第45話 旅の始まり(後編)

「そんな」

ショックを受けて唇を震わせるリボンを見やって、「少々脅しすぎたようだ」と反省したテンヴィー婆さんは、

「そう落ち込むもんでもないさ。『力』に目覚めなければ、あんたは今頃生きてはいられなかったんだ。命があるだけ有難い、と思ったらいいんじゃないかね」

苦笑いしながらつぶやくと、「そうかなあ」と言いたげな表情で少女は考え込んだ。

「あたしは占いを生業としている。各地をさまよいながら、たくさんの人の悩みを聞いてやるのが仕事だ。あんたにはその手伝いをしてもらう。そうしているうちに、『力』の使い方も覚えてくるはずだ。まあ、特別な修行なんかしなくても、時間が経てば慣れてくるだろうとは思うがね」

老婆が語り掛けた後も、リボンはまだしばらく考えてから、

「でも、いいんですか?」

と訊ねてきた。顔つきを見る限りまだ納得しきってはいないようだ。

「何を言ってるんだい?」

「わたしみたいな子供を連れていると、おばあさんは迷惑じゃないんですか?」

どうしてよく知りもしない他人に世話を焼いてくれるのか、リボンには今一つ理解できなかった。そんなことをしても、この人に何の得もありはしないはずなのだ。だが、

「あたしのことよりも、自分の心配をした方がいい」

顔中の皺をより深いものにしながら老婆は少女の気遣いを切って捨てた。

「あんたはこれから自分だけで自分の身を守っていかなければならないんだ。貴族のお嬢ちゃんだった今までとは全然違う世界に住むことになる。それを肝に銘じておくんだね」

そう言われた娘の顔に真剣さが宿ったかのように老婆には感じられた。乳母日傘おんばひがさで育てられた甘やかされた小娘というわけではないらしく、それなりに根性はあるようだ。もっとも、ひよわな精神の持ち主だったならあの森で生き抜けはしなかっただろうが。

「わかりました。決して足手まといにはなりませんから、どうかよろしくお願いします」

わたしの力になってください。そう言って、リボン・アマカリーは深々と頭を下げた。ふん、と鼻息を出しながら、煙管の灰を落として、

「そのご立派な心掛けがいつまで続くか見ものだね」

婆さんに突き放されても、少女はへこたれることなく、

「そうと決まったら、ひとつお願いがあるんですが」

にっこり笑ってみせた。


翌朝、まだ日も昇り切っていない時刻。

「あら、あなた。髪を切っちゃったの?」

あんたにきれいだったのにもったいないわねえ、と農夫の妻は昨晩納屋に泊めた娘を見つめた。ゆうべは背中まで伸びていたブルネットの髪が、今朝になって肩に届くか届かないかくらいまで、ばっさり切り落とされていた。

「これから長い旅になるので、邪魔になると思ったものですから」

テンヴィー婆さんは散髪の腕もそこそこあるようで、新しいヘアースタイルにおおむね満足しているリボンは微笑んだ。

(やっぱり変わった娘さんだ)

妻と会話する少女を見て、農夫はぼんやり考える。姿かたちが美しいだけでなく、ひとつひとつの動きに気品があって、どう考えてもただものではなかった。そんな子供がこのような僻地でみすぼらしい老婆と2人で旅をしているのは明らかに不自然だったが、

「人には人の事情があるものよ」

と、ゆうべ眠りにつく前に妻に諭されて、人のいい男はそれ以上詮索するのを止すことにした。

「すっかり世話になっちまったね」

杖を突きながらひょこひょこ歩いてきた老いた占い師に、「いえいえ、こちらこそ何のお構いも出来なくて」と農夫は頭を下げる。彼と女房は出発する2人の客を見送るために自宅のすぐ前まで出てきていた。

「あの子の服までもらっちまって、本当にありがたいったらないね」

老婆に言われて見てみると、少女は昨日までとは違ってワンピースに身を包んでいた。

「だって、あの格好だと困るでしょ?」

妻が笑ったところを見ると、どうやらお下がりを渡したらしい。昨夜の晩飯の席で、シュミーズ一枚で肩から毛布を羽織っただけの娘を見て、夫婦して顔を見合わせたのを男は思い出していた。

「ごめんなさいね。こんなださいのしか持ってなくて」

「そんなことないです。サイズもぴったりで、着心地もいいです」

少女はお世辞ではなく本心で言っているように、その場にいた者には思われた。野暮ったい服装でも、手足のすらっとした彼女が身にまとうと一流のファッションモデルのように見えてしまうのは、ある種の魔術にも似ているかもしれなかった。

「せめてもの礼だ。あんたらの幸福を祈らせてもらうよ」

老婆がそう言うと一歩前に進み出て、目を閉じて頭を下げる夫婦とその子供たちに向かって右手を突き出すと、何事かをぶつぶつとつぶやきだした。通常使われている言語とは異なるものなので、リボンにはその言葉の意味がわからない。だが、

(すごい)

テンヴィー婆さんのやっていることの意味はなんとなくわかっていた。農夫とその家族、そして彼らが暮らす家が暖色の光に包まれていくのが見えていた。おそらく、この光は普通の人間には見えないものだ。しかし、目に見えなくても災いから善良な人々を守る防壁となってくれる光だ、と少女は信じて疑わなかった。いつか自分も同じことができるようになるのだろうか。

「それじゃあ、達者で暮らすんだよ」

「あなた様たちの旅の無事をお祈りします」

それぞれ別れの挨拶を交わした後で、

「ねえ」

ふくよかな顔をした奥さんが去り行く少女の背中に声をかけた。

「なんですか?」

「あなたの名前を聞かせてほしいの。名前を知らないままお別れしちゃうのは淋しいから」

そう言われた娘は少しだけ躊躇した後で、

「リブ・テンヴィー」

小さな声で名乗り、

「リブ・テンヴィー。それがわたしの名前です」

と力強く言い切った。しっかりした意志のこもった紫に輝く瞳を見つめながら、

「いい名前ね」

農夫の妻は笑いかける。

「ありがとうございます」

ぺこり、と頭を下げた娘に、

「何をぼやぼやしてるんだい。さっさと行くよ」

先行した老婆が叱声を飛ばし、「ふふふ」と笑ったリブは手を振りながら、師匠の後を追いかける。昇りかけた朝日に照らされた道を行く2人の後ろ姿が消えるまで農夫たちは見送り続けた。

かくして、少女はリボン・アマカリーの名を捨て、リブ・テンヴィーと新たに名乗り、令嬢をやめて占い師の弟子として生きていくこととなったのである。

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