ふと古い屋敷の方に目をやったリブは何かが見えたのに気づいてから、淋しい微笑みを浮かべた。

(そうなのね。わたしよりも早く帰っていたのね、ジェンナ)

この世ならぬ異界とつながりを持つ彼女にだけ、十数年前に命を失った侍女の姿が見えていた。屋敷の玄関の前でメイド服を着た痩せた中年女性がかつて仕えていた令嬢を優しく見つめているのがわかった。

(ご結婚おめでとうございます、お嬢様。どうか末永くお幸せに)

かなり離れていたにもかかわらず、ジェンナのささやきが耳元で聞こえて、はっ、とした次の瞬間には、その姿はもう何処にもなかった。

「どうかしたのかい?」

呆然として立ち止まった美女に追いついたセドリックが訊ねると、

「ううん。なんでもないわ。とても懐かしい人のことを思い出しただけ」

震える声で呟いてから再び歩き出した。リブがジェンナを見たのはそれが最後だった。しかし、その後もアマカリー家の古い屋敷にはたびたび幽霊が出没するとの噂が絶えず、その「幽霊メイド」が「偉大なるリボンおばあ様」から美貌と霊感を受け継いだ令嬢を助けて、子爵家に迫り来る危機に立ち向かうことになったりもするのだが、それはまた別の物語として語られるべき出来事であった。

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