第97話 宝はあるべき所に(その2)

見渡したところ、書斎の中はリブの少女時代とさほど変わりがないように見えた。

「部屋中を探し回ったって聞いているけど」

傍に控えていたゲオルグに訊ねると、

「探し終えた後に寸分違わず元通りにいたしました」

元執事は抑揚のない口調で答えたが、彼の顔に浮かんだ苦渋の色から察すると、現状を回復するのは並大抵の苦労ではなかっただろう、と女占い師には思われた。聞くところによれば、書架の本を全て引っ張り出して中身を確認させたというし、大きな机の引き出しの中身もあらいざらいぶちまけられ、挙句には壁に穴を開け床板まで剥がしたというのだから、叔父が「煌炎の真紅石」の発見に血眼になっていたのは疑いの余地が無いのだろう。とはいえ、

(おじいさまが大事にされていた部屋を荒らしまわるなんて)

孫娘としては不快の念を禁じ得なかったし、おそらく忠実な使用人も同じ考えのはずだった。

「それはよくやってくれたわね」

彼女がそう言いながらゲオルグの肩にそっと触れたのは、かつての家来をいたわりたかったためばかりではなく、宝石の捜索がやりやすくなったのに感謝したかったからでもあった。祖父が亡くなった当時の状況が再現されているのであればいけそうだ。紫の瞳を輝かせて本格的に家宝を探し出したリブは、励ましを受けた召使の背中がしゃんと伸びたのに気づくことはなかった。この人のために働けた、という久しく感じていなかった喜びが、男に若々しさを取り戻したのだろうか。

「貴様などに見つけられるものか」

書斎を歩き回る美女を憎らしげに睨みながらロベルト・アマカリーが吐き捨てると、「そうよそうよ」と妻も同調する。

(まるで宝石が見つかったら困るみたいだ)

かつて国王から授けられた由緒正しい逸品を見つけてくれるなら、誰であろうと構いはしないだろうに、と依然としてつまらないメンツにこだわってリブを蔑んでいる夫妻にセドリックが呆れていると、

「おや?」

開け放たれた扉の向こう、廊下に人だかりができているのに気づいた。おそらくアマカリー家で働いている使用人たちだろうが、10人は軽く超えているところを見ると、新旧2つの屋敷で働いている人間が集まってきているものと思われた。

「みなさん興味津々のようですな」

ワトキンスが何処か高揚した様子でつぶやく。宝探しというものは子供のみならず大人の心をも沸き立たせる効果を持つイベントなのかもしれない。そうこうしているうちに、リブは壁際に並んだ大きな本棚をチェックし終えて(と言っても書籍には触れることなく背表紙を眺めただけだが)、反対側の白い壁に掲げられた数枚の油絵と水彩画を眺めてから外界の光を取り込んでいる大きな窓へと近づいていく。今のところ何の手がかりも得られていない様子の占い師に、

「ほらみろ。やっぱり無理だったのだ」

そうに決まっている、と子爵が歯茎まで露出させて笑う。探し始めてまだ5分も経っていないのにいくらなんでも気が早すぎる、と伯爵も弁護士も元執事もうんざりしているのをよそに、ブルネットの美女は高級なデスクの前に立っていた。祖父リヒャルトが愛用し、いまわの際まで向かっていた机だ。老眼鏡の入ったケース、鵞ペンの入った筆立て、読み書きのために使用していたランプ、幼い頃の記憶そのままに卓上に残された品々に先代子爵への追憶が甦ってくるのを感じていたリブは、黒光りする天板の隅に置かれた籐細工の籠に気付く。文房具や小物が雑然と収められた小さなバスケットを見つめてから、

「ねえ、ゲオルグ」

視線を外すことなく使用人に問いかける。

「なんでございましょう?」

「この籠も元通りにしたのかしら?」

はっ、と気を付けの姿勢を取った男は、

「左様にございます。中身を確認した後で元に戻しました」

予想通りの返答だったのか、「ふうん」と鼻を可愛らしく鳴らしてから、リブは籠の中から何かを拾い上げた。

(硝子玉か?)

少し離れた場所にいたセドリックの眼にはそう見えていた。鶏の卵ほどの大きさのあるくすんだ青色の球体だ。表面は薄汚れていて、埃や蜘蛛の巣が付着しているようにも思われた。

「これは何かしら?」

細い指でつまみ上げた小物をしげしげと見つめている美女を、

「ただのつまらんガラクタだ」

ロベルトは小馬鹿にする。父上もどうしてそんなものを捨てずに取っておかれたのかわからん、と首を振った初老の男に、「ふうん」と生返事をしてから、

「ねえ、ゲオルグ」

今度はちゃんと使用人の顔を見ながら呼びかける。

「悪いけど、水を汲んできてくれないかしら? コップ一杯で十分だから」

かしこまりました! と叫ぶなり元執事は弾けるように動き出すと、部屋の外から見物していた同僚たちをかきわけて駆けていった。おそらく厨房へと向かったのだろう。

(リブは何を考えているのだ?)

伯爵は当惑する。まだ宝石を見つけてはいないというのに、彼の恋人は探すのをやめていた。手にした硝子玉を見つめたまま動こうとしない。

「なんだ? もう諦めたのか?」

「大見得を切っておきながら、口ほどにもないわね」

子爵夫妻のせせら笑いを

「少し黙っていてくださらない?」

リブは一言で撃墜し、2人の顔色がに一変する。人間としての器量が天と地ほどにかけ離れているのは明らかで、どちらが貴族でどちらが平民なのかわかったものではなかった。

「お持ちしました」

数分後、はあはあと息を切らせてゲオルグが戻ってきた。美女の頼みを聞くために年甲斐もなく全力疾走したであろう使用人に、

「ごくろうさま」

と占い師はにっこり微笑んでその労苦に報いると、硝子玉を左手に移して、右手を胸の深い谷間に差し入れた。そして、しゅるしゅる、と音を立てて白いハンカチが魅惑の空間から飛び出してきたのを部屋の内外に居合わせた全員が呆然として見守った。占い師だけあって手品か魔法でも使って収納していたのであろうか。甘い香りと快い温もりがこめられているはずの純白の布帛をゲオルグが持ったコップに入った水に浸すと、リブは濡れたハンカチで青い硝子玉を拭い始めた。肉感的な美女の行動の意味が分からずに誰もが困惑するしかない。誰も何も言わないまま3分ほど経過したところで、「いい加減にしろ」と痺れを切らせて怒鳴ろうとしたロベルトに向かって、

「はい。どうぞ」

リブが右手を差し出していた。その白い掌に握られたものを目にして、「ああっ?」と誰かが叫び、別の何者かが「ええっ?」と飛び上がり、中には「ぎゃあっ?」と悲鳴を上げたやつまでいた。

「あわわわわわわ」

「ひいっ」

アマカリー子爵は夫婦ともども腰を抜かして白目を剥いていた。貴族らしからぬ無様な光景であったが、セドリックはそれを嘲笑う気持ちにはなれなかった。

(まさか、そんな)

彼もまた目が眩むほどの驚愕に見舞われていたからだ。これほど驚いたのは愛する女性の生存を知ったとき以来だろうか。そして、その女性、リブ・テンヴィーが

「これこそがアマカリー家に代々伝わる秘宝、『煌炎の真紅石』よ」

とくとごらんあそばせ、と告げながら巨大なルビーを高く掲げる。手にした宝石の赤と身にまとったドレスの赤が相俟って、遥か天空から地上を睥睨する炎の女神さながらの凄絶なまでの美しさをこのときの彼女は見せつけていた。

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