第86話 女占い師といくつもの再会(その1)

「ありがとう。この辺でいいわ」

リブ・テンヴィーが荷台から降りると、一緒に乗っていた男たちは誰もがごちそうを食べ損ねたかのような残念そうな表情を浮かべた。そのうちのひとりが、

「おねえさんも一緒に来てくれたら最高なんだが」

いかにも名残惜しそうに言うと、

「ありがたいお誘いだけど、行かなきゃいけない場所があるの」

そして、彼らも工事現場に向かう途中なので止まっているわけにもいかず、再び馬車は走り出した。

「あんた、最高にいかしてるぜ」

「必ずまた会いに行くからよ、待っていてくれ」

遠ざかる労務者たちの大声に、リブは手をひらひら振って応える。同乗している間に本業である占い師の宣伝をして、新たな顧客をゲットしているあたり、この美女に抜かりはなかった。今日は久々に都を離れて遠出をしようとして、馬車に乗せてもらったのだ。彼女は専用の馬や馬車を持たなかったが、セクシーな女性にとってヒッチハイクなど掌を指すがごとく容易なことで、彼女は行きたい場所に行きたいときに思うがままに行くことができた。言うなれば、アステラを行き交う全ての馬車はリブ・テンヴィーにとって公共交通機関に等しいものだった。

「さて、と」

彼女の視線の先には一軒の屋敷があった。低い塀の向こうに青い屋根と二階の白い壁が見えて、それは10数年前の記憶そのままだった。リブは今、タリウス家の本邸の前まで来ていた。

(確かにセディの言っていた通りのようね)

女占い師が思わず表情を崩したのは、セドリック・タリウスに自宅に来るように誘われたときに「笑ってしまうくらい何も変わっていない」と彼が言っていたのを思い出したからだ。屋敷自体はこの王国における平均的なもので、規模もさほど大きくなく際立った特徴があるわけではないが、どういうわけか居心地がよくて、まだリボン・アマカリーだった頃には頻繁に訪れていたものだった。

(おじさまとセシルさんのおかげなのかしら)

先代タリウス伯爵アンブローズの温厚な人柄とその夫人であるセシルの美しさをリブは思い出す。2人とも少女にとてもよくしてくれたのを懐かしく思い、持ち主の人格が住まいに反映されていたのかもしれない、とも考えながら正門の前に出る。タリウス家は王都チキの西方の自然豊かな土地、はっきり言ってしまえば田舎に位置しているため、貴族の邸宅といえども警備は厳重ではなく、門扉も閉ざされることなく開け放たれていた。とはいえ、そこはやはり貴族の邸宅ということもあって、門番が一人立っていた。がっちりした身体の中年男が、蟻一匹も通しはしない、といういかめしい顔をさっきまでは浮かべていた。今はもうそうではなくなっているのは、彼の目の前に肩と胸元をあらわにした薄いブルーのドレスを身にまとった若いグラマーな女性が現れたからだ。しかも、とても美しい。あたりには森と畑しかないのどかな地域にはあまりに刺激的すぎる存在の出現に、ゲートキーパーはあんぐりと口を開けてしまう。掃き溜めに鶴どころか、不死鳥が降臨したかのようだ。

「タリウス伯爵にお会いしたいんだけど」

そんな場違いにも程がある美女に微笑まれて、男はようやく我に返って、

「来客があるとは聞いていないが」

平然とした表情をしてみせたつもりだったが、鼻の下は伸びたままだ。

「ええ、そうでしょうね。予約は取っていないから」

夢の中でテンヴィー婆さんと再会を果たした直後にリブはここまでやってきていた。急に思い立っての行動なのでアポなしでの訪問ということになる。

「事前に連絡のない者を通すわけには行かない」

マニュアルに則った返答を見せた門番だったが、美しい女性に突慳貪つっけんどんな態度を取るのは男として気が咎めたらしく、

「どのような用件なのか?」

と訊ねた。すると、

「特に用事はないわ。伯爵様にお会いしたい、ただそれだけよ」

それはリブの正直な心情だった。セディに会いたい。すぐにでも会いたい。どうしても会いたい。夢から覚めてからというもの、そんな思いしかなかった。だからこうして、夜行性の彼女らしくもなく、まだ正午になっていない時間に彼の元まで押しかけたのだ。秘めていた恋心は一度解き放たれてしまうと、もう止めようがないのかもしれなかった。

不思議なことに、リブの返事を聞いた門番は「この人を入れてやるべきだ」と思っていた。普通だったなら、アポイントも取っていない身分も定かでない人間を中に入れるわけにはいかないのだが、何故かこの時だけは門番としての本分を遂行しようとする気持ちがまるで起こらなかった。そんな心の変動をもたらしたのは、女占い師が無意識のうちに超能力を発揮したためなのか、基本的には善良な男が彼女に同情したからなのかはわからない。だが、理由はどうあれ、

「旦那様にお伺いを立てることにしよう」

リブが即座に門前払いを食らうことはなくなった。セドリックが在宅しているらしい、というのも耳寄りな情報だった。

「あら、悪いわね」

アルコール度数が判定不能なほどに高い笑顔に、門番は酔いどれながらも、来客の名前を確認することを忘れなかった辺りは、職務に忠実な人間だと言えた。ふらふらした足取りで屋敷に向かう男の後ろ姿を見つめながら、

(これでよかったのかしらね)

今更ながらに、リブは自分の行動が適切なものなのかを考えていた。

(セディに怒られないかしら)

いつだったか、事前に連絡なしにいきなり遊びに来たときに、「もうっ、リボンちゃんはいつもこうだ」とまだ少年だったセドリックがカンカンになりながらも、それでも一緒に付き合ってくれたのを思い出して笑ってしまう。昔から生真面目だったのよね、と追憶にひたる女占い師の頭上に、ぴーひょろろ、と小鳥のさえずりも聞こえる。

(結構待たされるわね)

しばらく立っていても、門番は戻ってこない。セドリックも貴族として多忙な日々を送っているはずで、何か用事をこなしているのかもしれない。前もって照会もせずにやってきた自分が悪いので、待ちぼうけをする羽目になっても仕方がなかったが、雲間が切れたおかげで、夏の日射しが厳しくなってきたのは気になった。直射日光を受け続けるのは健康にも美容にも悪い。でも、近くに木陰はないし、と困っていると、

「うちに何かご用かな?」

誰かが話しかけてきた。ずいぶんのんびりした声ね、と笑ってしまいそうになりながら、リブはそちらを向こうとして、

(えっ?)

その動きを止めてしまう。思いも寄らない人物の姿が目に入ったからだ。

「おお、これほど美しいお嬢さんにこんな田舎で出会えるとは」

そう言いながら、ひょこひょこと近づいてきたのは、アンブローズ・タリウス、セドリック・セイジア兄妹の父親にして、タリウス家の先代伯爵だった。

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